1515年にノヴゴロド公であったSimeon Aleksandrovich Olelkovichが亡くなると、ノヴゴロド民会は次の公の選出を拒否した。国家の実質的権力者であったポサードニクと、当時民会において最大勢力となっていた職人派は、巨大化したノヴゴロド公国の統治を円滑に行うため、構造改革を始めたのである。
ノヴゴロド公国は征服地の統治に対し、基本的には自国の辺境地域に対し行ってきた統治方法を踏襲した。すなわち、その地域における民会を認めつつも、首都ノヴゴロドの民会議会が積極的に統治に介入したのである。しかしながらこの統治方法は、ノヴゴロドより北部の人口過疎地域に対しては機能したものの、など都市の統治には大きな問題を引き起こした。都市の市民は定期的に反乱を起こし、地域の民会の自治を要求した。また支配地域が広がるにつれノヴゴロドの民会議会における議論事項も増加の一途をたどり、民会が開かれる頻度は次第に増加していった。
ノヴゴロドにおける集権的統治は、別の問題を引き起こした。地方の貴族・商人が、権力を求めノヴゴロドに移住するようになったのである。街は日に日に拡大を重ね、街を囲む城壁は何度も建て替えられた。街の外には住む場所がない人々が住処を作り、時に大きな問題を引き起こした。
これらの問題に対し、ポサードニクらは各地域の代表者による民会議会を提案した。後に「ロシア民会」と呼ばれる民会である。当時としては最先端であったこの統治方法は、ノヴゴロドによる統治ではなく、ロシア人による統治という点で今までの民会とは異なっていた。新たな民会は1519年にノヴゴロドの仮の議場で開かれ、すぐに新しい首都に移された。民会は国家をロシアと呼び、名実ともにノヴゴロド公国はロシア人を代表する国家となったのである。
ポサードニクは、「ロシア民会」の設立と並行して、地方分権化を進めることで地方における問題に対処した。各地域には都市民会が設立され、都市周辺における統治を担わせた。これらの地方分権化はロシア民会の負担を軽減することにつながった。
国内の混乱がある程度おさまった1520年には、ロシア大共和国の名目上の皇帝としてビザンツ帝国を支配したパレオロゴス家からManuel IV Palaiologosを迎え入れ、将来的なコンスタンティノープル奪還とオスマン帝国との対決を明確化させた。皇帝の住まいは古都ノヴゴロドに整備され、全ルーシの府主教の座はモスクワからノヴゴロドに移されたが、これは首都移転によるノヴゴロド市民の不満に対する配慮とされている。
これらの背景からロシアはRoma、Nova Romaに続くThird Romaと呼ばれるようになるが、ノヴゴロド府主教はあくまでもコンスタンティノープル総主教庁から独立することはなかった。
ポサードニクは、あらたなロシア大共和国の首都に、ノヴゴロドではなく、当時開発が進められていたネヴァ川河口の都市を選出した。ノヴゴロドから北に約160kmの荒れ果てた沼地であったこの地域は、15世紀末になるとノヴゴロドに変わる交易拠点として注目され、ノヴゴロド公国の各地から人々が移住していった。ロシアを代表する国家として、ノヴゴロドではない都市を首都とするべきであると考えたポサードニクは、様々な地域から人々が集まるこの都市に注目したのであった。1515年にフィンランド地域を影響下に置いたことでスウェーデンとの国境が遠くなっていたことも幸いした。ポサードニクはこの地を「ペトログラード(サンクトペテルブルク)」と命名し、議場が整備された1520にはノヴゴロドからロシア民会が移された。街並みが整備されるにつれ人口も増加し、「東欧のパリ」と呼ばれるにまで発展していくこととなる。
項目名 | 効果 |
Traditions | 人的資源+33% |
コア化コスト-10% | |
Land of the Rus | 侵略的拡大-10% |
Siberian Frontier | 州に植民した時 周りの州が明らかになる |
シベリア植民システムの有効化 | |
Russian Artillery Yard | 砲兵コスト-10% |
砲兵戦闘力+10% | |
Life-Long Conscription | 陸軍扶養限界+50% |
Abolish the Mestnichestvo | 腐敗-0.1/年 |
The Table of Ranks | 陸軍伝統+0.25/年 |
顧問コスト-10% | |
Broaden the Curriculum of the Cadet Corps | 陸軍士気+5% |
被射撃ダメージ-10% | |
Ambition | 共和制伝統+0.3/年 |
お待たせいたしました。プレイに戻りまして今プレイの山場(個人比)、ロシア変態でございます。
...。色の変化がほとんどないせいであまり実感がわきませんね...
