コモンウェルスが東欧の覇者としての地位を確立し、オーストリアが順調に帝国改革を進めていく中で青色吐息になっている国がありました。ハンガリーです。
ハンガリーは初期からライバル視するオーストリアに対抗するため同じくオーストリアをライバル視するフランスと同盟を結んでいたのですが、コモンウェルス・オーストリア連合軍に敗北する度に領土を削り取られていました。
また、日の出の勢いのオスマン帝国も早くからハンガリーに領土的野心を抱いて侵略を繰り返していたため、その領土はわずか3プロヴィデンスまで縮小していました。
カトリックの守護者を自負するコモンウェルスにとって、異教徒がキリスト教徒の土地を併呑していっているのは許しがたい蛮行でした。
コモンウェルスはキリスト教徒をオスマン帝国から保護するという名目の元にハンガリー侵攻を決意します。
ハンガリーは散発的な抵抗は見せましたが、抗する力はなく、コモンウェルスの属国になることを受け入れました。
ハンガリーがコモンウェルスの属国になったのを受けて、ヨーロッパ側の拡張先に困ったオスマンはついに帝国領土を侵略します。
オスマンが狙ったのは、ジェノヴァ領となっていたCorfu島でした。
ジェノヴァは皇帝オーストリアに直ちに助けを求めます。オーストリアは同盟国コモンウェルスに参戦を求め、このときイングランドと同君連合を形成していたポルトガルも信仰の守護者として参戦を表明。
オスマン側の同盟国には、アルジェ、クリミア、キプチャク=ハン、ティムールが参戦し、キリスト教文明とイスラム教文明の衝突の様相を呈しました。
ポルトガル海軍がオスマンの港を封鎖し、コモンウェルス軍とオーストリア軍は連携を取りながら首都イスタンブールに迫ります。
モスクワ戦と同様、ここでもwesternizationを達成したことによる技術優位が生きていました。
また、3つめのアイディアグループとしてdefensive、4つ目にoffensiveを選択したこともあって、コモンウェルス軍は強行軍の機動力と高い陸軍伝統による百戦錬磨の将軍を確保することができていました。
首都イスタンブール陥落を受けて、オスマン帝国も講和に応じました。
旧首都Pestを含む5プロヴィンスをハンガリーに返還する条件で和平が成立しました。
イスラムの盟主オスマン帝国に完勝したことで、コモンウェルス、オーストリア、そしてハプスブルク家の威光は更に高まりました。
オスマンを撃退したことで更に自信を深めたコモンウェルスの最大の関心事はオスマン領ハンガリー、ボスニア、セルビア、ギリシャをキリスト教徒の元に奪還すること、いわばバルカン半島版レコンキスタというべきものでした。
停戦期間が切れるのを待って、コモンウェルスはオーストリアとともに対オスマン十字軍を提唱します。
総兵力はほぼ互角でしたが、質に勝るコモンウェルス・オーストリア連合軍は勝利を確信していました。
オスマン領に次々に侵入していく十字軍本営の元に急使が駆けつけてきたのは、会戦から2か月も経たない頃でした。
コモンウェルス及びオーストリア軍が十字軍にかかりきりになっている隙をついて、フランスがゲーレの領有権を主張して突如宣戦布告をしたというのです。
フランス側の兵力はコモンウェルス及びオーストリア連合軍とほぼ同規模であり、オスマン側と合わせると約2倍の敵を同時に抱えることになってしまったのです。
皇帝として帝国諸国防衛の義務を負うオーストリアはゲーレ防衛戦争に集中するために、十字軍をただちに中止すべきと主張します。
しかし、コモンウェルスはここで慌てて軍を引いたところでオスマンは講和に応じないであろうし、何より異教徒からの解放という大義を掲げながらすぐに軍を返したのでは両国及びハプスブルク家の沽券に関わるといってオーストリアの提案を拒否します。
焦るオーストリアをコモンウェルスはなだめました。
コモンウェルス軍が単独でオスマン軍を屈服させるまで、なんとかゲーレ防衛戦争の戦線をコモンウェルス抜きで維持してほしい。
5年、いや3年耐えてくれれば、必ず全軍で救援に駆けつける、と。
