外交官の働きと、国が多少大きくなったことでハンガリーと同盟を結べるようになっていました。
そのハンガリーは1458年にはオーストリアを同君連合下位として従えておりました。
これはセルビア、オスマンを叩くチャンス。
オスマンはアナトリアの小勢力と戦争中。
我がアルバニアにはポーランド、リトアニア、ハンガリー、オーストリアが味方してくれる。
これは勝ったも同然ということでセルビア、オスマンに宣戦布告します。
もっとも戦力差2倍であってもこちらは寄せ集め、相手はあのオスマンとなればその差はひっくり返ることもあります。
特にガレー船団を持つオスマンには海上戦力で圧倒されるためこちらは戦争疲労がガンガン溜まってしまいます。
この時オーストリアがいなかったら開戦の決心はつかなかったでしょう。
開戦後すぐにセルビアを征服し、
その後は倍の戦力差とスカンデルベクの将軍能力でオスマン軍を順番に撃破するという特筆することのない戦争でした。
1458年に開戦した戦争は1464年にバルカン半島側の都市を全て陥落させて終戦。
こちらはアナトリア側に渡る船が無く、オスマン帝国は未だに2万5千人の戦力を抱えた状態という
消化不良気味の終戦となりました。