AAR/マムルークでレッツ!トレィニング!!!

ウォーミングアップ

方針

The Levant Turnabout実績の獲得には、Ottomansを滅亡させる必要があります。
その対処ですが――

~とある世界線~
サマーセールで-50% cost補正がかかっていたCradle of Civilizationを購入し、1.22以来のプレイ
→CoC発売時に強化されていたMamluksが気になっていたのでプレイ
→いきなり豊かだしミッションで周辺の小国を次々に食べられて拡張早いし、こんなん適当にプレイにしても余裕!オーバーパワー!!
→よっし地力をつけたし、このままの勢いでOttomansをかるーく捻ってやるか^^

――その日、筆者は思い出した。Ottomans軍に蹂躙される恐怖を……
数々のプレイで煮え湯を飲まされた潤沢な軍量、精強な軍質を……

というわけで、序盤の伸長を終えたOttomansと正面から戦っていくのは大変なので、速攻して出鼻を挫くこととします。
Mamluks AARの先人様も速攻策を取っていますね、温故知新は大事です。

その後はOttomansを適時殴りつつ停戦期間を利用して周辺の平定も行っていけば、Early-Modern Warfare実績に必要な100ユニットを扶養する体力もついていくでしょう。

筋肉 (ProfessionalismとDrill) については、とりあえず侵攻の合間にトレーニングを行いつつ、一段落した時点で致し方を決めることにします。

開幕

開幕作業
・Ottomans, Venice, Qara Qoyunluをライバル指定
・Veniceを禁輸 →Alexandrian Tradeミッション達成
・Qara Qoyunlu を侮辱(PP目的)
・Estates: 忠誠上昇、Inquisitor招聘、資金とADM供出
・National Focus: ADM
・顧問: 3/1/1(ADMはEstates招聘)
・要塞を全て破棄(財政目的)
・君主をリーダー化(能力の高くない君主の花道)
・宣教師派遣

開幕しばらくの動き
・軍事
 └Al UlaへConquest CB で宣戦→併合(ミッション目的)
・外交
 ├Cyprus の独立保障を外す(外交枠目的)
 ├Medina, Shammarと関係改善等→外交属国化(ミッション目的)
 ├Byzantiumと関係改善→同盟(Ottomans速攻での戦力補強)
 └Ottomansに諜報網構築→請求権捏造
・Estates
 └忠誠に支障が無い範囲でAmirから少しずつプロヴィンスから剥がしていく

固有ミッションであるAlexandrian Trade→Pacify the Bedouins、The Holy Citiesは達成が簡単なので、Ottomans戦前にササッと達成して国力の足しにします。
Al Ulaを攻めている間にMedina, Shammarの両国に各種外交コマンドを使って関係を確保し、外交属国化して達成条件を満たしました。

ミッション達成後は三カ国もの属国(Medinaはミッション達成時のイベントにより併合)を抱えることとなり十分マッシブですが、外交枠の空きを利用してByzantiumと同盟し、戦力をさらに増強します。

対OttomansのCBについては、状況を問わず宣戦するため請求権工作を行います。

これら動きを終えた後の外交マップが以下のとおりです(1446年)。
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その他、史実を表現してかAmir Estateのプロヴィンス割当が特筆するレベルで高いため、折を見て剥がしていきます。

第一次Ottomans戦+α

別の戦争をしている背後をついてOttomansに宣戦します(1446年)。
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この世界ではOttomansの同盟相手はAq Qoyunluとなっており、Veniceと戦争を行っていました。
かなり恵まれた外交関係です。

なお、宣戦に先立って歩兵を扶養限界まで生産しています。
これは単純な戦力増強としてはもちろん、Build to Force Limitミッションの達成により士気に補正を得るためです。

質・量兼ね揃えている印象のあるOttomans軍ですが、今回の戦いにおいては伸びる前に叩いているため、質については互角、量については上回っています。
05_.jpg

背後をついた優位を活かして占領を急ぎ、突出した相手部隊を相手に野戦勝利し戦勝点を稼ぎます。

今回の戦いでは、南部のベイリクを制圧すればボスフォラス海峡へと陸続きになるようプロヴィンスを獲得しました(1448年)。
06_.jpg

Byzantiumが下品にも親指を下にしていますが気にしません。
1.25では空前のビザンツブームが起きていたようですが、この世界では残念ながらボロ雑巾です。
(ちなみに、切られると思っていたのですが同盟は継続したので、次のOttomans戦でも善意の協力をしてもらいました。)

返す刀で南部のベイリクを併呑した後の外交マップが以下になります(1450年)。
07_.jpg

包囲網

Ottomans戦後は国力増強のため、ミッション請求権を活かしてアラビア半島攻め。
この際、大丈夫そうな気がするんだよな~、えい!と和平したら普通に包囲網が組まれてしまいました(1457年結成、1464年解消)。

包囲網下にあった時期は施設を建てて財政を強化したほか、地道にトレーニングを行い20 Professionalismに到達しました(1460年)。

最初のOttomans戦前後のこのあたりまでが立ち上がりといったところですが、速攻という戦略の性格上厳しいのは最初であり、大きな山は既に越えました。
あとはじっくりとバルクアップしていきます。

次 AAR/マムルークでレッツ!トレィニング!!!/バルクアップ


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