AAR/スルタン絵日記

西方攻勢

トレビゾンド

1459年9月27日 トレビゾンド併合

予定通り、トレビゾンドに侵攻。何事もなく併合。

さて、ビザンツの残骸を始末したので次にバルカンに目を向ける。
ワラキアやセルビアなど小国が多く、他国の影響下におかれる前に制圧しておきたい。
エーゲ海の島々ともども、切り取れるだけ切り取ることにしよう。
aggressive expansion(以下agg)が心配だがまあ、なんとかなるだろう。

なお、東側は兵力の多い国が多いので後回しにする。
勝ててもマンパワーを消費しがちなので回復に時間をとられがちだ。

ワラキア、ボスニア

1460年11月8日 ワラキアに宣戦布告
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捏造完了後即宣戦し、士気の回復もさせない。
ワラキアはボスニアと同盟しているので参戦してきたところをまとめて叩いて属国化。

1462年3月 ボスニア、ワラキアを相次いで属国化

この衝撃でセルビアが包囲網入りする。さらにベネチア、アラゴンと包囲網入り。

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さすがに困ったことになった。

面倒なのが属国にしているワラキア。どのタイミングで包囲網入りしたかは覚えていない。
バグなのか仕様なのか不明だが、包囲網に対し宣戦すると属国だろうと戦争になるのだ。

友愛使節を送りアラゴンへの関係改善を続けるが、ボーナスが+100に達しても包囲網から抜けてくれない。
ガレー濫造で海軍を強化しているのでアラゴンだけならどうにかなる。
しかしアラゴンはポルトガルと同盟しており、海上では勝てそうにない。
イベリアまで兵力を送る余裕はない状態で、アラゴンが盟主になると泥沼化しかねないのだ。
ひたすら待つ日々が続く。

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海ではベネチアがマムルークとキプロスをめぐって大消耗戦を繰り広げている。
いっそこちらもキプロスを狙おうか。

待っている間、イベントが多数発生する。

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彗星により愚民たちが動揺し安定度-1。個人的に最低のイベントだと思う。

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大主教の処遇を決めるイベント。
コンスタンティノープルの税収目当ての無情な措置。
税収が16になる。
目標は20だ。ランダムイベント頼みの運ゲーだが。

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汚職事件発生。
安定度-1とインフレ率+3%の2択。
インフレ率を下げるアドバイザーが出現することを信じてインフレを甘受。

セルビア

1471年2月 アラゴン、包囲網離脱
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長かった。大国はなかなか離脱してくれないから困る。

ベネチアとマムルークの争いはまだ続いており、マムルーク優勢でベネチアは弱っている模様。
ベネチアの同盟相手はプロヴァンスとトスカーナ。
今度はハンガリー、オーストリアの通行許可も取っており万全だ。

1472年10月 セルビア属国化
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待たせたな。

ベッサラビア

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モルダヴィアを併合したポーランドは貴族主義アイデアを選択している。
貴族主義アイデアは、2番目にコア化コスト+100%の効果がある。
そこまで進まれる前にベッサラビアを確保したい。

見ての通り、ポーランドの陸軍技術はレベル5。
こちらは来年(1473年)には7になる予定である。
砲兵が生産可能になるので、到達と同時に量産、完成後仕掛けることにする。

1473年6月 陸軍技術、レベル7到達

直ちに雇用限界まで砲兵を生産する。6部隊しか作れない。
解隊はもったいないし、砲兵を増やすと維持費もかかる。とりあえずこれで十分だろう。

1473年11月1日 ポーランドに宣戦布告

大国相手の本格的な戦争は初めてである。
同盟相手にいつのまにかリガが加わっていたが、大差はない。
ポーランド陣営の総兵力は12万。ただしリガがレベル6なのをのぞくと、いずれも5。
それに対しこちらはレベル7のオスマン軍4万8千。それに少々の属国兵。
コンスタンティノープルに全兵力を集中し、広い平地でやってきた敵を正面から迎撃する。

侵入してきたポーランド軍前衛部隊。
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コンスタンティノープルへの突入を中止、謎の反転をするポーランド・リトアニア連合軍。
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リーダーはクリタスキーか? あるいは羅針盤の機嫌が悪かったとか

ワラキアの包囲を解いて撤退する連合軍。
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他に戦争を抱えているというわけではないようだが。

この後も不可解な動きは続く。

そして補給不足からかものすごい勢いで消耗してゆき、開戦3年目の夏ごろには兵力が半減。
いっこうに決戦ができないことにいらだったオスマン軍は、こちらから攻撃を仕掛けることに。

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ブルガスにいた少数の兵力を攻撃するため軍を二分したところ、ようやく相手から攻撃してきてくれた。
この時期のオスマン軍は本当に強い。

1477年2月 ポーランドと停戦。ベッサラビア獲得
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その後ベッサラビアを占領し、和平交渉。
戦勝点が足りないように見えるがOKしてくれた。人的消耗に心が折れたようだ。

なお、この和平に先立ってクリミアがポーランドに宣戦。
梯子を外された形のクリミアは滅亡への道を歩むことになるのだが、それはまた別の話。

ナクソス

1479年1月15日 ナクソス併合

停戦期限切れと同時に宣戦するつもりだったのだが、捏造を忘れていて余計な時間がかかってしまった。
これでコンスタンティノープルノードは独占。

ラグサ

1479年9月6日 アラゴンに宣戦布告

いつのまにか、ベネチア以外との同盟が切れていたアラゴンに宣戦。目標はラグサ。
海軍は増強されており、アラゴンのみなら本土も狙える。
さらにありがたいことにカスティーリャと戦争中。このチャンスを逃す手はない。

1481年10月22日 アラゴンと停戦。ラグサ獲得

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イベリアに上陸するまでもなかった。
楽勝である。

ブルゴーニュ終了のお知らせ
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ブルゴーニュがイベントで解体。領土はフランスとオーストリアに分割された。
末永くフランス、オーストリアと対立してくれることを期待していたので残念。

エディサン

1482年6月28日 ポーランドに宣戦

ポーランドに2度目の宣戦。オーストリアと戦争中のところへ背後からの無慈悲な鉄槌を加える。
旧クリミア領のエディサンが目的。

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ベッサラビアで、予備として控えていた砲兵なしの部隊が殴られる。
援軍として砲兵を向かわせたのだが、その必要もなく勝利。

ポーランドは前回の戦争から戦力が回復していないこともあり圧勝。
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1484年7月2日 ポーランドと停戦 エディサン獲得

これで北側で欲しいところはカッファとアゾフだけ。
史実(EU4準拠)だと全盛期にはポドリアとブラチスラフも領有していたようだがあまりメリットもなく、確保するかどうか悩ましいところか。

1484年頃のオスマン帝国

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