AAR/六芒星の光

AAR/六芒星の光/4(1535~1574)裏切の痩犬 皇帝に噛みつく

もはや貧国ではない

栄華を誇るAq_Qoyunlu王朝

1535年9月 国土回復CB(第2次Muscovy戦の前に奪われたLithuaniaのコア)でGalicia-Volhyniaに宣戦布告
1537年9月 政府改革第4段階として部族階層の維持"Retain_Tribal_Hierarchy"を選択
1539年4月 イベントでPietyが上がったので貨幣改鋳→Piety消費して汚職-2

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終戦後の出来事

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名君に次ぐ名君の即位により、Aq_Qoyunlu朝Najdは栄華を極めた*3

1546年3月 孤立していたGreat_Hordeに宣戦布告(Muscovyに独立保障されていたが案の定借金を理由に参戦拒否)
1546年9月 終戦(3州+金銭+Circassiaのライバル解除)。Great_Horde領内に沸いた部族反乱の相手が面倒だったので完全併合はしなかった

第3次Muscovy戦

停戦期間がきれたのでPolotskの征服CBで宣戦布告

開戦時/2か月後の戦力比(野戦×2でそれぞれ6000/8000の敵部隊壊滅)

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2年後終戦
Polotskに4州+屈辱+金銭

1553年の外交状況

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同盟 Ottomans,Afghanistan,Chagatai
属国 Polotsk,Lithuania

砂より生まれし無力な赤子は"3つの海(ペルシャ湾・黒海・バルト海)を又にかけ、2つの陸を支配する列強"へと育った
実態は低DEVの痩せた土地が細長く続いているだけ(国庫のDucatsは飼い主の流した血の対価として得た賠償金)

1553年7月 "軍質"アイデアコンプリート、"経済"アイデアとのポリシー採択とコンプリートボーナスで一気に規律+10%

"Colonialism"

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ライバルHormuzがMamluks、Transoxianaと同盟していて厄介だったため、Sistanを使って釣りだし宣戦

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1553年12月 ようやくOttomans領から"Colonialism"が伝播→受容(統治点が溢れそうだったので、受容前にインフレ削減×2に使用)
→Dhimmi階級との交渉で忠誠と影響度を上げてTechnology_Cost-10%
→統治技術を1Lv、外交技術を2Lv上げる

1554年10月 Hormuzと個別講和(同盟破棄+屈辱+金銭)
1555年1月 Baluchistanと個別講和(金銭のみ)
1555年9月 終戦(同盟・ライバル破棄×4+金銭)

1555年12月 Circassiaから独立したAvariaに宣戦布告(孤立していた)
1556年2月 (6.2.1)の新族長即位、後継者は(3.3.3)*4
1556年4月 Avaria完全併合(KHUNDZIA州)で終戦
1556年4月 Denmarkをライバル指定(陸軍戦力は-32%といつのまにかNajdが上回っていた)
1556年7月 Polotsk外交併合完了(イベントで発生していた"Slow_Negotiations"の効果=外交併合コスト+10%が6月で切れた)
1556年11月 2番目の時代能力として傭兵の規律+5%を発動
1557年1月 Khorasanが40%の交易力を移譲することに同意→ペルシアノードでのシェアが向上し交易収入が約1ducats/月増加

宗教戦争と帝国の終焉

包囲網解除②

東欧での包囲網が広がってきたのでこちらから宣戦

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1559年4月 Denmark軍の殲滅に成功。規律の差だろうか?

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1559年5月 終戦。多大なる戦果として1ducatsを獲得!!*5

戦後の出来事

お散歩お散歩楽しいな♪

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飼い主から南の方へのピクニックに誘われたので、尻尾を振ってOKする*6

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散歩の途中でご主人様の姿が見当たらなくなったので、近くの丘で遊びながら待つことにした
(開発度が高いCOTの州をMazandaranが領有しており、ペルシアノードのシェアを奪われていた)

1560年5月 Fars個別講和(同盟破棄)
1560年10月 Isfahan個別講和(同盟破棄+交易力移転+金銭)
1561年11月 黄金時代終了
1561年12月 Mazandaran完全併合で終戦

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Mamluks戦終了。Al-KARIATAN州が返還された
ご主人様、古いオモチャ(内陸砂漠地形DEV4の飛び地)は要らないからご主人様の愛情(Favor)が欲しかったワン(悲)

