1517年のヴィッテンベルク
一人の修道士が教会の門に「九十五箇条の論題」なる意見書を掲げます
彼の名はマルティン・ルター
キリスト教世界を激震させた宗教改革の始まりでした
彼の考えは、活版印刷技術が発達し始めていたこともあって瞬く間に広がります
中世の宗教改革、フス戦争と違うのはそこでした
彼が非難したのは当時教皇が販売していた、買えば幸運になれる壷 ではなく免罪符
購入すれば天国に行けると言われていたお札です 似たようなものですね
ラテラノ宮の改装費に困った教皇が資金集めのために売っていたものでした
このとき統一権力が存在しなかったドイツは他地域以上に搾取の的となります
ドイツ諸侯がルターの教えの同調するのも当然のことでした
プロテスタントと呼ばれた彼らの教義は北欧やイギリスにまで飛び火します
教皇も黙って見ていたわけではありません
カトリックの規律を取り戻すべくイエズス会が設立されました
旧教側の巻き返し 対抗宗教改革です
カトリックとプロテスタント
相対する理想に燃える彼らの戦いは凄惨な宗教戦争という形で多くの犠牲者を産みました
キリストの説いた博愛が守られるのは、これよりずっとずっと先のことになるのです
初代当主コジモ・デ・メディチがシエナに侵攻してから実に70年
戦場に消えた数多の屍の上にイタリア王国を成立させたメディチ家
もはや外国に虐げられるイタリア人はいなくなったのでしょうか
そんなことはありません!
シチリアから トレントから フリウリから
イタリアと呼ばれる全ての地域から
イタリア人の叫びが聞こえます
メディチの使命は決して終わってなどいないのです
今イタリアに属する土地を領しているのは主に二国
海軍国アラゴンと陸軍国オーストリアです
ただでさえタチの悪い大国
さらに悪いことに、アラゴンはカスティーリャの同君連合下位国になってしまっています
ならばどちらを先に攻めるか
国王ボンタレンティの決断は、アラゴンから攻めるというものでした
理由は簡単、アラゴンのほうが弱いからです
カスティーリャと同君連合になっているとはいえ、二国合わせても恐らくフランス一国で蹂躙できる程度の陸軍力
確かに海軍は脅威ですが、本土まで攻められることはないでしょう
イタリア王国が成立してからでは初となる対外戦争
イタリア統一戦争の始まりです
遂に戦いの火蓋が切って落とされました
あらかじめカラブリアとコルシカに配備しておいたイタリア軍が敵地に雪崩込みます
フランスも同盟を履行して国境を越えました
ピレネー山脈の麓で戦闘に入った様子 おっ早速勝ったようです
イタリアもサルデーニャ島とシチリア島を占領
パレルモの民衆はイタリア軍を歓喜の声で迎えます
しかし、ここでもメディチは大きな誤算をしていたのでした
天然の要塞マルタ
史実ではロードス島を追われた聖ヨハネ騎士団が拠点とし、オスマン帝国の攻撃も撃退しています
イタリア軍が上陸しようとしたのはそんな島でした
これまでイタリア、もといフィレンツェが戦ってきたのは陸上です
海に関しては、艦船建造はおろか技術開発もやっていませんでした
海軍力は皆無と言ってもよいほど弱体だったのです
イタリアは急場しのぎに7隻の輸送艦隊を作ります
輸送艦隊は歩兵5000と砲兵2000を満載して出航しました
マルタ島沖に到着したイタリア艦隊が目にしたのは東から迫る15隻のアラゴン艦隊
全てガレーで構成された純戦闘用艦隊です
目的地を目の前にして行われた絶望的な戦い
筆者が目を離している隙に起こったこの海戦の結果は文字通りの全滅でした
イタリア兵の血で海は赤く染まったと言われています
地中海に沈んだイタリア艦隊
メディチは戦略の大幅な見直しを要求されました
同じ頃、イベリア半島の戦線もカスティーリャの必死の抵抗で膠着状態に陥ります
これ以上の戦勝点を得ることは不可能
イタリアは和平交渉に入りました
戦後に得たのはわずかにサルデーニャ島のみ
イタリア軍は冷たい目を向けるシチリアの人々から逃げるように撤退します
これが果たして勝利と呼べるのでしょうか・・・?