イギリス・オーストリア間で繰り広げられているポーランド継承戦争は、オーストリアが優勢。
ポーランド領をどんどん占領してゆきます。
両国との同盟を清算した我がイタリア。国力的にはもう単独で十分ですが、念のためにスカンジナビアと同盟を結びます。
歴史的な信頼関係などとは全く無縁の、打算の産物ですが、ま、よろしくな。
英・墺が疲弊するのを待つ間の事業として、1741年、フランスに宣戦。
1743年、フランスに退場してもらうとともに、次のイギリス戦を見据えてアイルランド北部を領有しました。
さて、少々さかのぼって1742年、ポーランド継承戦争が終結。
結局オーストリアはポーランドから5州を奪いつつ、同君連合自体は承認する形での停戦でした。
終戦後すぐに北米13州が独立戦争を開始、ポーランドも連携して独立を図ります。
もう少し待ったらイギリスがさらに弱体化するかな??
様子を見がてら、オランダからブラヴァントを恐喝。Zeelandとの陸路を確保します。
1744年、先帝の崩御に伴い、新帝Ermes I世が即位。(4.4.6)と極めて優秀です。
新帝Ermesを戴いたイタリアは即位記念とばかりにイギリスに宣戦。
(独立戦争中の今ならポーランド領に攻め込まなくていいんじゃね? と気づいたのが本当の理由)
スカンジナビアはまだついてきてくれません。
ドーバー海峡およびアイリッシュ海の制海権を握ると、11万人余りの圧倒的兵力をブリテン島に送り込み、ロンドンにて敵を殲滅。
更に後続戦力も続々と上陸させ、占領地域を拡大。アイルランド分遣軍も島内の敵要塞をじわじわと制圧してゆきます。
北方に気を取られている間に敵艦隊が地中海への侵入を企む一幕もありましたが
地中海入口のアイメリア湾に待機させておいたガレー艦隊がはね返し事なきを得ました。
(すっかり忘れていた。浮かべといてよかった)
1747年、英国が大陸に残していた2州およびLondon,Yorkshireなど、計6州を奪って停戦。
これでローマ帝国復興のために英国から奪うべき土地は奪取完了です。
なお、同年、ThirteenColoniesの独立闘争は不成立に終わりました。
1444年以来、300年近くも同盟を維持してきた我が国とオーストリア。
実に、歴史的友邦国家ともいうべき関係ではありましたが、
しかし、かの国がウィーンを首都とする限り、この戦いは予定されていた事でした。
悪く思うな。恨むならうち以上の速度で拡大できなかった己を恨め。
対英戦争で増えたOverExtensionが落ち着いた1749年、
ついにイタリア軍は敵意と共にオーストリア国境を越えました。
リトアニア領、ブランデンブルグ領はスカンジナビアに任せ、我が軍はオーストリア領を制圧。
怒りに燃えるオーストリア軍を物量で磨り潰してゆきます。
そして1751年、ウィーンを含む6州を割譲させて停戦。
これであとはフランス・イベリアの取りこぼしを回収すればローマ帝国が復活します。
1754年、スペインとの停戦がようやく明けました。
即座に宣戦。都合のいいことにブルターニュもついてきます。
戦争自体は特筆すべきこともなく。
海外領土の方が広い相手のため、戦勝点がたまるまで時間が必要でしたが、
1756年2月、イベリア・フランスに残っていた3州を奪って停戦。
かくして・・・
ローマ帝国が成立。
同時に実績「Mare Nostrum」も達成です!
十数度目のトライでようやく成功したオスマン退治に気を良くし、イタリア建国で見切り発車的に書き始めた本AARも
なんとか無事に当初の目標を達成することができました。
AARもひと区切り、なのですが1821年まであと65年ほど残っています。
どうしようかと考えたところ、ふと画竜点睛を欠いていることに気づきました。
ローマ帝国が再興している世界に、神聖ローマ皇帝などいう者がいていいはずがありません。
HREの解体を目標に、現在引き続きプレイ中です。
結果が出ましたら、またこの場にてご報告したいと思います。