MamluksかHormuzに売り払ってしまいたかったが、関係が悪すぎて買ってもらえなかった

宗教戦争

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狙い通り宗教戦争に呼んでもらえた。Spain,France,Denmarkが味方なので放っておいても勝てると思った

1567年7月 先ほど同盟関係を破棄させ、孤立していたFarsとの停戦期間が明けたため宣戦布告
1567年10月 Fars完全併合(2州)で終戦

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Muscovyとの停戦が切れたため、保護者同伴で北の大地満喫ツアーに出発
(宗教戦争が終わってしまうとDenmarkと共に包囲網を形成される恐れがあった)

1570年1月 外交アイデア①取得
取得理由は

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宗教戦争終了。多大な犠牲(Najdの犠牲は5k)の果てに皇帝が勝利し、カソリックがHREの公式宗教になった

ガブッ!!

宗教戦争の結果、非カソリックの選帝侯が罷免された

国家労働基準審査局NAJD(NAtional_Judgement_of_Labor_Standards_Department)としては、
信仰を理由に職を奪うような真似を看過するわけにはいかない

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というわけでブラック企業に査察に入ることにした。CBはないが大義はある
敵の親玉SilesiaにはNajdとかいう友人も居るようだが、優先されるべきは労働倫理の遵守と不当解雇への懲罰である

 

1570年6月 宣戦布告

兵数は敵の方がやや優勢だったが、敵部隊に属国Lithuaniaや東欧の占領をさせている間に
本隊で敵の首都を落として個別講和に持ち込むノーガード戦略を採用した結果、殆ど戦闘は発生しなかった

東欧に進出したとは言え交易や税など収入の殆どはコーカサス山脈以南のアジアで稼いでおり、
そちらさえ無事ならば戦争継続に支障をきたすことはなかった

多重債務時代に血を吐きながらも山岳要塞を(Mathballはしていたが)残しておいたため、それらの地方は防衛できた

この戦略は後にヨーロッパ諸国の包囲網を解除する際にも有効に働き、

という構図が描かれる場面がしばしば見受けられた

 
 

1571年2月 Mazovia個別講和(同盟破棄+金銭)
1571年11月 Montferat個別講和(同盟破棄+金銭)
1571年11月 Saxony個別講和(同盟破棄+金銭)

NAJD独逸支部さんからの書留で~す♪

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NAJD独逸支部発第一五七二〇七〇三号
1572年7月29日
営利法人__HRE*8
代表取締役_兼_労務管理(Silesia)部_部長Henryk_X_殿
国家労働基準審査局NAJD局長
Abdullah_I_Aq_Qoyunlu
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解散命令通知書
_
 本書状は会社法及び労働法における法令違反に対する行政処分を通知するものであり、受領者及び受領法人
はこの処分に従う法的義務を負う。以下に挙げる項目のいずれか、又はその組み合わせに該当する場合を除き
直ちに処分に適するよう必要な措置を取らねばならない。
_
・突発的な自然災害により措置を講ずるのに必要な人員又は事物を確保できない
・代表者または権限を所持する者の心身に著しい不具合が起こり、意思表明や指示ができない
・客観的に見て措置を講ずるにあたるのが困難であると認めるに足る相応のその他障害が存在する
_
 いずれの場合も障害が排除され次第直ちに措置を講ずる義務があり、それら障害が長期化すると予期される
ならば代替策を取るなど、一刻も早くそれを取り除く努力をせねばならない。
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_
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_
 調査内容に基づき局内で審議を尽くした結果、当局は
_
 複数の労働者保護に関する法律及び条令に反する不当解雇の為に当該被雇用者が受けた被害は甚大であり、
労使の力関係を悪用した非道な行いを容認することは著しく公益に反する。一般にこのような案件に対しては
直ちに是正措置を講ずるべきであるが、要件を満たさず予告すらない解雇を主導した代表取締役社長及び追認
した貴社役員会に労働法規を遵守する意志は皆無であるため営利法人HRE今後の更生は見込めない
_
 以上のように判断した。よって
_
貴社HREに今月末日までの解散を命ずる
_
 なお本書状を受領したにも関わらず来月以降に活動の継続または再開が認められた場合、該当行為に伴って
獲得したあらゆる利得は没収される。また関与した者には刑事罰が下される可能性がある










