1696年8月…
1700年1月…
アユタヤは日本に敗北し、領土のほとんどを割譲した。
この後、アユタヤはトンキンの攻撃を受け滅亡した。
1704年11月…
アイディアの変更を考えておりまして…拡大を放棄して経済を新たに取り入れようかと…
ふむ、まあ植民者は不要になりつつあるな…よかろう許可しよう。
こうして日本は拡大アイディアを放棄し、経済アイディアを新たに導入した。
この変更が正しいかはまだわからない。
1710年2月…
最優先で要塞に対する砲兵ボーナス+3をとろう。次は後列からの砲兵ボーナスだな。
1710年5月…
1712年3月日本は明の朝貢国トンキンに宣戦布告した。明はトンキンの要請を受け参戦した。
第二次日明戦争の始まりである。
タイ北部に明軍が十万近くの大軍で攻め寄せてきましたが、各個撃破に成功し大打撃を与えました。
朝鮮を経由して満州を攻撃する腹か。よし、こっちも日本本土の予備を使おう。
日本は満州にて明軍を迎撃したが大敗を喫し、シベリア全土を占領された。
以降、両軍とも一進一退の攻防を繰り広げる。
そして、1721年9月
日明両軍は広東の一部を割譲で講和した。
こうして両軍とも多数の死者を出した対戦は終了した。
1722年、5月先に夭逝した足利義昭の弟として足利家康(3.3.3)が誕生した。
回復する前に仕掛けるとしよう。トンキンから独立した大越に宣戦布告せよ!
1724年9月日本は明の朝貢国である大越に宣戦布告をした。
明が介入するのを見越してのことである。
かくして第三次日明戦争が始まった。
1728年8月第三次日明戦争は日本の勝利に終わった。
日本は更に領土を割譲させた。
また、度重なる敗戦により明の権威は再び失墜…
明の衰退は誰の目にも明らかだった…
1729年2月日本は黄金の時代に突入した。
これにより更なる発展が期待できるであろう。
1731年6月日本は明の朝貢国ラーンナに宣戦を布告した。
無論、明の介入が狙いである。
1735年1月
第四次日明戦争終結、日本は徐々に領土を拡張していった。
以降も日本は度々、明へ侵攻し、
領土を奪っていった。
1751年頃には、華南の大部分を領有するようになった。
1751年6月…日本は朝鮮に宣戦布告した。
朝鮮軍は日本軍の勢いに恐れをなし逃亡…
日本軍は抵抗を受けることなく朝鮮領を占領していった。
1752年7月…朝鮮は朝鮮半島の大部分を割譲することで講和した。