ピューと呼ばれる城郭都市国家が広がっていたエーヤワディー流域をビルマ人として初めて統一したのがパガン王国である。
王統史としては55代を数えるが、歴史資料は「第44代」として知られるアノーヤター王が初めて存在が確認されている王であり、初代ということが定説となっている。
アノーヤター王。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%82%BF%E3%83%BCより
最盛期のパガン。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E7%8E%8B%E6%9C%9Dより
その後幾多の征服と統合の果てに北はヒマラヤの北東端、南はマレー半島までその領域を伸ばすが、
1253年に雲南地方の大理国がモンゴルの手に落ちたことで繁栄は陰りを見せ始める。
パガンを象徴する寺院への寄進、国境の防衛費の増大、国内の後継者争いに苦しんだパガンは、
スコータイ朝やモンゴルに支援を受けた反乱により分裂。王位継承者の死亡をもってその存在は潰えることになる。
パガンの崩壊後エーヤワディー流域は多くの地域が独立し、さながらミニ中世ヨーロッパの様相を呈しています。
旧パガン領域にはビルマ族、モン族、チン族、シャン族が共存し、
その多くはパガンの中心地を支配しているアヴァの朝貢国として大国のはざまを生き抜いています。
その中でも小さな領域を占めるのがこの物語の主人公、Taungu。
地域の中堅国であるAvaとPeguに挟まれ、同じく小国のProme、Mon Paiと肩を並べています。
その特性もあり、パガンの崩壊や新興国の圧政を嫌う人々が集まって初代Taungu王、
ティンカパーのもとでパガン以来のビルマ族の王国がささやかながら復興されたといいます。
実績の達成期限のこともあり、Taunguに小国として金魚の糞をしている余裕はありません。
マキャベリ張りに友好と裏切りを繰り返していくことになります。
最初のターゲットはミッションの達成で広範囲の永久請求権を獲得できるProme。
バージョン更新前はすぐにAyutthayaやlan Xangと同盟を組み苦しめられた存在ですが、今回の同盟国は周辺の弱小勢力のみ。
南のPeguと同盟を結んで領土を約束(上げるとは言ってない)して宣戦布告します。
開始直後にPeguと合流、殲滅を目標に各地を転戦し、1年ほどで全土の包囲を開始します。
1448年、Prome及びMon Paiの重要拠点、Arakanの属国化で一つ目のミッションを達成。
同じ小都市国家としての苦労を味わっていた国を、慈悲深きTaunguは早々に解放してあげることとなります。
こうしてパガンの後継者と名乗りを上げたTaunguは、Ava及びその朝貢国に多くの請求権を獲得し、
その覇権への第一歩を歩み始めるのでした。
AAR/パガンの栄光/2話 他民族共生を目指してに続く...