西暦1556年。
ジェームズ1世はビザンチン帝国領回復運動の一環として海の都ヴェネチアに宣戦布告。
皇帝の野心を見抜けなかった間抜けな大使である私は和平交渉の席で心身共にうなだれていた。
もはや全土を征服したヴェネチア共和国に選択の余地はなく、東地中海の中継点に当たる島々全てをビザンツに返還することが強制された。
「もう一つ提案がある……これは貴国に拒否する権利を与えよう」
勝者の視線を感じる。
無礼を承知で上目遣いで皇帝の表情を窺うと、今までの厳しい交渉の席とは違い微笑を浮かべていたことが私には不気味に思えてならなかった。
「ヴェネチアに対して百年の不可侵条約を結ぶ――帝国の友邦に宣戦した場合はその限りではないが――引き換えにイングランドからの留学生を迎え入れてもらいたい」
皇帝の提案の意味を私は図りかねた。
この強大な帝国と不可侵条約を結ぶことは我が国にとって願ったりかなったりである。
しかしその提案のどこにイングランドにメリットがあるのだろうか?
私が意を測りかねて黙っていることを察した勝利者は話を続けた。
「我が帝国は確かに並び立つものがいない強国となった。だが一方であらゆる帝国を滅ぼした病理に蝕まれつつある」
「病理……ですか?」
「退廃という名の病だよ。特に外国からの侵略される危機がなくなった本国―ブリテン島の貴族の間で広がりつつあるのだ。我々は征服した土地を治める為の人材を広く募っているが帝国に編入されたばかりで地位を求める者はまだしも、本国の家臣は安寧に浸って外に出ようとはしなくなった」
皇帝は立ち上がり、私の肩に手を置いてわざとらしい溜息をついた。
「何が足りないのか余は考えた。……そう、刺激だよ。ランカスターの夢を担う者としての自覚を促すのに必要なのは世界の広さというものを痛感することだ。その刺激を留学という形で若者に与える」
「それに相応しい場が我が国であると」
皇帝は重々しく頷いた。
この提案、わざわざ本国に持ち帰らずとも結論は定まっているようなものだ。
「お受けしましょう。ただし、不可侵条約遵守がランカスター王室の義務であるということを治世録に記していただきたい」
私がこの国の大使として赴任してから始めてこの皇帝が驚く様―一瞬だけだが―を見れたような気がする。
ちょっとした意趣返しのつもりで提案したことだが、敗戦交渉で鬱々としていた私の気分は少しだけ晴れた。
「治世録の存在を知っているとはさすがヴェネチア共和国大使殿……だが貴君は一つ大きな勘違いをしている」
宮廷歴史家制度はイングランドの公の制度である以上、その存在は深く探らなくてもわかることだ。
確かに私が中身まで知っているわけではないことも事実だった。
「治世録、回顧録にその一文を加えることを約束しよう。しかし一族が語り継ぐ御伽噺には次代の君主を縛る強制力など何一つ持たない。大使殿が期待しているような効果は望まないほうがよい」
そして皇帝は結んだ。
「……それにしても貴君が御伽噺の中身を知らないようで安心したぞ。その中身までもが知られているようならば、とある一族の首を全て切り落とさねばならなかった」
~ 英国担当ヴェネチア大使が本国に送った講和交渉記録より ~
1560年、ジェームズ1世の喪が明けぬ内に弔い合戦と称し、新たな皇帝ジェームズ2世はポルトガルに宣戦布告した。
もはや首都リスボンのみとなっていた王国はまたたくまに占領され、属国となることで生存を許された。
この段階ですでにジェームズ2世は前王の遺言を無視していた。
「ポルトガルは併合せねばならぬ」
まだプリンスオブウェールズだったジェームズに対して、皇帝はそう告げていた。
それに対してジェームズ2世の狙いは明白だった。
新大陸利権の確保と同時にポルトガルを属国として生かすことで植民活動を担わせようとしていたのである。
ポルトガル公国を従えた新皇帝の下に外務大臣ベレフォード卿が青い顔で飛び込んできたのは講和から2週間後の事だった。
「陛下……ポルトガル属国だったカリブ植民地が独立を宣言いたしました」
