中世のイタリアの歴史
それは皇帝との戦いの歴史と言っても過言ではありません
都市国家は反目し合いながらも、皇帝に対しては揃って自由を求め続けました
なぜ彼らは時の皇帝に逆らってまで自由を重んじたのでしょうか
なぜ、所詮都市でしかないにも関わらず皇帝たちを退けられたのでしょうか
何が彼らにそこまでのことをさせたのでしょうか
我々にその気持ちを知ることはできません
ただイタリア人が自由のために戦い続けたという事実が横たわっているだけです
戦争が終わって3年
イタリアを建国し、地中海にイタリア領を獲得した初代国王ボンタレンティが天に召されます アーメン
そんな偉大な王の後を継いだのは19歳の若き国王
その名もヴィットーリオ・アメデオ・メディチ 奇しくも史実の初代イタリア王と同じ名前になりました
能力的には3/3/1とパッとしませんが、しかし彼の胸には熱く燃える炎があります
国民も若くてエネルギッシュな新王に期待を寄せている様子 そのおかげか正当性は75まで回復しました
ならばその思いに答えるのが国王たる者の使命と言えるでしょう
父の遺したイタリアの夢を実現するため、彼は皇帝との戦いにその生涯を捧げる決意をするのです
アラゴンに勝利したことで後顧の憂いを断ったイタリア
軍勢を北イタリアに集結させます
実を言うとメディチはオーストリアとの戦いに備え、同盟を切られたあたりから包囲網を敷いていたのです
包囲網とは言っても正式なものではなく単に同盟を結んでいるだけですが
そしてこの包囲網に参加しているのは
イタリアの相棒フランス
ワラキアにボコボコにされているハンガリー
リトアニアを併合したポーランド
あとはミュンスターとかヘッセンとかの小諸侯です
そうこう言っているうちに人的資源は回復、陸海軍の準備も整いました
最後に皇帝の同盟国も確認しておきます
オーストリアはアルザスを属国とし、ワラキア、ブラバント、フリースラント、マインツと同盟しているようです
これならいける イタリアはオーストリアに最後通牒を突きつけます
1541年
イタリアの守護者を任じるメディチ ローマ帝国の後継者を自称するハプスブルク
長年対立してきた両者の戦端が遂に開かれました
本当に最後のイタリア戦争の始まりです
北ドイツの小諸侯との同盟は役に立ちませんでしたが、他の三国は参戦してくれました
宣戦布告するやいなやイタリアは44000人にも及ぶ軍勢をトレントに送り込みます
そのうちの半分を率いるのはイタリア一の将軍ニコロ・バルベリーニ
陸軍伝統が20ほどしかなかったにも関わらず颯爽と現れた4/4/1/0の能力を誇る名将です
しかし、彼をもってしても皇帝軍に勝利するのは至難の技
なぜならオーストリアは、さすが皇帝というべきか、イタリアをはるかに超える大軍を有しているからです
となるとイタリアが取るべきなのは、皇帝軍がフランスやハンガリー・ポーランド方面に進撃するのを待って戦闘に入る、という戦略
名付けて雄鶏作戦です
戦争が始まるや、オーストリアは大軍をフランスとハンガリーに送ります
もちろんイタリアにも来ましたが、あまり重視していないのか大した数はいないようです
まさに作戦通り 油断している隙を突いて後ろからぶん殴ってやる
フランスは陸軍大国・・・のはずなのですが、どうにも本国の戦力が少ない
18000の軍勢でオーストリアに攻め込んだものの、皇帝軍に追い返されています
本国にいたわずかばかりのフランス軍は次々と皇帝軍の前に屍を築いでいきます
仕方ありません 彼らにはデコイとして働いてもらうことにしましょう
ところ変わってハンガリー
敵国ワラキアはハンガリーのナショナリストの蜂起で苦しんでいて戦争どころではない様子
それなのに、あろうことかハンガリー・ポーランド軍によってナショナリストは全滅させられてしまいました
そんなところに現れたのはオーストリアの部隊
その数なんと43000
それでも50000を超えるハンガリー・ポーランド軍は一旦皇帝軍の攻撃を退けます
しかし別働隊の攻撃を受け、反乱軍との戦闘で士気が下がっていたこともあり敗北
東部戦線もまた崩壊してしまいます
この戦争、勝つことはできるのでしょうか?