前回はユダヤ化してすぐに投了してしまったので実感が湧かなかったが、ユダヤ化には
想うにムスリムにPietyが利用可能なのは、全体的に貧しく汚職対策に費用を投じられないイスラム圏の救済措置ではなかろうか? 仮にさほど拡張せず、汚職を抱え込んでいなければ"貨幣改鋳(汚職+2)で資金獲得→Piety消費(汚職-2)で打ち消す"こともできる
左が1594年、右が1615年
などのデメリットもある
というかデメリットしかない。このシリーズでは"ユダヤ教の布教"という目的が先にあってMughalsを利用したので割り切れるが、 単にMughalsで拡張するならイスラム以外に国教を変更する必要は殆どない。せいぜい限られた面でダルマ宗教が多少の優位性をもつくらいか
1615/06 当時の改宗の様子
宗教+交易ポリシーを有効にしたものの、大聖堂がなくDicision未実施で文化同化も済んでいないので州布教強度が低い(+4.7%) まあNajdの伝統(布教強度+2%)がなければ+2.7%なので、恵まれている方ではある
1616/03 イベント"外交顧問の名前"で威信+50、DIP+25
普段なら安定度+1の方を選ぶが、反乱要求受諾で威信が下がっており属国を宥める必要もあったので
1616/06 Chagataiを辺境伯に任命。"宗教の強制"で独立欲求が高まり、宥める意味合いが強かった
"辺境伯に任命"を利用したのは初めてだった(辺境伯そのものは昔Ottomansでプレイした際に経験したと思う) つい最近まで辺境伯の利点をあまり理解していなかった(少し軍量が増える代わりに併合できない、くらいの認識) "Enable_Send_Officer"(士官派遣の許可)で軍質を大幅にアップ(士気+20%、規律+5%)できると知って、試してみたいと思っていた
1616/06 Chagataiとの交渉で"士官派遣の許可"を有効化
Chagatai軍が大幅強化されたはずだが、軍量の問題もあってかゲーム終了までその効果を強く実感する機会は乏しかった
1616/09 欧州情勢
宗教戦争はBohemia率いるカソリック陣営が勝利した
1616/11 (1.4.2)の後継者が成人。性格が"Scholar"(学者=技術コスト-5%)
当時はDIPを必要としていたので能力的にそこまで悪くはなかったが、Dicisionのためには統治スキル3以上が欲しい 迷った末廃嫡ではなく将軍化しておいた。問題の先送りとも言う
1616/12 Kilwaに"宗教の強制"
"辺境伯に任命"&"士官の派遣許可"+DEVポチ等でChagataiの独立欲求が50を下回ったので
1617/06 Vijayanagarに宣戦布告。敵同盟Bengalを共戦国に指定(他に同盟はなく追加参戦国なし)。Malaccaに参戦要請
1618/05 Bengal個別講和。5州割譲+同盟破棄+金銭
1618/07 Vijayanagar終戦
請求権を持つ州はまだあったものの、借金に苦しんでいたので即金MAXも要求
OE(Over_Extension、過剰拡大)で国家不穏度が+1を超えたので、開戦すればちほちゃんとのデートが始まる
1618年の収支と領土
属国 Chagati(辺境伯、今後も同様) Kilwa 同盟 Ottomans Malacca Lan_Xang 前話の最後と比較すると、赤字幅の削減には軍縮よりも収入増が寄与したらしい。インドの残りも減ってきた
包囲網だかなんだか知らないが、ただ、各個撃破されるだけじゃないか。
1618/12 Arakanに宣戦布告。包囲網解除。Malaccaに参戦要請
宣戦布告時には遠距離を理由に断られたOttomansも、開戦直後Mamluksの参戦を受けて要請を受諾
デート開始。機嫌を損ねないように注意
どうでもいいことだが、"デート"の後で"遠距離を理由に断られた"とか書くと まるでMughalsがOttomansに遠距離恋愛を申し込んで玉砕したようで、変な気分になった 「違うから、僕はちほちゃん一筋だから!」
1619/04 ミッション3-7達成。20年間騎兵戦闘力+10%
1619/08 Mogadishu、翌月Mombasaとそれぞれ個別講和。いずれも同盟破棄等
1620/01 Vijayanagar戦で獲得した州のコア化が進み、このままでは国家不穏度が1を下回りそうになる
このままではちほちゃんが怒って帰ってしまうので、やむを得ずコア化をキャンセル→無事にデート継続