とりあえず目標であったロシア大共和国を形成できました。
達成可能だったミッション1-1、1-2を進めまして、イベント「The Russian Orthodox Church Declares Independence」を発生させました。史実でモスクワ府主教がコンスタンティノープル総主教から独立して、ロシア正教が独立した正教会となったことに基づくイベントですね。史実に沿うと一番上だと思いますが、Patriarch Authorityが50を超えていますし何より恒久的請求権に目がくらんだので一番下を選択しました。
そんでもって首都をノヴゴロドからサンクトペテルブルクに移します。NEVA州にあるモニュメントWinter Palaceを使いたいからという、いたって現実的な理由からです(実は初期状態ではNEVA州の文化は東スラブ文化グループではない)。
ノヴゴロド公国に繁栄をもたらした毛皮は、主にウラル山脈の西側で獲られたものであった。ヨーロッパからの毛皮の需要が増加するのは対照的に、15世紀が終わるころには乱獲により毛皮の供給数は減少しつつあった。毛皮商人は毛皮を求めてシベリアに進出するようになり、次第に商人の活動拠点がシベリアの各地に作られるようになる。ロシア民会は毛皮商人らの要請で、これらの地を現地民の襲撃から守るために要塞を建て軍隊を駐留させるようになり、都市化が進むようになった。
ロシア民会はシベリアの開拓について毛皮商人に委ねていたが、イングランドやスペインのシベリアへの進出を危惧したロシア民会は1520年頃からシベリア征服を国家事業として本格化し始める。シベリアの南方、森林ステップでは現地の遊牧民の抗争を利用しつつカザフ・ハン国やオイラト部族連合を屈服させ、北極海に面する北側のタイガでは河川網を用いて年に約60kmという速さで無人の荒野を開拓・征服していった。ロシアの人々のシベリア開拓への熱意は1570年頃に征服地が太平洋に達することで廃れ始めるが、シベリアから獲れる毛皮は長い間ロシアの経済を支えるようになる。
ミッション4-1の達成に時間がかかってしまいましたが、恒久的請求権を得られましたのでまたまたカザン戦です。
統治キャパシティの余裕がありますので比較的しっかり割譲させます。宗教アイデアを進めている関係で統治点が若干不足しているので、戦後バシキリア/Bashkiriaを解放させました。AE?そんなものは知らない。
戦中には政府改革がTier7に到達、再び汎用ですので紹介は割愛。『Curtail the Burghers』を選択しました。汚職対策は後半になればなるほどありがたいものなので、私は割といつもこの政府改革を取得しています。
アストラハン併合後にはとっくにアジアが見えるようになっていました。この世界のティムールは完全体、外交関係も相まってこれから先50年くらいのライバルでした。
そのほかはいつも通りの世界線でしょうか、しいて挙げるとするならばサイイド朝デリー/Delhiが現役です。
カザフ/Kazakhの従属国であるシビル/Sibirに、外交属国化したウズベク/Uzbekの再征服CBで宣戦します。敵同盟国のティムールのせいで軍量不利です、どうにかティムールを追い出します。
ティムールを、同盟関係を破壊しつつ追い出した後は消化試合でした。途中で宣戦先のシビルがカザフに属国併合され、なぜか戦争中にも関わらず解放される謎事態がありましたが(イベント?仕様?)、無事ティムールの壁を壊せた感じです(ホントに?)。
この後はオイラト/Oiratも殴り東に進出していきました。太平洋に至るのは、シベリア植民が先か、遊牧民の征服が先か。
ティムール朝第三代シャー・ルフの死後、第四代となったウルグ・ベクは、勃発した後継者争いに最終的に勝利し、広大な支配地域の直接統治を選択する。かつてのティムール朝ではかつてのモンゴル帝国のように親族らによる分割統治が採られており、これがティムールとシャー・ルフ死後の後継者争いを引き起こしたことは明らかであった。
これ以降ティムール朝は安定した繁栄を謳歌し、その領域は西はバクダッドから東はパンジャーブ地方に及んだ。かつてアンカラの戦いで一度は滅ぼしたものの再興しつつあったオスマン帝国とは同盟を結び、対してインド方面では領土拡大に野心を燃やしていた。
