1490年、イタリア諸侯がHREを脱退します。これで皇帝の介入をうけずにイタリアの小勢力を呑みこむことができます。
中期目標はForm Italy。
必要なプロヴィンスはMilan、Firenze、Siena、Roma、Ancona、Genoa、Modena、Verona、Mantuaです。
Romaを所有しているとイタリア化する前はペナルティがあるので最後に取るようにします。
最初のターゲットはMantua。当初はTradeLeagueに加盟していた仲間ですが、いつの間にかに勢力を拡大してLeagueを離脱していました。
おいしいことにイタリア化条件のひとつ、Modenaも領有しています。
HREを離脱した今は同盟相手がスイスだけなので、手頃なターゲット。
北イタリアの豊かな4州は一度に全部奪うと統治が大変なので属国化を目標にします。
外交枠の都合からボスニアの外交併合が完了が終わった1493年に開戦。1495年早々に無事目標を達成して停戦しました。
ところでボスニアの併合中、ふと気づくとポーランドがオスマンに仕掛けています。
前回、君主点をケチってブルガリア用地を1州しか取らなかったのが失敗で、北側もう1州もとって黒海沿岸にフタをしておくべきでした。
軍事通行権を与えずにアナトリア半島へ渡らせないなど地味な嫌がらせをしましたが、ブルガリアコアのうち2州はポーランドに抑えられてしまいました。
本当はウチが取るはずだったのに…。
歯噛みしつつも停戦が明けるのを待って再びオスマンに仕掛けます。CBはブルガリアの旧領回復。
オスマンはキプロスと同盟していたので、MissionでConquest Cyprusを選んでおきました。
キプロス併合と残るブルガリアコア回収を果たして停戦します。
再び目をイタリアに転じたところ、Savoyの同盟相手がUtrechtしかいないことに気づきました。
Savoyはミラノを叩いてMilan州を奪っています。
これはいただき! とばかりに仕掛けたのですが、Zocの把握が甘く、各個撃破の憂き目に遭ってしまいました…。
(慌てすぎてスクリーンショット撮り忘れました・・・)
仕方がないので敢えて自領は攻められるに任せ、兵力の回復に努めます。
バルカンに十分な土地があるのでイタリア内の領土を少々占領されても耐えられます。
その間に傭兵も含めて立て直した戦力でSavoy領を占拠。なんとかMilanの割譲は果たすことができました。
下は終戦の図。人的資源が…。
悪いことは重なるもので、終戦後すぐにオーストリアから参戦要求が届きます。
相手はハンガリー。しかもカスティリアがついてきます。
オーストリアには今後もまだまだいろいろな戦争に付き合ってもらいたいので、ここは受けるしかありません。
ひたすら逃げ回りましたがハンガリー軍に捕捉され、ただでさえ少なくなっていた兵力が一層…。
結局戦争はオーストリアによる賠償金支払いにて和解となりました。
枯渇した人的資源が戻るまで、じっと雌伏の時です。
1513年、Humanismアイディアをコンプリート。
また1514年にはブルガリアを外交併合しました。
そのころ、オスマンは内乱に苦しんでいました。
画像には23kの陸軍が見えますが、このあと連中は反乱軍に敗北。
ほぼ全土が黒いシマシマに覆われた末、SaruhanとAydinが独立を果たします。
こんな世界は初めて見た。
一方、フランス地方でも初めての事態が。
15世紀の末にフランスはカスティリア・イングランドから並行して戦争を仕掛けられて敗北。多数の小国が分離独立しました。
その結果、ブルゴーニュがフランスを凌駕し始めています。
画像は1517年のものですが、なんてカラフル!
考えてみればブルゴーニュが消えずに生き残っているのも初めての経験。
最序盤にオーストリアをオスマン戦に引き込んだ影響でしょうか??