別口で戦争を起こしOEを増やせるようにしておくなど、対策を講じておくべきだった。計画性の無さが露呈した この時キャンセルした州は、幾らかの余裕を持ってデート終了(国難開始)後にコア化が完了するように逆算して、後程コア化を再度開始した
1620/06 Chagataiに3.59ducats/月の補助金を支給開始
ようやく属国の自力改宗には補助金が有効だと教えてもらったことを思い出した とはいえMughals自身も借金に追われる立場だったので、金額は少ない(とはいえChagatai目線では月収の30~40%くらいには相当)
1620/12 イベント"Corruption"で下を選択し、政府改革進捗-25
既に第6段階まで選択済みであり、第7段階に目ぼしい効果を持つ改革もないので然程痛くはなかった
1621/10 ちほちゃんとのデートが完了し、お付き合い(国難)が始まった
絶対主義はカンスト(国難開始で最大値が減る前からカンストしていた)済みなので下を選択
この時の選択肢についてだが、作者は殆ど(全部かも)の世界線で下を選んでいる。理由は
また今回のように大半の州の自治度を国難前に下げたばかりだと、cooldown(冷却期間?自治度の変更可能期間)に引っ掛かり 国難終了直後には再度下げることができず、いつの間にか自治度下限まで下がっていることもある
1621/12 Orissa個別講和。同盟破棄等
1622/01 Ethiopia個別講和。コア放棄等
1622/07 Sadiya個別講和。請求権を持つ3州を割譲+金銭→ミッション1-4達成
1622/07 Assam個別講和。完全併合
1623/05 最初の時代能力として"Administrative_Efficiency"(統治効率+5%)を獲得
Harsher_Treatment(過酷な処置コストー50%)と迷ったが、軍事点が余り気味だったのでこちらを優先
1624/02 (1.4.2)学者の後継者が行軍中に死亡
威信を消費せずに済んだ。次は統治スキルが3以上の後継者が生まれると良いのだが…
1625/01 10口まで借金を重ねて世界交易を受容。費用は6252.83ducats→統治と軍事を1Lvずつ上げ、技術水準は(18.17.18)に
→新しいアイデアグループがアンロックされたので、探検アイデアを②まで取得
→原住民政策を"Native_Repression_Policy"(抑圧政策=植民地成長+20/年)に設定し、ソマリ文化州に入植開始
ソマリ文化(クシ文化グループ)の4州については、以前部隊が近くを通った際に"原住民を攻撃"して人口0にしておいた 探検を取得したことでTerra_Incognitaが減って海上移動は便利になったものの、 諜報アイデアの取得が遅れたことで汚職を抑えきれず、1682年に諜報をコンプリートした頃には汚職が+11まで膨れ上がっていた
1625/01 Mamluks個別講和。アラビア半島沿岸の6州割譲+金銭
1625/02 Mamluksからの州獲得でAEが閾値を超えたらしく、Malaccaに同盟破棄される→これで外交枠超過状態は解消された
どうせその内侵攻を予定(ミッション報酬でマレー半島の請求権が貰える)していたので然程痛くはない 同じ陣営で戦争中に同盟を破棄すると安定度が下がるはずだが、Malaccaの安定度は+1 元々+3で外交アイデアをコンプリートしていたのだろうか?それとも破棄後にADMを消費して上げた? よく見たら君主がかなり有能。うちの後継者に転生してほしい
1625/07 Haasa個別講和。コア放棄+同盟破棄等
1625/11 借金が20000ducats近くあったので、一時的にROC(Root_Out_Corruption=汚職対策費)を0に下げ、辛うじて黒字(+16.67/月)に
1626/11 Arakan終戦。この時代にしては大きな戦争で、自陣営に402k、敵陣営に285kの犠牲が出る
見ての通りLan_Xangも怒らせてしまい、同盟破棄された。結局Lan_Xangと同じ陣営で戦うことはなかった そもそも今回の包囲網に入らなかったことが同盟していたメリットではあるが、外交枠超過で失ったDIPを補う程のものではない
ちなみにMughalsの犠牲者が132k、Ottomansが202k(内損耗136k)、残り70kの大半はMalaccaの犠牲者だった
なるべく西部戦線はOttomansに、東部戦線はMalaccaに任せたつもりだったが、南部戦線(Ethiopia以南)やイベント反乱の鎮圧でMughalsの犠牲が増えた