しかしながら、16世紀中頃になると、北方のロシア大共和国との戦争が起こるようになる。ロシア大共和国はその軍事力を背景に、広大な中央アジアの征服を企んでいた。度重なるロシア大共和国軍の侵入はティムール朝内の分裂を引き起こし、ティムール朝は急速にその勢力を縮めることとなる。
先ほどのカザフ戦で戦ったティムールに直接宣戦します。先ほどはオスマンとの同盟破棄を含む34点分の講和を通したので、今回は50点くらいは欲しいですね。
駄目みたいですね。トランスオクシアナ/Transoxianaの種地となるプロビだけウズベクに返却させ講和しました。まあこんな戦争だって、たまにはあってもいいじゃないか(ダメ)。
政府改革Tier8は『Broaden Executive Powers』を選択しました。安定度コスト-15%、君主点消費コスト-2%と、まあ地味だけど強いという効果です。絶対主義最大値がだだあまり、とかではない限りはこの政府改革をお勧めします。
絶対主義最大値に余裕があるなら『New Men』を選択すると、Tier3の『Frequent Elections』と合わせることで10年で6.6.6を育て上げる驚異的な選挙システムが爆誕します。恐ろしいですね。
ちなみに『Consolidated Power』は多くの場合で罠です、選択しないようにしましょう。
遊牧民の征服は楽だったのでカット、ソロン/Solonを併合したことで勢力はついに太平洋に至りました。
さて、前の国境紛争から25年も経ちました。この間ティムールを同盟国呼び出しで叩いてオスマンとの同盟を切らせたり、属国ウズベクを併合してトランスオクシアナを属国解放させました。
いい加減戦争しないと埒が明かないので、量をそろえて宣戦しましょうか。
ついにほぼ100点講和を通せたので、トランスオクシアナの旧領すべてとホラーサーン/Khorasan・アフガニスタン/Afghanistanの種地を回収しました。
政府改革はTier9に到達、特に何も考えず統治系ポリシー枠が+1される『Political Principle』を選択しましたが、このTier9にこそ共和制の本体と呼べるような政府改革があります。それが『Military Principle』。戦争に勝つと共和的伝統が増加する不思議な政府改革です。これにより共和的伝統は基本的に100に張り付くようになり、いくら再選させようともすぐに100に回復するようになります、戦争マシーンの場合。つまり統治者を再選し続けられるので、6.6.6を実質ノーダメージで育成することができるようになるというわけです。これに気づいたのは1587年でした。
これによって共和制の本領発揮です。月間獲得君主点16-16-16も夢じゃない。圧倒的な君主点で統治・外交・戦争をがんがん進めていきましょう。
ロシア大共和国の領域が太平洋にまで達し、統治が行き届くようになると、ロシア大共和国はヨーロッパ側と、太平洋沿いの町であるオホーツクを結ぶ交易路を欲するようになる。
シベリア植民の黎明期においては、タイガが広がるシベリア北部の河川を交通路として用いていた。南部の遊牧民国家を平定し、草原の道が整備されると、商人はより南部の交易路を求めた。特に交通路のうちアルタイ山脈越えは多くの商人が嫌がる難所であった。よくロシア商人が、アルタイ山脈より南を支配していた、当時鎖国中であった順帝国の領土に侵入し、国際問題を引き起こしたという記録が残されているほどである。
商人派からの再三の要求に折れたロシア民会は、1583年に軍隊を順の領内に進めると、そのまま当時の順の首都であった長安を陥落させた。ロシア軍が最終的に引き上げる形で争いは一旦終結したものの、順帝国はモンゴル民族にたいする影響力を事実上失い、ロシア大共和国が取って代わる形で中華の北における勢力を伸ばすこととなった。
ロシア大共和国はその後も満州や朝鮮地域など、中華圏と呼ばれた地域に勢力をのバスことになる。一方順は首都を後方の洛陽に移しつつ中華の統一を完成させるが、その影響力はかつての中華皇帝に及ぶことはなかった。
朝鮮/Koreaが参戦しないようですので、順/Shunに宣戦してしまいます。中華圏はなるべく明/Mingの再征服CBを使いたいところですので、中華文化でない州だけでいいかな、という感じでございます。
モンゴル文化の州と、明が滅亡してしまった時用に一州だけ中華文化の州を割譲させ、後は金をむしり取ります。やっぱり戦争経済は最高だな!