消化試合

1572年8月 Mainz個別講和(同盟破棄+金銭)

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Muscovy戦終了
10州(要塞のある州を優先)+戦後補償
飼い主が降りてくれなかったので今回は賠償金なし

1572年10月 Liege個別講和(同盟破棄+金銭)
1573年5月 Cologne個別講和(同盟破棄+金銭)
1574年1月 Silesia個別講和(同盟破棄+金銭)

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終戦。Najdが得られたのは僅かばかりの金銭のみだったが、
国家労働基準審査局NAJDとしては悪徳企業HRE解体し、地域社会のあるべき秩序を回復できた
(訳:中欧侵攻が楽になって良かった)

戦後の出来事

謎国家への前進②

遊牧民国家Najd誕生

1574年6月 政府改革進捗度が貯まり第5段階が選択できるようになった
部族連合→草原の遊牧民に政体を変更すると現在の階級が廃止され、"部族"階級のみになる

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そこで階級との交渉で利用できるものは全て利用した
(上記画像の他に君主点200点回収、格安顧問、寄付金依頼、人的資源追加招集など)

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ここに遊牧民国家Najdが爆誕した*9
所詮Mughalsに変態するまでの腰掛け政体に過ぎない*10が、強力な効果を有する

など盛り沢山だが、何より特徴的なのが

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自国コアのついていない州を"Raze(完全な破壊)"できることである。この効果は凄まじく、開発度の低下と引き換えに君主点を入手できる
この後開発度の高い欧州に進出予定だったこともあり、作者は既にMughals化した後の君主点のやり繰りの心配を始めていた*11

因みに画像の州を含めた旧Muscovy領8州は用が済んだので属国Lithuaniaに下賜した

建築

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やっとのことでインフレ率が6%弱まで下がってきたので統治点を使用して0%まで削減し
ミッション"High_Income"の達成ボーナス(建築費用-10%、建築時間-25%)を付けてから
主にアジアで絹織物工場や寺院、工房、市場などの建築に着手した

未だに毎月の収支は赤字だったので、少しでも収入を増やしたかったのも勿論だが

絹の交易ボーナスである"文化受容枠+1"の効果により次の絶対主義の時代の目標"多文化共生社会"を達成し、*12
一刻も早く時代能力"より厳しい処置"(=Harsh_Treatmet_cost-50%)を発動したかった

一連の建築費用により7000ducats近かった国庫が500ducats前後まで縮小した

 

1574年の領土

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同盟 Ottomans,Afghanistan,Chagatai
属国 Lithuania,Mikhalf


AAR/六芒星の光/5(1574~1616)瀕死の病犬 北欧でのたうち回る


*1 陸軍の居ない国をライバル指定するのは初めてだった。一方で海軍は+9163%(NajdはShirvan併合時に引き継いだ小型船を2隻Mathballしていた)。Muscovyがここまで海軍偏重国家だったとは知らなかった
*2 "Aq_Qoyunlu王朝にはゲーム内に隠しパラメータでも存在するのか?"と本気で疑ったほど名君が続いた。賠償金で雇った高Lv顧問も相まってこの頃は君主点の貯まり方が凄かった。Najdのくせに革新性を手に入れたりしていた
*3 因みに国家としてのAq_QoyunluはOttomansに滅ぼされ、既に地上から消えていた
*4 これまでが凄すぎたので物足りなく感じてしまった
*5 Denmarkとの停戦期間を短くしたかった
*6 断る選択肢など存在せず、そろそろFavorも稼いでおきたかった
*7 幾度もの全土被占領によりLithuaniaの戦争疲弊が10を超えたので、途中から軍役代納金を有効にした
*8 正式名称Human_Resource_Eliminater_group
*9 同時に"国家労働基準審査局"NAJDは"遊牧民族アゼルバイジャン人によるイスラム世界実現のための聖戦司令部"NAJD(Nomadic_Azerbaijani_Headquarters_of_Jihad_for_Dar_al‐Islam)に組織改編された
*10 この時点ではそう信じて疑わなかった
*11 全くもって無用の心配だった。心配すべきなのは自らの頭の中身である
*12 宗教戦争に参加したかった理由も時代目標"宗教戦争の勝利"達成のため

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