結果的に8年前の開戦時に比べて、Mughalsの人的資源は-18480減少した
Ottomansの人的資源は+100000くらい減少したと思う。大切な友(番犬)が貴重な仲間(肉壁)を失い、 かける言葉なんて1つしか思いつかない 「…次もよろしく」
1626/11 Kilwaの外交併合開始
1626/12 外交枠が空いたのでMoroccoと同盟
アジアなどの近隣諸国は敵ばかりだった。The_Papal_Stateなど欧州の中堅国も応じてくれそうだったが、 Mamluks戦に呼べる日を夢見てMoroccoと同盟した→暫く後でMoroccoはMamluksと同盟していることに気付いた
1627年の収支
陸軍縮小&維持費最低で黒字を確保
1628/10 (4.2.4)の後継者誕生。外交スキルは低いが仕方ない
1628/12 Hsipawに宣戦布告。敵同盟はTaungu、Lang_NaでTsang裏切り
1630/01 SpainがMoroccoに宣戦布告。仕方なく参戦要請に応じた
なぜか自分の頭の中ではMoroccoはOttomansと同盟していると思い込んでいた(恐らく100年近く昔の情報) Ottomansが弱り過ぎて裏切ったのか!?と思ったが同盟していたのはMamluksだった いずれにせよMughals領まで来ることはないと思ったので、殆どの要塞はMathballのままだった
1630/03 Taungu個別講和。白紙和平
1630/03 Hsipaw終戦。Lang_Naと共に完全併合
1630/06 (0.6.6)の皇帝崩御。まだ42歳で将軍にも任命していなかった。(2.3.3)"Industrious"(勤勉=交易品生産量+10%)の皇后による摂政体制へ
君主の退位や後継者の廃嫡のように、配偶者も取り除くこと(出家とか?)が出来ればいいのに 後継者がまだ1歳なので、14年後までDecisionを実施できない
1630/11 Spainの植民地を接収(Seize_Colony)。2年後に下のBELITUNG州も同様に接収した
翌月植民完了
あまり大きな声では言えないが、人が頑張って育てた植民地を横から掻っ攫うのが好き
特に完了が近いほど出し抜いた感じがして気分がよく、逆に上陸や占領がほんの少し遅れてコロニーが完成してしまうと非常に悔しい
物量で殴るのも完全併合も好きだけど、"植民地の接収"はこのゲームをやっていて高揚する瞬間BEST3には入る
ちなみに他の候補は
など。小国序盤のギリギリの会戦勝利も達成感はあるが、上記のような"してやったり"感や"出し抜いた"感はこのゲームならではの魅力だと思う
1631/10 無事にちほちゃんとゴールイン。絶対主義の最大値+20
1634/01 PortugalがMoroccoと個別講和。白紙和平(※)
→翌月VijayanagarからGOA州を購入し、Mughalsと隣接したため聖戦CBが利用可能になった。停戦明けが待ち遠しい
1634/02 Vijayanagarに宣戦布告。孤立していた
1634/08 SpainがMoroccoと終戦。白紙和平(※)。MoroccoのFavorを9稼いだ
自陣営に98120、敵陣営に151kの犠牲が出たが、Spainは何も得られなかった Mughalsにも33314の犠牲が生じたが、前述の植民地×2を接収したことで両軍通じて最も得をした国家となった
1635/02 Vijayanagar終戦。
請求権とミッション進行を念頭に置いて100点分領土割譲
1635/03 絶対主義が100を超える(105)
4年前の国難終了時は69だったので、+36された計算になる。まだHarsher_Treatmentは未獲得なので、終戦後に州の自治度を下げた? いずれにせよ、統治効率が+55%(絶対主義100で+40%、統治技術で+10%、時代能力で+5%)で諸々有利に
1635/06 Taunguに宣戦布告。孤立していた
1636/04 2番目の時代能力"Harsher_Treatment"(より厳しい処置=過酷な処置コスト-50%)獲得
1636/11 Taungu終戦。7州割譲等
1637/01 Orissaに宣戦布告。
1639/01 Orissa終戦。完全併合。ミッション5-7達成
沿岸部の高DEV州を含め15州を一発併合。統治効率のおかげだと思う
1639年の状況
収支&領土
