モロッコ遠征の成功により世論を拡張政策に傾けることに成功したビザンツ皇帝は1750年、再度ミラノに宣戦布告した。ミラノを保護すべくカスティーリャ・オーストリア・アラゴンが東西ローマ同盟と対峙したが、陸戦では精錬されたフランス軍の前に、海戦では艦隊の軍拡政策を行っていたビザンツ海軍の前に成すすべもなく屈した。ビザンツ帝国はこの戦争においてアラゴン・カスティーリャの地中海艦隊を全て撃沈させ、地中海の海上支配権を確立した。
この戦争の結果ビザンツ帝国はアラゴンから大幅に領土を割譲させイタリア政策の完結の兆しを見せただけでなく、ミラノを完全併合することで長年に渡るフランスとの国境案をついに現実のものとすることとなった。
第一次地中海戦争において成功を収めたビザンツ帝国は地中海の海上支配を確固たるものとするためジブラルタル海峡に重きを置いた。既存のジブラルタルのビザンツ領と北アフリカの領土を直結させるため1754年ビザンツ帝国はアルジェリアに侵攻を開始した。この侵略戦争はわずか1年で終結し、アルジェリア王国はビザンツ帝国の従属国家となることを条件に存続を許された。
実は一度大西洋に面するとこまでアルジェリア・モロッコの領土を領有していたよ。でもこれは「ビザンツ帝国の最大版図」から外れることに気づいた朕はモロッコやカステラさんの隣国にプロビを売り返しているよー
これがあんな悲劇を生むことになるとは、この時はまだ知る由もなかったのである・・・
1765年まで再度のロシアとの戦争に苦戦していたフランスはカソリックの信仰の守護者の地位を失っていた。しかしこれをフランスのカソリック国の保護義務が消えた好機と見たビザンツ帝国は1766年東西ローマ同盟を率いアラゴン王国に宣戦を布告した。これに対して地中海におけるビザンツ帝国の完全優位を阻止すべくポルトガル王国がビザンツ帝国に宣戦布告、さらにポルトガル王国と同盟関係にあったティムール帝国も参戦した。ビザンツ帝国はその海軍力にものを言わせ地中海制海権は早期に治めることができたが、約300連隊の陸軍を投与したティムール帝国に対して苦戦を強いられた。しかしフランス軍によるリスボン陥落を経て、4年に及ぶ激戦の末ついにポルトガル王国は東西ローマ同盟に対して全面降伏を申し出た。
この戦争の結果ビザンツ帝国はアラゴン王国を完全に併合し、ポルトガルの持つジブラルタル海峡に面する領土を割譲させた。これにより地中海は完全にビザンツ帝国とフランス王国の東西ローマ同盟に二分される事となり、ビザンツの地中海支配を確固たるものとした。