どちらの戦争でも盟主となっているコモンウェルスの意向に、オーストリアはしぶしぶ従いました。
コモンウェルス軍はほぼ単独でオスマン陣営と闘うことになりましたが、かえって奮い立ちオスマン軍に快勝を重ねていきます。
ほぼ3年で戦勝点を積み上げ、残りのオスマン領ハンガリーを全てハンガリーに返還させる条件で講和を結ぶことに成功します。
ゲーレ防衛戦争ではオーストリア軍が質と量を兼ね備えるフランス軍に苦戦していましたが、コモンウェルス軍の到着で息を吹き返しました。
世界最強を自負するフランス軍はコモンウェルス軍の強さに戦慄します。
普通の国相手なら負けないはずの戦闘で敗走を重ねているのが信じられないようでした。
コモンウェルス軍は山岳のように地形効果が得られるところに囮部隊で敵主力をおびき寄せ、小分けにした部隊でローテーションを組んでいたというのもあるのですが、部隊そのものの戦闘力がフランスと同等以上に強かったのです。
オーストリアはコモンウェルスが味方で良かったと心底感じたようでした。
コモンウェルス・オーストリアのハプスブルク連合はフランス陣営を圧倒し、以下の地図のような条件で講和しました。
フランス内にかつて存在したギュイエンヌやシャンパーニュのコアは消滅しており、フランス領内にコモンウェルスの属国を建国することはできませんでした。
フランスの力を削ぎたいとは思いつつも、オーストリアだけを肥え太らせたのでは現在のパワーバランスが崩れる恐れがあります。
そこで、オーストリアにとって飛び地になるようにフランスから領土を割譲させたのでした。
これによりフランスとオーストリアは深刻な国境摩擦を生じることになり、フランスとオーストリアは互いを警戒して大規模な外征が難しくなるというわけです。
オーストリア側にはフランスに楔を打ち込み、今後のフランス戦を有利に闘うためと説明されました。
実際パリのすぐ横に前線基地ができたのは今後のフランス戦で有利に働く側面も確かにあったので、あながち嘘というわけでもありませんでした。
両国はオスマン帝国から領土を割譲させ、オーストリアに逆らう帝国諸侯を属国化させ、あるいは併合することでそれぞれ領土を拡大していきました。
ハプスブルク連合に対抗できる勢力は、もはやこの世界に存在しませんでした。
ポーランド(及びコモンウェルス)軍の強さについてちょっと検証してみたいと思います。
というのも、AIポーランドに強い印象が全くなく、自分で使ってみてその強さにびっくりしたからです。
まず、以下の表をご覧ください。
項目 | フランス | ポーランド(コモンウェルス) | コメント |
規律 | 宿願 +5% | NI6つ目 +5% | 取得時期に多少ズレがあるだけで両者に差はない。 |
士気 | NI2つ目 +20% | NI最後 +15% | フランスの方がずっと早く取得できるが、最終的にほとんど差はない。 |
人的資源 | 伝統 +20% | NI3つ目 +25% | フランスの方が早く取得できるが(以下略) |
歩兵戦闘力 | なし | NI3つ目 +10% | ポーランドの方にやや分がある。 |
騎兵戦闘力 | なし | NI4つ目 +33% | ポーランドの方が強い。 |
要塞防御 | NI5つ目 +30% | なし | こちらはフランスの方が堅い。 |
雇用コスト | なし | 伝統 騎兵 -20% NI5つ目 連隊 -10% | ポーランドの方がやや有利。 |
あれ?これフランスに引けを取らないどころか、むしろフランスより強い??
フランスの方が優れているのは、国土が豊かなこと、Elan!の取得時期の早さ、開始時に白兵4の優秀な将軍がいること、AIの場合はラッキー国家補正、これらに集約されそうです。
やはり戦争が強い国で戦争するのは楽しいです。
ポーランドは植民関係を一切スルーできるので軍事系アイディア固め取りも容易ですしね。
AIの場合は技術が遅れがちだったり、リトアニアとの同君連合を維持できずにいたりでうまく拡大できないことが多いと思いますが、プレイヤーが入ると大きく化ける国家と言えるでしょう。