ビルマ北部はユーラシア大陸にインド亜大陸の衝突した褶曲地帯ということもあり、
周囲には三江併流と呼ばれる自然豊かな山岳部が広がり、深い渓谷と分断された居住空間が点在している。
https://whc.unesco.org/en/list/1083/gallery/
Hsenwi、Hsipaw、Mong Pai、Mong Nai、Mong Yang、Mong Kawngはパガンの崩壊以後は時にビルマの支配者、
時に雲南の支配者(明)の庇護下で、またある時は両国の拡張先として、独自の国家を築いていた(Shan States)。
史実上Shan StatesはTaunguにとって国土を荒らす脅威であり、
1550年代にTaungu独立後の3代目Bayinnaung(バインナウン)によるAvaを含めたUpper Burma征服が行われるまで、
エーヤワディ流域はほとんど分断されたままとなっていた。
Taunguがインドへ進出する最大の障壁は、豊かな農地と多くの港湾を持つBengalです。
頻繁にOrissaやJaunpurに粉砕されるとはいっても15世紀中はその勢力を保つことも多く、
今回もインド中部の大国Malwaと結んで勢力を維持し続けていました。
インドシナの要塞を確保した1465年、多くの属国を持つOrrisaに対してMalwa、Bengalが別々に宣戦布告。
同盟国はいなくとも縦深があるOrissaに両国が苦戦します。
人的資源は底をついているものの、1471年にこの隙をついてBengalに戦争を仕掛けます。
余裕のないTauguは戦争を完全にAyutthayaに任せ、この間に傷をいやしていきます。(+反乱沸き待ち)
そんな折、史実と異なりAvaの自治領主のような立場から一大領主となったTarabyaに代わり、Bayinnaungが王位を継承します。
奇しくもTaunguの史実上最大の拡張を見せた王と同名で能力も平均以上、親子2代によるインドシナでの勢力拡大に拍車がかかります。
1474年に和平で東部Bengalに足場を築いたTaunguは黄金時代を発動。さらなる侵略に備えていきます。
Bengal地方を打通したTaunguに待ち受けるのは宗教と文化の違い、すなわち反乱です。
特にAnimismも入り乱れるビルマ北部は各地が反乱源となるため、一部を属国で肩代わりしていきます(再征服もおいしい)。
9年越しで再征服
それでも発生を遅延させる程度で、ゲーム最終段階では反乱の目があちこちで噴出していました。
1479年、拡張を続けていた同盟国Hsenwiに対してとうとうMingが宣戦布告。
同盟国としてインドシナ諸国が駆り出されます。
Taunguはこれを華麗に拒否し、遠征に向かった元宗主国Avaに便乗宣戦を行います。
順調に占領を進めていた矢先...
明さん取りすぎ...
朝貢国化に飽き足らずHsenwiは領土の大半を奪われることとなりました。
これで最も割を食うのが、新たに国境を接したTaungu。
Avaから大量割譲して周辺国を怒らせるのをやめ、あっさりと明に跪きます。
これまで以上に巨大な後ろ盾を獲得したTaunguは、軛から解き放たれたかのように
さらなる躍進を行っていきます。
1485年にMong KawngからAvaをつり出し、
返す刀でSadiya(1489)、Mong Kwang(1492)から領土を奪います。
続いて属国Kacharを併合することで、山岳地帯の大半を掌握。
ビルマの統一は目前となったのです。
しかし残すはあと8年。こうした急拡大を続けるTaunguは、さらなる戦争と不和に自ら足を踏み入れていくのでした。
AAR/パガンの栄光/4話 インドシナの覇者に続く...