AAR/ローマの平和よ再び
前回:第五話 東西ローマ同盟

西方大遠征 ―the Great West Invasion― (1700~1750年)

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もくじ

あらすじ

 引き続きイタリア政策の遂行と新たに西地中海への進出を始めました。フランスと同盟していればカスティーリャも敵ではありません。地中海を我らが東西ローマ同盟の内海にしてやりましょう。

はじめに

y.jpg それじゃあ引き続きローマ帝国万歳プレイやっていくよー。今回からAARの型を少し変えてみたよ。ぶっちゃけ対話形式はもうネタ切れだよ。だって全然動きがないんだもん。

j.jpg メタい話はやめましょう。しかし歴史に恋する作者としてはもっと説明的な記述がしたいのは山々ですね。最初にAAR書くときは対話形式にするつもりなんてありませんでしたから。

y.jpg そして何よりも対話を少なめにし事件を羅列してその説明を補助として入れるだけなら断然作業量が減るんじゃないかというk

j.jpg さあそれはさておき、前回で見事東地中海帝国へと返り咲くことができたので今度は西地中海方面への進出もしていきましょう。

y.jpg はいはい。モロッコに宣戦布告だよ!

西地中海への進出

第一次モロッコ侵攻 (1705-1708)

 東地中海を平定したビザンツ帝国はその領土的野心を西方へと向けた。1705年、ビザンツ帝国は旧領奪還を名分にモロッコへと侵攻を開始した。モロッコはその同盟国であるヒジャーズ王国に援助要請を送りこれを受けたヒジャーズ王国はエジプト方面に侵攻しビザンツ軍の撹乱を狙った。東西に戦線を持つことなったビザンツ軍は主力部隊を集中投与することは敵わなかったがその優れた軍事技術で両国を圧倒しモロッコ=ヒジャーズ同盟の必至の抵抗もむなしく、1708年チュニジアをビザンツ帝国に割譲することで和平した。

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ビザンツ帝国はこの戦争の結果割譲させた領土にアルジェリアを属国として建国し、これを西地中海進出への拠点とした。またこのころビザンツ帝国は大幅な軍備拡大を行っており、世界3位の陸軍国家、世界5位の海軍国家へと上り詰めていた。

クリスチャン戦争 (1712-1714)

 ビザンツ帝国はイタリア政策に乗り出した時代からミラノを自らの勢力下とし、ミラノ以西をフランスとの国境とすることを目論んでいた。1712年、ビザンツ帝国とこの参戦要求を受けたフランスがびミラノに侵攻を開始した。これに対しミラノを保護すべくその同盟国であるアラゴン、当時の神聖ローマ皇帝であったオーストリア大公国、オーストリアと対ビザンツ同盟を結ぶモロッコ王国、プロテスタントの信仰の守護者であったイングランド王国が相次いでビザンツ帝国に宣戦を布告した。

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 交戦勢力にカソリック、プロテスタント、ギリシア正教国が参加しているためこの名で呼ばれるが、開戦の火ぶたを切ったビザンツ帝国の最大の目的はミラノの獲得とイタリア半島下半への進出であったため宗教戦争とは名ばかりのものである。敵戦力の陸軍代表国家であるオーストリア大公国は立て続く東西ローマ同盟との戦争の結果疲弊しており、名のある欧州の国が多く参戦したもののこの戦争はわずか2年で終結した。この戦争の結果、再びビザンツ帝国のミラノ獲得の目的は達成されなかったもののアラゴンからイベリア半島の領土およびイタリア半島中部の領土の割譲、イタリア半島中部、モロッコからはアルジェリアへの旧領返還を行った。

ヒスパニア遠征(1714-1716)

 クリスチャン戦争の結果イベリア半島進出への足掛けを手に入れたビザンツ帝国は続けてカスティーリャ王国へ宣戦布告した。カスティーリャの同盟国であったオーストリア大公国は再び東西ローマ同盟と対峙することとなったが、東西ローマ同盟の圧倒的な兵力数の前に屈し、戦線から離脱した。この戦争の結果ビザンツ帝国は属国としてイベリア半島南端にグラナダ王国を建国。さらにカスティーリャの持つ旧アルジェリア領を大幅に返還させ和平した。

y.jpg スクショ取り忘れたよー。ごめんなさい。

遠征の失敗と混乱期の訪れ

ウラビノ遠征(1714-1716)

 ヒスパニア遠征の裏でビザンツ帝国はウラビノの征服を画策していた。ウラビノ遠征の際にカソリックの信仰の守護者であるフランスと対峙することを恐れていたビザンツ帝国はヒスパニア遠征によりフランスと共同戦線を組むことでフランスとの交戦を避ける作戦を選択した。しかしウラビノ陥落にはビザンツ帝国の予想以上に時間がかかってしまったためその間にヒスパニア遠征が終結。結果オーストリアとその同盟国であるポーランド王国の参戦を許してしまい戦争の継続を断念したビザンツ帝国はポーランド王国に対して降伏を申し出、ビザンツ帝国は再びブルガリア領を放棄することとなった。さらにこの遠征の失敗からビザンツ帝国民は立て続く拡張戦争への反感の意を示し、この混乱に乗じて帝国領各地でナショナリスト、カソリックによる大規模な反乱が頻発する時代が続くこととなった。

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帝国の混乱期(1716-1735頃)

 ウラビノ遠征の失敗に端を発した民衆の放棄は1720年に入るとついに帝国正規軍のみでは鎮圧しきれない規模になっていた。反乱勢力の大部分を占めるカソリックを懐柔するためビザンツ帝国は一時カソリックを国教として定めるも、これにより皇帝を見限ったギリシア正教が反乱に加担したために帝国は再びギリシア正教を国教として定めた。同盟国であるフランスの援助もあり反乱は次第に静まり、1735年には再び帝国に安定の時代が訪れた。

j.jpg もっともらしい書き方をしていますが国境の変更は本当はイベリア半島の領土に沸いた反乱軍を潰すのが面倒で国威に余裕があったからよく読まずに反乱軍の要求を聞き入れたのが原因ですね。

y.jpg だってイベリアまで大規模な軍隊派遣するの面倒だったんだもんー。それからフランスの援助って書いてあるけど、本当は「フランス軍に全て任せた」のが正しいよねー

欧州の覇権

第五次ポーランド分割


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