「どういうことだ。ポルトガルにはイングランドに従うよう各植民地政府に通告させたのだろうが」
「もちろんでございます。しかしながら陛下、植民地政府にイングランドの貧弱な海軍力では新大陸を支配することは適わぬと見抜かれているのでしょう」
額に青筋を浮かばせて皇帝は拳を強く握った。
「宜しい。帝国に歯向かうものは全て敵である。今すぐ新大陸へ向かう大艦隊を組織せよ!」
ここにイングランドの新大陸征服が始まりを告げた。
ジェームズ2世は身近にいた前皇帝を越えなければならぬという焦燥感を抱いていた。
出自の怪しげな者に劣るようなことはあってはならぬという偏った思想もその一因だった。
それがイングランドを終わり無き侵略という底なし沼に足を踏み入れることに繋がるのである。
そして1566年、自分の治世が偉大なものであることを誇示するようにジェームズ2世は一つの決断を下す。
イングランドは国名をグレートブリテンと改名。
この案は彼がウェールズ王子だった時に皇帝に提案したものの却下された事だった。
ジェームズ2世は自らの治世になった途端にその案を無理やり通したのである。
ユニオンジャックがはためき、ブリテン本島の人々は歓喜した。
一方でグレートブリテンという国名が示す通り、ブリテン中心の政治を行って怠惰で退廃したブリテン人を越え太らせる為に搾取するのではないかと属国の民は危惧していた。。
すでに本国辺境においても中央から派遣された執政官による不正が公然と行われており、それを半ば皇帝は黙認している節すらあったのだ。
それでもまだその不安は芽の段階だった。
大英帝国は侵略で得た富を浴びせかけることでその不満を覆い隠していたのである。
~ 宮廷歴史家 アンドリュー・ギボン著「ジェームズ2世治世録」 ~
1574年、神聖ローマ帝国皇帝ジェームズ2世はReform the Hofgericht(宮廷裁判所の改革)を宣言。
1577年、大英帝国皇帝ジェームズ2世は教会を完全に支配下に置いた。
もはや大英帝国の許可無く枢機卿になる道は閉ざされた。
1579年、カステラ王国はスペインに改名。
前年にナポリを失ったスペインは対イギリスの対抗同盟を提唱するが、イングランドの剣の地道な努力が実を結び、欧州各国から信頼を得ている帝国に歯向かうものは続かなかった。
神聖ローマ帝国領域を荒らしていたデンマークは過剰なプライドに支配されている皇帝の逆鱗に触れ、ノルウェー領域を全て失う。
ヴィンランドに辿りついた末裔に対し、大英帝国は自由な植民活動を許可する。
ひたすら栄光ある征服事業を続けているジェームズ2世擁する大英帝国に一つの問題が持ち上がる。
後継者を誰とするのか?
前皇帝は遺言として女王を許さなかった。
これは女王が君主になれば神聖ローマ帝国皇帝の座を手放すことに繋がるからである。
その意図は政権の中枢を担う国務大臣達は充分に理解していた。
事態を複雑にしているのはジェームズ2世の子供は女しかいないこと。
そしてジェームズ2世が老境の域に達しても後継者たる男児を指名しようとする素振りを全く見せなかったことにあった。
何度家臣達が促したところで、言葉を濁して後継者問題から逃げ回っていたのである。
一方で大臣達はその問題にばかり専念しているだけの余裕がなかった。
広大な帝国を維持するだけでも大変なのに更なる侵略の計画、属国の心を繋ぎとめる為の政策、神聖ローマ帝国及び教会の改革と成さねばならぬことは山とあったのである。
こうして後継者問題が有耶無耶になったまま時は過ぎ去る。
……1590年、ジェームズ2世突如崩御の知らせが大英帝国を駆け巡る。
回顧録を記録する間もない突如の死だった。
家臣達は唖然とした。
ジェームズ2世は後継者を指名せぬまま逝ったのである。
「どうすればいいのだ」
「このままでは王を僭称する者が乱立して帝国が分裂してしまう」
紛糾する中、一人の家臣が呟いた。
「そもそも英国に後継者を指名する伝統などない。マリー女王の場合は子がいない為の緊急措置であり、ジェームズ1世は王位に就任した際に子の王位継承権を放棄していた。ここは法に則って後継者を定めるのが筋であろう」
