第12代将軍足利義澄
スキルは統治4、外交3、軍事4と高水準の名将
父の急死を受けまずは一向一揆の鎮圧にあたる。
第12代将軍足利義澄です。早速ですが一向衆の鎮圧にあたります。
1562年…
一向一揆のイベントも終わりましたな。これで鎖国に1レベル振れレベル3になりました。
聖職者が1増加し、文化転向コスト15%引きか…これから役に立ってくるであろう。
よほどの事がない限りは、これ以降はレベルを変更する予定はありません。
1563年に漸く資金がたまり活版印刷の受容が完了した。
これによりさらに技術が向上した。
1565年…
千島に植民を開始しました。また、あわせてシベリアにも進出しています。
うむ、西の果てにロシアらしき国が見えるな…シベリアの取り合いになるやもしれんな。
南方はパプアニューギニアと太平洋の小島を除いてほぼ終わっておりますのでこれからはシベリアに注力して入植します。
わかりました。探検団を組織して探検を行います。また、シベリアとオーストラリアの探索も行います。
1566年10月…
そうです。今はしきりに間者を飛ばしております。またブリヤートを朝貢国にしました。
1567年2月…
コーチンがブリヤートに宣戦布告しました。ブリヤートは宗主国として我が国に支援を求めてきています。
足利幕府はブリヤートの求めに応じコーチンに宣戦、軍を動かした。
しかし、幕府軍が到着する前にブリヤート軍は単独でコーチン軍を撃破、そのまま領土を割譲させてしまう。
せっかく持ってきた兵力をそのまま帰すのももったいないのでチュクチとカムチャルダルを攻めますね。
1568年9月幕府はチュクチに宣戦布告し、その領内に軍を侵攻させた。
こうして1572年10月にはチュクチ及びカムチャルダルの併合は終わった。
1579年6月
(まあ、多少の無能でも許される国力になったが、有能なのに越したことはない…)
各地に工場を建てているな。これらが出来上がればかなり収入が増えるだろう。
1580年幕府は樺太領有を狙いイェレン及びハイシィに宣戦を布告した。
辺境の遊牧民では幕府に太刀打ちする事すらできなかった。
8月足利幕府はイェレン及びハイシィを併合した。
これにより幕府はシベリア地方において盤石の地位を確立した。
1590年足利義澄は息子義晴の元服を待つことなく死去した。
義澄の御台所山科文(3.2.4)が義晴が将軍職を継承するまでの間政務を代行することとなった。