15世紀終わりから16世紀序盤にかけての動きです。
ヴェネツィア→教皇庁→ヴェネツィア→オスマン→ヴェネツィア→オスマンの順に叩き、
攻撃的拡大と過剰拡大を抑えながら少しずつ領土を広げコンスタンティノープルを目指します。
イタリアではヴェネツィアVS教皇庁が戦争中。
ヴェネツィアにはハンガリー、イングランドが、
教皇庁にはアラゴン、ミラノが同盟国として参戦しており
この歴史におけるイタリア戦争の様を呈してきました。
そこで我がアルバニアはまずヴェネツィアに宣戦布告し数州獲得後さっさと切り上げ、
ついでまだヴェネツィアとの戦争が続いている教皇庁に宣戦布告して1州獲得。
戦力回復と停戦期間修了を待ち再度ヴェネツィアに宣戦布告し、
交易ノード中心地のヴェネツィア州を獲得しました。
収入が一気に増えようやくアドバイザーを複数人雇っても国が回せるようになりました。
1513年には再び対オスマン戦争。
オスマン帝国がジャンダル侯国に攻め込んでいる間に背中を突くという前回と全く同じ流れ。途中でカスティーリャらが便乗参戦してオスマンをタコ殴りにするのもそのまま。
この戦争でエディルネを獲得しコンスタンティノープルへリーチをかけ、
またアイドゥン侯国(アイディン?)を独立させました。
1522年に対ヴェネツィア戦争を起こし、
ヴェネツィア共和国に飲み込まれたフェラーラ侯国を復活、属国化します。
1527年、ついにコンスタンティノープルをキリスト教徒の手に取り返す時がやって来ました。
今回はキャラック船を建造しているので海戦でもオスマンのガレー船団に勝利。
過去の戦争では海上封鎖によって通れなかったマルマラ海の通過をも果たしました。
多方面からフルボッコにされるオスマン帝国。またこの流れかよ。
これにてようやくコンスタンティノープルを獲得。
ついでにサルハン侯国の独立を認めさせ、領土を分断するように都市を割譲させました。