さて、無事にローマ帝国再興を果たした我が国。
しかしこの世界にはまだひとり、ローマ皇帝を名乗る不届き者がいます。
神聖ローマ皇帝。
ローマ皇帝はただ一人で十分! というわけで
1821年までの65年で神聖ローマ帝国の解体を目指してプレイを再開しました。
HREに関してのルールはこちら。
要は、全部の選帝侯が敵か味方として参加する状況でHRE皇帝に宣戦し、
皇帝と敵方の選帝侯の首都を占領すればいいのね、と理解しました。
が、私はもっともっと注意深くこのページを読んでおくべきでした。
帝国解体のスイッチはHREの情報画面下部に常時存在し
上記の条件を満たしているとボタンを押すことができるのですが、
私はてっきり、和平交渉で皇帝相手に帝国解体を突き付けるんだと思い込んでいたのです。
この勘違いにより、私のプレイは混乱を極めることになりました。
いやほんと、正しい情報は大事ですね。
以下、私の混乱っぷりをご笑覧ください。
正直、失敗の記録みたいなものです。なるべく簡潔に。
1756年、ずっと手を付けずに来たスイスに宣戦。
当時は、いきなりゴールに飛び込むとまた暇になるので領土拡大もかねての箸休め、くらいの気分でした。
と、1757年、再興ローマ帝国初代皇帝Ermes I世が崩御。
彼は共和制ヴェネツィア時代に改選を重ねた元首Leonardo Emoと並ぶ、歴代最高の名君(4.4.6)でした。哀悼。
スイスとの戦争は1758年、属国化にて終了。
戦争ができずにいる1762年、ついに対抗同盟が結成されます。
構成国はポルトガルとアーヘン。その後オランダ、イギリスが参加しますが、もはや気になりません。
1762年、ようやく新帝Antonio I世が即位(4.0.6)。
さっそく翌年、対抗同盟もなんのその、イギリスとの間で戦端を開きます。
狙いはEnglishChannelへの影響力拡大と、1州だけ浮いているヨークシャーを自国領と陸路でつなげることです。
戦闘自体には苦しまないのですが、今回は前回の対英戦争時は独立戦争中だった(そして結局独立できなかった)ポーランドがついてくるので
占領すべき土地が広く、なかなか戦勝点がたまりません。
結局6年を費やして、1768年、ようやくイギリスから3州、オランダから2州を奪い、
またイギリスの属国だったウェールズをこちらの属国にして停戦しました。
この戦いののち、英国の植民地各国およびポーランドは改めて独立戦争を仕掛け、そしてついに独立を果たします。
さて、1771年、オーストリアとの停戦が明けます。
この少し前にHREの帝位には再びオーストリア大公が座りましたので、ラスボスということになります。
(上は当時のHREコンソール。よく見ればちゃんと「Dismantle HRE」のボタンがあるのにねぇ。。。)
選帝侯の一角、ボヘミアはオーストリアと敵対関係なので、早期の解体を狙うならボヘミアに仕掛けるべきでしたが、
まだまだ時間に余裕があるため、選帝侯の間引きとオーストリアの弱体化を図ることにしました。
人的資源が5ケタにまで減る激戦となりましたが、敵の戦力を磨り潰しきり、大半の国土を占領。
1775年、リエージュとブラヴァントを併合、オーストリアから5州を奪い、また3か国を解放しました。
小国を解放したのは、OverExtensionが厳しかったため、解放による友好度ボーナスを活かして外交属国化する狙いだったのですが。。。
すぐさまオーストリアが各国を選帝侯に指定。属国化ができなくなったばかりか、かえって事態をややこしくしてしまいました。
1778年、気を取り直して選帝侯ボヘミアに宣戦。翌年、属国とします。
これで残る選帝侯はオーストリアと同盟を組んでいるので、先の停戦が明けるのを待つばかり。
間のつまみ食いで1781年、三度イギリスに宣戦。ブリテン島の中部・南部をごっそり奪います。
そして1790年、いよいよオーストリアおよび選帝侯連合に宣戦です。
オーストリアの国力は2度の戦争でたっぷりと削いでおきました。
各国の首都を占領して、さて解体には何点の戦勝点が必要なのかなと和平画面を見ても、それらしき項目が表示されません。
あれ?? と混乱し、確認のためにオーストリアの同盟関係をチェックすると選帝侯のいくつかが同盟相手から外れています。
こちらが優勢になった後、ポーランドがハイエナ宣戦したため
既に全土を占領されていた選帝侯が参戦できずに同盟解消されたものと思われます。
