「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
マリー姫は幼い頃、そう言ってのけた。
傲慢で世間知らずのお姫様の発言として実に相応しいものだった
彼女は女王に即位後、集まった臣下に告げた。
「平和を欲するならば一つの国が世界を統べれば良いのよ」
平和の為に戦い続ける。
この発言の矛盾に当人は何ら疑問を感じていなかったようだ。
~エドワード・ギボン著「大英帝国興隆史」より~
……それは誰もが戦争の潮目がフランスに傾きつつあるのを感じ取っていた西暦1444年の出来事でした。
面白い見世物があると陛下に誘われて、ウィンザー城謁見の間に招待されたのです。
そこには顔を白粉で塗りたくり仮面をつけていないのに常に笑みを浮かべている道化師のような男がいました。
道化師の傍らにはこれまた見たことの無い、茶色く尻尾の丸まった犬がおりました。
道化師は見たことの無い踊りを舞い、聞いたことの無い音色を笛で奏でました。
派手さはないものの厳かな調べに酔いしれた国王は道化師にこう尋ねたのです。
「汝はどこの出身なりや?」
道化師は彼方を指差し答えます。
遥か東方より出づるものと。
陛下の心を掴んだ道化師の会話術も心得たものでした。
いつしかその話題は家臣達に操られるままの政治に対する愚痴、止まぬ戦争に及びました。
幾つか相槌を打ちながら話を聞いていた道化師は突如こう言ったのです。
「陛下はこのままでは失意のままに王位を失うでしょう」
一瞬憤怒の表情を浮かべた陛下でしたが諦めたように落胆しました。
そして道化師に尋ねました。
どうすればよいのか、と。
三軍の将の内、一人を見せしめに解雇して王の権威を示すこと。
王自ら軍を率い、勝利を掴むこと。
……そしてイル・ド・フランスを征服しフランス王となること。
道化師はその後の王の質問にも的確に答えていたようです。
ここから先は女の立ち入る領域ではありません。
私は丁寧に道化師に礼を述べ、重い腹を抱えてその場を辞去しました。
~王妃マルガレーテ・ランカスターの述懐~
和平を請い自らの安寧のみ願っていた国王が自ら軍を率い、プロヴァンスへ旅立った翌年のことでした。
ブルガンディを牽制する為にハプスブルグ家から嫁いできたマルガレーテ妃が長女マリーを無事出産したのです。
この赤子こそが未来の英国女王メアリー・ランカスターでした。
後のイングランド=フランス同君連合時代にはフランス風にマリーと呼ばれることが多くなり、そちらが定着したようです。
しかし未来の英国女王が生まれた年はヘンリー6世が慣れぬ戦に苦労していた時期でもありました。
プロヴァンス攻略へ向かった国王でしたが撤退時期を誤ってあわや戦死の危機に陥っていたのです。
この決死の国王による陽動作戦は成功しました。
手薄となったノルマンディー包囲軍をヨーク公リチャード率いる主力軍が打ち破り、一方でフランスを転戦しているリチャード・ネビルはボルドー方面で勝利を掴みました。
ノルマンディー、ボルドー、プロヴァンスの三方向からフランスを攻撃し、苛立たせ、出血を強いる戦略は確実にフランス軍を弱体化させていきました。
ついには国王陛下自ら率いる兵がプロヴァンスを陥落させ、これに慌てたプロヴァンスは敗北を認めこの戦争から離脱したのです。
この快挙によりヨーク公リチャードは王位簒奪の目論みを諦めたと噂されています。
これにて戦争は一気にイングランド有利となりました。
今の内に幾つかの領土を割譲させて戦争を終わらせようという雰囲気が宮廷に流れた時、国王は言い放ちました。
「余がフランス王となる日までこの戦争に終わりはない」
ここまで敵に出血を強いることに徹していたイングランド軍はノルマンディー方面に全軍を集結。
Cauxにて決戦を挑み、勝利しました。
後は余人の知る通りパリは陥落しシャルル7世は幽閉されました。
1449年、ヘンリー6世はフランス王となったのです。
イングランド=フランス王国に栄光あれ!