属国 Chagatai Kilwa 同盟 Ottomans Morocco 軍縮により大幅黒字。陸軍扶養限界273に対して保有部隊数は83。人的資源が増えていく(※) 緊縮財政のおかげで借金が減ってきた
同化済みの文化
緑が同化済み、黄緑は主要文化
その他情報
1639/05 Mogadishuに宣戦布告。敵同盟のSakalavaを共戦国に指定し、Mombasaも参戦
1639/06 ミッション4-5達成。首都がCENTRAL_DOAB州に移動し"FATHEPUR_SIKRI"に改名
報酬で首都が移動されるミッションが戦中に達成可能なのが意外だった Decisionではないからセーフなのか
1640/02 Mogadishu終戦。3国まとめて完全併合
外交点の浪費も避けられて嬉しい
1640/03 Mamluksに宣戦布告。Ottomansに参戦要請。敵同盟はGreat_Horde、Morocco、TripoliでHaasaを共戦国に指定したのでWaesangaliも参戦
Moroccoめ、散々世話になっておきながらよくも裏切ったな~(別に"誰よりも信頼"と呼べるほどの関係ではなかったが) 戦力比は半年後のもの
1640/03 借金が減ってきたので旗艦製造開始。ボーナスは旗艦砲撃、艦隊戦闘幅、艦隊移動速度に振った
いつの間にか消えていたので、どこかで沈められたのだと思う まあ、重装艦が必要なのはGreat_Britainとの初戦で本土上陸するときくらいなので…
1640/08 当時の軍量
DEV合計では断トツ(2位Mingの3倍以上)のMughalsが軍量では6位。扶養限界ではMamluksと200以上の差があるが、実働数は大して変わらない
1640/12 Great_Horde個別講和。同盟破棄等
1641/02 Warsangari個別講和。完全併合
1642/06 Haasa個別講和。5州割譲等
1643/04 Morocco個別講和。白紙和平
1643/11 (4.2.4)の新帝即位。性格は"Navigator"(海洋探検家=船舶耐久力+10%)
→ようやくDecisionを実施可能になり、布教強度+2%(但し異教寛容度-1)
ユダヤ化に遅れること28年、やっと事前想定の国家布教強度+13.5%へ あとはクシ文化グループの同化(ボーナスで宣教師+1)を急がねば!
1643/12 Mamluks終戦。自陣営の犠牲が176k(内Mughalsは65112)、敵陣営の犠牲が171k
地中海へのアクセスを得た。これでイベリア勢の本土を狙える
1644/06 ミッション4-6達成
1644/06 イベント"Relentless_Drill"でArmy_Professionalism+1%、10年間陸軍士気+15%
1644/09 Ethiopiaに宣戦布告。孤立していた
1645/11 第3の時代能力"Edict_of_Absolutism"獲得。他に欲しいものもなかったので
1646/01 Ethiopia終戦。クシ文化グループ征服には4州足りず。
100点講和で停戦期間が長い。Ethiopiaがどこかと同盟してくれることを期待
1646/07 外交枠が空いたのでGreat_Britainと同盟
将来のSpain戦で新大陸を任せたい
1646年の状況
収支と領土
属国 Chagatai Kilwa 同盟 Ottomans Great_Britain 汚職対策を最大まで増やしたので黒字幅が縮小。見ての通りそれでも汚職は増加中。諜報アイデアが遅れているので仕方ない
宗教
5人体制で、補助金の額が小さいので属国による自力改宗はほぼない 国家布教強度は13.5%まで達したものの、大聖堂が建てられず同化も済んでいない州が多いため、州の改宗に1年以上要するケースが多い 現在のユダヤ州数が452、黒塗りしたのが325州、植民で+3州されたので改宗したのは452-325-3=124州 ユダヤ化後31年で124州=4州/年。"同化済み文化以外を改宗している"ということは拡張速度が遅いのかもしれない
1646/12 Luristanに宣戦布告。孤立していた
1647/08 Luristan終戦。完全併合
1648/01 Spainに宣戦布告
CBのACEITE州はインド洋の小島。開戦後しばらくして問題なく上陸&占領
1648/12 (2.4.6)の後継者誕生。なかなか優秀で喜ばしいが、欲を言えば統治と軍事の能力値が逆ならもっと嬉しかった
1649/05 Bohemia個別講和。金銭のみ
1650/01 NANTAISで"工場"発生
な、ナンテスって~!?