こちら、Tier9を変更したものになります。
解放させたホラーサーンとアフガニスタンの再征服CBでティムールに宣戦。一回殴るとたいていの国家は楽になりますね、例外はさらに大きい国家とか(1600年代以降のオスマン)くらいです。
停戦期間ですが、ティムールの同盟国カザフを使って呼び出し停戦圧縮をしていました。もとははるか昔のオイラト戦で私のミスにより残ったカザフですが、怪我の功名となってよかったです。
ティムール-オスマン同盟ですが、第一次ティムール戦後にオスマンがティムールに攻め込んでいました。もともとティムールはレヴァント文化グループかつオスマンの恒久的請求権が付く州を保有しており、再度同盟することは絶対ないと信じていました。予想通りですね。
旧領と、シルヒンド/Sirhindを解放させました。あとでの属国化を狙ったのですが共和制のせいでかなり属国化に苦労しました、共和制で-10されるのは聞いていない。
ミッションで沿海州に請求権が付きますので、回収します。順は借金で来ないようです、なんでやろなぁ。
恒久的請求権が付いている州をすべて割譲させることができました。結果ミッション3-7を達成し、FURDAN州の名がVLADIVOSTOK州に変わりました。いいですねぇ。
ミッション関連でお話を一つ。ミッション5-6を達成することにより、もろもろの補正に加えて探検家/Explorerが雇用されます。おそらくミッション5-7(Colonize Alaska)のためであり、実際探検アイデアや拡張アイデアを取得していなくてもアラスカ沿岸の探検をすることができます(おそらくミッション5-6の隠された効果かと思われます)。
でもさぁ、アラスカに入植する手段がないんだけど。シベリア植民は海外州であるアラスカには有効ではありません。当然植民者は手元にいませんし、原住民国家に宣戦布告できるCBも持ち合わせていません。探検家で地図を開けられるようにしておきながらこの仕打ち、ちょっと惨めですね。
インド侵入で何か書こうと思ったのですがネタが思いつきませんでした。第二次ティムール戦でティムールから解放させたシルヒンドの再征服CBを用います。
あらかじめインドの大国、ベンガルと同盟していたので呼び出し、バフマニー/Bahmanis軍を引き付けてもらいましょうか。
ver1.34.5ではサイイド朝デリー/Delhiが生き残っている世界戦が他バージョンに比べて多い印象を受けます。シルヒンド独立イベント前にベンガルと同盟している世界戦が多数。
バフマニーの要塞が堅く面倒になったので、中途半端ですが講和しました。とりあえず奪えそうな分は奪っておきます。
シルヒンドは飛び地になるので、間違えて自軍をシルヒンド領内に入れようものならロシアに帰れなくなります。黒旗軍はきちんと移動先を管理しましょう(一敗)。
なるべく中華は明の再征服を使いたいので、中華文化州以外の割譲だけ狙います。
目標州の回収はできそうなのでさっさと引き上げました。金ウマ。
もう何も怖くないティムール。再征服の種は獲得していなかったので聖戦CBを用います。例によってカザフを使って停戦圧縮しています。
本当は属国解放の種地が欲しかったのですが自分の属国に阻まれました。とりあえずこれでサマルカンド周辺はきれいに、東のヤルカンド/Yarkandを狙いたいのですがオスマンと同盟していますので致し方がないですが放置です。
シベリア及び極東ロシアの征服も、ついにシベリア部族達を併合したことでユーラシア大陸の東端に到達しました。これより東は太平洋、アラスカに入植したいですが現時点ではシステム上無理そうです。
さて、東進は終わりました、次なる侵攻先は...
南、でしょうか。