とりあえず交渉の余地がないか、停戦条件を確認してみる。
カスティーリャの要求
ハンガリーの要求
うん、それ無理。
徹底抗戦を決意。本土決戦の準備に入る。
国境付近でハンガリー軍を殴っていたらひょっこりフランス軍が、という事態を避けるため、全軍を一時コンスタンティノープル周辺まで退避させ、出方を伺うことに。
海軍は弱体なベネチア艦隊を狙っていたが、ついにアラゴン海軍登場。
画像では勝てそうにも見えるが、援軍の到着は時間の問題と判断して即逃走。
弱気すぎたかもしれない。
そんな中、颯爽と現れた頼れるヒーロー、ポーランド軍。
リーダーもいないオスマン軍相手に1:20のキルレシオをたたき出す。
この後、停戦までポーランド軍は大活躍してくれた。
しばらく様子を見ていたが、フランス軍が姿を現さないようなのでバルカン防衛戦開始。
ラグサ周辺ではこの後も激戦が続く。
借金生活突入。
制圧されたイタリアや地中海の島々を奪還する手段はない。
バルカンも一部占領されているが、戦勝点は順調に稼げている。
この後フランス軍さえ姿をあらわさなければ問題ないだろう。
1516年12月18日 ハンガリーと停戦。白紙和平。
戦勝点25%に到達したところでようやく停戦可能になった。
1517年6月1日 カスティーリャと停戦。白紙和平。
こちらは35%。この差はどこから来るのか謎だ。
フランス軍がオーストリアを通過できなかったのが最大の勝因である。
そして光るのはポーランド軍の活躍。
1:20のキルレシオをたたき出した戦いでの+4.66を筆頭に、属国軍にもあっさり倒され約15%の戦勝点を献上。
カッファ奪還を狙って自滅したジェノヴァも一戦で+4.11となかなか。
この戦争の後、疲弊とマンパワー回復まであらゆる軍事的活動を停止することに。
ハンガリーやナポリにはまだ100近いaggが残っているので再戦もありえる。
1524年5月12日 フランス、包囲網離脱
おせーよ!
とっとと東方遠征に行きたいのだが。
フランスかカスティーリャのどちらかが抜けてくれないと動きがつかないので、待っていたら7年もかかった。
マムルークはアルハサも併合してさらに拡大。
16世紀前半には併合したかったのだが、どう見ても不可能。
16世紀中の併合を目指すことに。
まだ包囲網にいるカスティーリャが心配だが、外交態度は+なので大丈夫だろう。たぶん。
1524年5月25日 スコットランドで宗教改革
やや遅めの宗教改革開始。キリスト教諸国の足並みが乱れてくれることを期待する。
1524年10月4日 マムルークに宣戦布告
緒戦でいきなり敗北。
見ての通り後方に控えている予備を投入すればよかったのだが、距離があったのでつい
「やれる!!気持ちの問題だって!!」
という感じで応援しながら眺めていたらこんなことに・・。
同日、さらに追い討ちをかけるように海戦での敗北の報が届く。
開戦前の海軍力チェックを怠っていた。ひどい慢心具合だ。
もう戦艦でてるのかよ。これで海上は放棄決定だ。
そしてこの逃走経路。
ボスポラス海峡を封鎖されたため、とんでもない長さになっている。
もどってくるのに1年はかかりそうだ。マンパワー消耗も痛い。
1525年6月13日 ナポリ、オスマンに宣戦布告
またお前か!
盟主はカスティーリャ。
そしてフランスも同盟参戦している。
マムルーク領切り取りはあきらめ、全力で白紙和平を目指すことに。
厄介なことに、今回はフランス軍も登場している。
こちらの兵力は66000ほどで、戦力では圧倒的劣勢。
1528年6月9日 マムルークと停戦。白紙和平。
随分時間がかかった。
敵を完全に溶かしたので名残惜しいが、そうも言っていられず白紙和平。
その間、西部戦線はこんなことに。
西のほうにいるフランス軍の一部が、やる気がなさそうなのが幸いか。
疲弊もひどいことになっている。
占領地を奪還したいところだがどれだけかかるやら。
オスマンなので反乱の問題はないが、士気低下が痛い。
もったいないが、DIP消費確定だ。
翌年2月、ようやく全軍がヨーロッパ側に到着。
ボスポラス海峡を渡れないので、黒海北岸を歩いていく羽目になった。
しかしカラフルな占領地。
エディルネでフランス軍に決戦を挑む。
近くにいる部隊が援軍に来ることは確実で、勝てるか非常に怪しい。
この時点でマンパワーは残り一万。負ければ後がない。
決戦直前、8.03の疲弊を0.03に下げ戦闘開始。168のDIPを消費。
結果はギリギリの勝利。
途中こちらの士気のほうが先に削れているのを見た時にはどうしようかと思ったが、どうにもならないのであきらめて眺めていた。
この一戦でマンパワーが補充に必要な量を下回る。
大規模な会戦は不可能に。
ここでまさかの援軍登場。
祖国をハンガリーに占領されたセルビア人、怒りの一斉蜂起。
セルビア人の抵抗は半年にわたって続いた。上の戦いには勝ったものの、その後現れた増援の前に壊滅。
一方、オスマン軍は敵部隊主力がどこかへいっている隙に占領地の奪還を進める。
まったく進んでいないように見えるが。
1530年11月14日 カスティーリャと停戦。白紙和平。
7%まで押し戻し、なんとか講和。
停戦時の戦線。占領地奪還はろくに進んでいない。
フランス軍にやる気がなかったのが最大の勝因である。
そしてこの借金の山。
マンパワーもマイナス、回復まで10年はかかる大ダメージを受けたオスマン帝国の未来は暗い。
なお、戦後すぐカスティーリャは包囲網を離脱。
マムルークとの開戦をあせらずにおとなしく待っていたほうがよかったのかもしれない。
1534年初頭、ようやく借金を完済した直後の財務状況。
収支+3.36はひどい。初期に多少寺院と工場を建てたくらいなので無理もないが。
エジプト、ペルシャあたりを押さえれば経済は何とかなるだろう、という超適当な考えでろくに内政をしていない。まだシリア征服すらできていないが。
1534年6月18日 シチリアに宣戦布告
まだマンパワーもろくに回復していないにもかかわらず、性懲りもなくシチリア遠征を実施。
シチリアはフェラーラとしか同盟を結んでおらず、容易に属国化できると判断した。
なお、フェラーラも属国化可能だったが、教皇領属国化の結果を踏まえこちらは見送りに。
一カ国なら見逃してくれるだろうという甘い考えに基づいている。
ついでに、Ghazi(オスマン固有アイデア、異教徒と戦争している間マンパワー回復力3倍)で逆にマンパワーを増やそうともくろんでいる。
1534年7月21日 リトアニア、オスマンに宣戦
リトアニア、お前もか!
