誰も書かないであろうアルバニアプレイレポ

第三章 大アルバニア王国

拡大政策

ここからはしばらくの間、
減った人的資源を回復させつつ、属国を併合しつつ、少しずつ国力増大をはかります。

ハンガリー=オーストリア同君連合ではオーストリア領内で大規模な反乱が発生し、
オーストリアはハンガリーから独立を回復させておりました。
アルバニアの同盟戦力が一つ減ったと考えると大きな損失です。

1465年にはスカンデルベクが崩御。史実の1468年よりやや早い死が惜しまれます。もう少し活躍して欲しかったなあ。
跡を継いだのはMbret Gjon Ⅱ世。能力は3/4/2。皇太子はGjergj。能力は3/6/3。
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人的資源の回復が済んだので未だに生き残っているビザンツ帝国に宣戦布告、一瞬で方が付きました。
ビザンツの属国アテネ公国領は併合、ビザンツから奪った2州はモレア公国として独立させ後に併合します。
本当はビザンツ帝国ごと属国化し外交併合出来ればコンスタンティノープルが簡単に手に入ったのですが
戦勝点が100%を超えてしまうため出来ませんでした。

1481年には孤立したセルビアを倒し、
属国ボスニア、属国モンテネグロの併合完了させております。
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バルカン半島の中堅国家に成り上がることが出来たため、国号を大アルバニアと改めることにします。
この時点での収入はアドバイザー1人雇って+0.2ダカット。
軍の扶養限界は陸軍15隊、海軍17隻。最大人的資源は14000人。
弱すぎて泣けてきます。

商人の配置変更や首都をアルバニア州からラグーサ州に移転するなど、
収入を増やす手段はあったのかもしれませんが、ゲームの経済システムがよくわかっておらずそのままでいきました。

そういえば皇太子がクリスチャンとして相応しくない格好をしており
市民から笑いものになっている(?)というイベントが発生。
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その結果なのか3/6/3の皇太子は早死してしまい、代わりの皇太子が立てられました。
能力が下がった上に摂政制移行の予感…
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第二次オスマン戦争

1482年には第二次対オスマン戦争を開始。
当主の年齢的に死亡して摂政制に移行してしまいそうな予感がしたのでその前に戦争を起こします。

現在オスマンは白羊朝らと戦争中。
そこにアルバニア同盟軍と、さらにエジプトマムルーク朝が便乗参戦したため
オスマン帝国は三方向に戦線を抱える形となりました。

オスマン強い。
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勝ってる気がしない…
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今回もバルカン半島側の都市を全て陥落させ、戦勝点が稼げているうちにさっさと終戦します。
アルバニア、マムルーク朝がそれぞれ数州を獲得し、また少しオスマンの勢力を削ぐことが出来ました。
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そういえば宣戦布告のタイミングはバッチリだったようで、
第二次対オスマン戦争開始後しばらくしたら当主が死去し摂政制に移行しておりました。
摂政の能力は5/4/4。このままずっと政務をとり続けて欲しいんですが。
摂政制期間中に生まれた跡継ぎは2/0/2。うわーしょぼい。
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