くっそー、このせいか。ポーランドめ余計な事を、と誤解に基づいて憤りますがどうにもなりません。
国土を接する選帝侯は完全併合、国土が離れて併合できない選帝侯は属国化します。
これで全ての選帝侯はローマの属国となりました。
また腹立ちまぎれにオーストリアからも目いっぱい13州を奪いました(自国と属国ボヘミアへ)。
が、既に1794年。残り時間を考えればオーストリアとの停戦期間は最短に抑えるべきでした。
と、1798年、懲りないオーストリアはアーヘンを選帝侯に指名します。
もう余計な選帝侯は存在させない! そんな決意のもと、即座にアーヘンに宣戦。
オーストリアがついてくるので、ボッコボコにしつつ分離白紙和平。アーヘンは併合します。
1800年3月の終戦直後、今度はCleveが選帝侯に。即刻宣戦。
またもオーストリアが参戦しますが、奴の兵力は空っぽです。12月に再度分離和平。もちろん白紙です。
停戦が明けるのは1806年1月。
ジリジリと待つのもつらいので、イギリスに宣戦してブリテン・アイルランドの全領土を奪取。大英帝国は地上から消えました。
ちなみに同じくかつての植民地帝国だったスペインはアフリカ西岸に、ポルトガルはハワイを首都に生き延びていました。
どの国が一番幸せだったんでしょうか……。
さて、1806年、いよいよオーストリアとの停戦が明けました。
時間からして、宣戦できるのはこれがおそらく最後のチャンス。
選帝侯はすべてこちらの属国。今度こそすべての条件は整えた、はず。
ちょうどスイス相手に友好度上昇イベントが起きたので、慌てて関係改善の使者を追加で送り、ギフトも送って友好度190を達成。
AEが高すぎて諦めていた外交併合を開始してから、1807年、オーストリアとの間に戦端を開きます。
速攻で各地を占領しつつ、和平交渉画面を開く前に念のためにとHREコンソールを開いた時…
え? 何このボタン?
ようやく正解に気づきました。
というわけで、非常に締まらない形ながら、神聖ローマ帝国を解体しローマ皇帝位の統一を果たしました。
対オーストリア戦争はまだ続いています。
属国化したボヘミアはプロテスタントなので、改革派のローマとは友好度にペナルティがあり外交併合にたどり着けていませんでした。
しかし今なら連中に渡す州を奪える。
ボヘミアに改宗を強制してからオーストリアと停戦。
改宗で増えた独立志向をオーストリアから奪った州を渡すことで宥め、ボヘミアの外交併合を開始。
もはや君主点は余り気味かつこれ以上技術を上げても仕方ないので、政策を二つ(外交併合コスト減とDipRep+1)採用して速度を上げます。
かつての選帝侯ももう1国外交併合。
仕上げにオランダの欧州領を完全併合したりしていた1815年、皇帝が崩御し、摂政制になりました。
皇太子は0歳。もうゲーム終了まで戦争を仕掛けられません。
オーストリア戦の後で本当に良かった。。。
諦めて時間を進め、1819年、ボヘミアの併合が終わったところでゲーム終了です。
マンスターは属国。EastFrisiaはHRE外だったので同盟からの属国化を目論んだのですが、AEの壁で果たせませんでした。
Tax・Production・Tradeそれぞれから案外均等に収入を得ていますが、それでもTradeが頭一つ抜けていますね。
交易ノードの状況は下。ヴェネツィア・ジェノバ・ボルドー・セビリアで100%に。
画面外はアレクが83%、アレッポ94%でした。
英国海峡の影響度が低かった時の名残でシャンパーニュに商人がいますが、別の場所に派遣すればもう少し稼げそう。
狙ったもの以外に3つほど獲得しました。
≪All Your Trade Are Belong to Us≫は第1次対英戦争中、全土を占領した時に達成。
陸海軍力・州の数および発展度・収入および交易収入で1位。
Historical Scoreの2位がスペインというのは驚きです。
最後に取った2つのアイディアは、もはや大勢が決した後余ったポイントで取得したのであまり効果を実感しませんでした。
さて、長らくお付き合いいただいた本AARも今回が真の最終回。
今回、過去のヴェネツィアプレイでは触らなかったり、あるいはVer.アップで追加されたりした要素にあれこれ悩むのが楽しかったので
次はこれまで全く触れていない国にチャレンジしてみたいと思います。
初めての投稿で読みづらい部分も多かったかと思いますが、皆様から頂いたコメントはずいぶん励みになりました。
改めて御礼申し上げます。
お読みいただきありがとうございました。