この意見は賛同された。
神聖ローマ帝国皇帝位にしがみついて大英帝国が分裂したのでは本末転倒であることがわかりきっていたからである。
イギリスの継承に関する法律は女君主を拒まない。
故に直系の男子がいない場合、後継者となるのは偉大なる女王と同じ名前を持つ前皇帝の長女マリーだった。
知恵ある大臣の中には王が後継者を指名しなかった理由がこの一時にあったのだと悟った者もいた。
面と向かって後継者を長女マリーと宣言した場合、苦労して手に入れた神聖ローマ皇帝位を手放すことから重臣達が猛反対することはわかりきっていたからである。
名門貴族出身のジェームズ2世は自らの血と家の繁栄を価値観の重きに置いていた。
そんな皇帝にとっては自らの血を色濃く受け継ぐものに大英帝国君主の座を継承させることは権威無き皇帝位にしがみつくことより重要なことだった。
ジェームズ2世はマリー1世の夢、ランカスターの夢の外の住人だった。
こうして西暦1590年9月、マリー2世・ランカスターの治世が始まった
30歳で即位した女王は後継者としての教育を何ら受けておらず、皇帝が愛してやまない美しい娘であり政治のことなど何も知らぬ優しい母だった。
そんな女人が帝位に就く事に重臣は一抹の不安を覚えたが、懸念を振り払う。
そう、新たな女帝の傍らには忠実なる一人の騎士が控えていたのだ。
かくして新たなる女王の御伽噺が幕を開く。
~ 宮廷歴史家 アンドリュー・ギボン著「ジェームズ2世治世録」 ~
時はマリー1世の死後、1524年まで遡る。
ロンドンを発つ日、二人の狂信者は決め事を交わした。
ダドリー家の家訓は唯一つ。
「ランカスター王家<マリーの後継者>に対して絶対忠誠を誓う」
その家訓を守る為、二人は手段を定めた。
オリバー以降のダドリー家は剣を捨てる。
これはこの夫妻が一致した認識に基づいていた。
将としての立場では常に傍らにいて主君を守ることができない。
オリバー・ダドリーが最も痛感していたことであり、メアリー・テューダーの冷静な現状認識はそのことを解していた。
ダドリー家が家訓を果たすために身を置くべき場所はもう一つの戦場、宮廷闘争にあることは明白だった。
次代のレスター伯はけして表舞台には立たなかったが、裏で古参のイングランド貴族と新参の征服され臣従した貴族達との利害調整役として帝国の安定に貢献していた。
この隠れた騎士の存在は大きく、デイビッド・ハウ元帥とヨーク公ジョージは後顧の憂い無く征服事業を続けることが出来たのだ。
更にオリバーの孫(3代目レスター伯)は大英帝国の成立後、高まる両者の緊張を緩和する為になくてはならぬ存在にまでなっていた。
ダドリー家の支配者メアリーは子供達に王家への忠誠を洗脳するように吹き込み続け、立身出世の為の宮廷闘争に陥って王家の足を引っ張る真似をしないように子孫を戒めた。
もう一人のマリーも1565年に没する。
ダドリー家を牛耳っていた狂信者がいなくなったことで3代目レスター伯は束縛から解放された。
そんな折、ジェームズ2世の娘であるマリーを誰に嫁がせるのかという問題が持ち上がる。
外国の王家の血を入れることは皇帝が反対した。
しかし国内の有力貴族から嫁がせたのでは古参貴族と伸長著しい新参貴族の間の政治的均衡が崩れてしまうことが懸念されたのである。
そこで推挙されたのがレスター伯だった。
両派閥のバランサーであり、無難な立ち位置を維持し、イングランドの盾として名高い忠臣の子孫であるブランドは全ての人間に安心を与えた。
三代目レスター伯の孫にあたるリール子爵ウィリアム・ダドリーはこのような経緯の元、マリー姫の婚約者となった。
メアリー・テューダーが存命なら分を弁えぬ行為であると激怒しただろう。
それでも二人の狂信者の執念は実を結んだ。
最も必要な時、必要な位置にランカスター家の女王に忠実なる騎士を送り込めたのだから…。
第五話 ~大英帝国誕生~ 完
次回 第六話 ~ランカスターの夢~ に続く。