今回は、包囲網は無関係の宣戦。
リトアニアはイギリス・デンマークと同盟を組んでいるのであせったが、結局ポーランドしかついてこなかった模様。
ブルガリア方面に侵入してきたポリ連合を踏み潰すだけの日々が続いた。
1535年11月10日 シチリアと停戦 属国化
1536年3月24日 リトアニアと停戦 白紙和平
結局、マンパワーはろくに回復しなかった。
1539年9月10日 プロヴァンスで第2次宗教改革発生
これまでのところ、ボヘミアとイギリスがプロテスタント化。
北欧はデンマークによる統一の下カトリック信仰を維持、いつも通り旧教優勢。
なにかの間違いで皇帝がプロテスタントになると新教大勝利なのだが、一度しか見たことはない。
1540年10月2日 黒羊朝に宣戦
マンパワーはまだ回復しきっていないが、マムルークと戦争中なのを見て黒羊朝に宣戦。
未だ回収できていない中核州のエルズルムと、イメレティを確保してグルジアへの道を作るのが目的。
1542年10月23日 黒羊朝と停戦 エルズルム・イメレティ獲得
ようやく中核州を回収。100年近くかかってしまった。
1542年12月19日 グルジアに宣戦
返す刀でグルジアに侵攻。
グルジアは随分前から首都のみとなって周りすべてを黒羊朝に囲まれており、
いずれ消滅するだろうと思っていたのだが、未だに残っていた。
1543年6月7日 グルジアと停戦 属国化
1543年10月1日 マムルークに宣戦
前回の戦争で殲滅したマムルーク軍だが、長い時間の間に完全回復している。
失敗を踏まえ、慎重に行動することに。
峻険なアナトリア南部で待ち構える。
海上は手が出せないので放棄する。
慎重に行動していたつもりだったのだが、開戦後にマムルークとキプチャクとの同盟を見逃していたという事実が発覚。
エディサンに侵入してきたのだが、ボスポラス海峡は渡れない。
アゾフ通過のためのジェノヴァの通行許可はあるが、そこへ行く前に黒羊朝の通行許可が必要。
戦争での関係悪化で無理か? と思われたがokが出る。外交態度-106なのに。
なお、援軍が移動を開始した頃には上の部隊はどこかへ姿を消し、二度と現れることはなかった。
南では狙い通り山岳地帯での防衛戦に突入。
オスマン軍はスルタン、セリム1世(2/3/4)直卒。
息子スレイマン(4/3/5)の成人後は好んで前線に出ているようだ。
結果は大勝利。ちっこの調子だ。
戦争中に迎えた1544年末。今まで白い霧に覆われていた北方が見えるように。
オスマンでプレイ開始後、100年経過すると自動的にマップの可視範囲が広がるようだ。
さっそく状況を確認してみる。
ロシアヤバイ。超広い。オスマン10個分くらいあるだろ。
一方のオスマンは、1世紀にわたり戦争に明け暮れているにもかかわらず大して伸びていない。
リトアニアと同程度、ティムールやマムルークのほうがまだ大きく見える。
今回、ロシア側の領土が広がって接触するパターンではなかったので南進はまだかと思っていたのだが・・。
しっかり拡大してやがる。わざと存在を秘匿していたみたいで不気味だ。
兵力も充実。
こちらの2倍以下であることを祈っていたのだが無理だった。
Force Limitの差はそこまでではないが、AIは気にしないので意味はない。
そしてこの外交態度。
出会う前、モスクワ時代からライバル視されていた。
まさに宿命のライバルである。
兵力差とあわせて考えると、隣接したとたんに包囲網入り→宣戦のコンボをくらいかねないので、ただちに関係改善使節を派遣する。
ついにロシアと遭遇。
遅々として進まない征服事業。
今後どうなってしまうのだろうか。
しかし画像多すぎるなあ。これでも削ってるつもりだけど。