~ 百年戦争回想録より ~
私が13歳の頃だから西暦1458年のことかしら。
あの戦争から5年が経過していたのだけれど私の国は戦争から未だ復興していなかった。
父上は戦争時にあれほど奮闘なさったのに王位と平和を手にした途端に政治に対する熱意を失ってしまったようね。
持病のような精神疾患も日に日に悪化して苦しんでいた父上を見ているのは辛かった。
フランス王位を手にした反面、周囲から警戒されていた私の国はヨーク公リチャードの差配でアイルランドを外交手段で属国に置こうと尽力したと聞いているわ。
全くレスター伯やヨーク公の王家に対する忠義は立派なものだこと。
そんな折、私はパリに行きたいと父上に頼んだわ。
ウィンザー城しか知らなかった私は外の世界を見てみたかったの。
……父上は猛反対。
今だからわかることだけれど、大事な一人娘がドーバー海峡を渡ってパリへ物見遊山したいなんて言って許す親はいないわ。
それでも当時の私は分からず屋の父親を心の中で詰り、小さな騎士を伴って家出したのよ。
あっさり抜け出せたから「私達ってすごい!」って当時は思っていたのだけれど、世間知らずの娘を暗殺しようとしていたヨーク公の差し金だってまるで気付いていなかったの。
その事は本題に関係ないから子供達の冒険譚に話を戻すわね。
紆余曲折、遥々辿りついた場所は華の枯れた都だった。
糞尿の臭いが立ち籠め、飢えた者達が戦争を繰り返すランカスター家に対する怨嗟の声をあげている。
そんなパリの街並みに若い頃の夢見がちな少女は衝撃を受けたわ。
世界の一端を垣間見た少女が無事宮廷に戻り思い悩んでいた頃……
散歩をしていると庭に犬がいたの。
茶色の艶やかな毛並みにまるまった尻尾が特徴的な、見たことの無い雑種犬。
「お前が欲するものは何だ?」
犬、犬、犬。
犬が喋った?
そう、これを100年の封印指定にした理由はこれなのよ。
ヘタに喋ると信仰の擁護者たる私が魔女扱いされては後々困ることもあるでしょう。
犬が喋った衝撃を受け止めきれず暫く黙っていたけれど、何度も話しかけてくるから仕方が無く純粋無垢な少女は答えたわ。
「限りない贅沢を心置きなく楽しむことよ」
人々はまるで信じないけれど、昔から今に至るまで私の動機は常にこれだった。
私は昔から女王として生まれ、育てられてきたから未だにレスター伯の助言が無ければ市井の民の気持ちなんてわからないし理解できない。
自分が楽しむ為に私の民を飢えさせないようにしているにすぎないわ。
犬は何も言わなかった。だから私は続けた。
「けれどパリを見てから、心置きなく楽しめないのよ」
何故だ、と犬は再び私に問うた。
「私は民がランカスターを敬い、賞賛していると信じていたから無邪気に贅沢を楽しめたの」
「ならば聡き未来の英国女王よ。貴様の政で民がランカスターを敬い、賞賛するようにすればいいではないか」
「私が自ら?政事のことなんてまるで教わったことがないのに?」
「書から、人から、自然から、摂理を学べ」
私が二つ瞬きをする間に犬はいなくなった。
あれはキリストが使わせた神の使途だと信じた私は学び始めた。
そして、私は女王となった。
~ 宮廷歴史家 チャールズ・ギボン著「マリー1世・ランカスター女王回顧録」~
1468年、正常と非正常の境目を行ったりきたりしていたヘンリー6世は崩御した。
イングランド=フランス王国の次期君主はまだ23歳のマリー・ランカスターだった。
幾度も玉座を狙う貴族達による暗殺の危機から逃れた女王は即位に際し、傍らに控えていた「イングランドの盾」「中世最後の騎士」と名高い将来のレスター伯オリバーにこう言った。
…民は私を幸運に守られて即位した女王だと言うけれど
「神に選ばれた私を殺すなんて、私自身を含めて何人たりとも不可能。これが自然の摂理というものよ」
これが何者も恐れぬ傲岸不遜な女王の治世の幕開けであった。
第一話 ~パリに降り立った少女~ 完
次回 第二話 ~傲岸不遜な女王と忠実なる騎士~ に続く。