1650/02 Vijayanagarに宣戦布告。敵同盟はParlakhimidi(Orissaから独立していた1プロビ国家)
1650/08 Kilwa外交併合完了
1650/11 Parlakhimidi個別講和。完全併合
1651/04 Switzerland個別講和。白紙和平
1651/07 Vijayanagar終戦。
これによりミッション4-7、4-8を達成し、イベント"Viceroyalty_of_the_Deccan?"発生
→下を選択してDeccanを属国として解放、ゲーム終了までMughalsの統治効率+10%(これにより統治効率は+65%に達した)
文化同化システムと並び、この効果(統治効率+10%)がMughalsをWCにおける有力候補たらしめる大きな要因 終盤の統治効率70%(技術で+30%、絶対主義で+40%)と80%の違いは大きい
すぐに"宗教の強制"し、独立欲求UP(Viceroy_of_Deccanの効果で-100%されて尚、独立欲求は100%を超えた)
1652/07 The_Papal_State個別講和。同盟破棄等
1652/10 Portugal個別講和。白紙和平
1654/03 OttomansがSpainと個別講和。白紙和平
1654/05 Manipurに宣戦布告。包囲網解除(敵主力はLan_Xangで他4国はいずれも小国)。"U"を共戦国に指定
1654/06 Spain終戦。自陣営の犠牲212k(9割弱がOttomans)、敵陣営の犠牲191kだった。
新大陸にノータッチだったので戦果・犠牲ともに少な目
画像の他に南アフリカ、東南アジア等を10州前後獲得 殆ど請求権を持っていないので、不正な要求によるDIPの浪費が痛い
1655/02:Ayutthaya、1655/03:Kaffa、1655/04:U、1655/04:Sadiya、1655/07:Guge、1656/01:Taungu。それぞれ個別講和。いずれも完全併合
1657/01 Manipur終戦。Lan_Xangから9州、Manipurから1州獲得(Manipurは完全併合)
1657/11 Portugalに宣戦布告。唯一の同盟国Kongが裏切り
1659/04 クシ文化の植民州が全て完了したので、探検アイデアを破棄して諜報アイデア取得
この時の汚職は14、最後の州に植民者が到着した時点で切り替えておけばよかった
1660/02 Portugal終戦。
画像の他に各地の離島と中央アメリカのPANAMAを獲得
1660/04 以前にSpainから獲得した南アフリカの改宗が終わり、貿易会社の設立&編入→投資して商人+1
1660/08 今後の戦争に向けて周辺国の外交状況を確認していた際に、MalaccaがRussiaに独立保障されていることが発覚
当時のMalaccaはOttomansとも同盟しており、しばらく攻めあぐねた
1660年の状況
外交
属国 Chagatai Deccan 同盟 Ottomans Great_Britain
宗教
宣教師5人が14年で532-452=80州→植民や属国による自力改宗を考慮しても、ようやく1州の改宗に要する平均期間が1年を下回る →100/12≒8.3なので州布教強度が8.5%前後 黒塗りさせた州数が多かったので事前想定(1655年に374州)を上回ってはいるが、予想(+11.5%)よりも州布教強度が低い 大聖堂を建築できていない点や同化が済んでいない州も改宗している点などが影響しているのだろう たらればを言い出せばキリがないが、この頃に借金を恐れず大聖堂を建築できていれば欧州の染色も叶っていたかもしれない
同化済み文化
Vijayanagar戦後に中央インド文化グループを同化し、陸軍損耗-10%を獲得した Ethiopiaの4州を奪えばクシ文化の効果(宣教師+1)も得られる
収支等
ごちゃごちゃ詰め込んだが、ここまでに触れたことばかりで大した変化はない 陸軍を増やしたため収支が赤字に転落したくらい
軍量と列強
Kilwa軍の合流等もあり軍量が増えた 軍事点が余り気味なので、適宜将軍ガチャを引いている
AAR/六芒星の夢/6(1660~1700)横たわるのは友と部下