はーい。今回はポルトガルでまったり植民プレイをしてくよー。え?滅亡寸前の国家のプレイが専門なんじゃないかって?細かいことを気にしたら負けだよー。それにぶっちゃけ朕はそんなにプレイが上手くないからたまには息抜きがしたいんだよー。
もう茶番を用意するのが面倒だからさっさと自己紹介だよー。今回の相方はこの人ー。
どうもエンリケです。皆さんには航海王子などと呼ばれております。
今回のプレイ目標はTurn the Tableの実績の解除。第二目標は朕の帝国での北アメリカ大陸の統一だよー。夢がひろがりんぐだね!じゃあ早速やっていこー。
1444年ポルトガル王国はレコンキスタをほぼ完了させイスラーム勢力の脅威を取り除きいち早く大航海時代へと乗り出していた。時のポルトガル国王アフォンソ5世は香辛料貿易の利益を求めエンリケに対して東廻りのインド航路の開拓を命じていた。しかし当時の外交顧問であったシャーヤ=カ=ハーン伯はエンリケをそそのかし全ポルトガルの常備軍と艦隊を率いてアゾレス諸島へと向かった。
シャーヤ伯はアゾレス諸島に14連隊の衛兵を配備し立てこもるとカスティーリャ王国との外交を密に進め本国からの制裁を巧みに交わしていた。シャーヤ伯はエンリケに1艦隊の指揮を命じアゾレス諸島の西域探索を行わせた。そして1445年にはバミューダ諸島の発見に至った。
1456年バミューダ諸島への入植を開始したシャーヤ伯はその本拠地をバミューダ諸島へと移し、さらに西域の探索を開始した。エンリケ率いる小艦隊は同年フロリダ半島を発見。1457年にはルイジアナ地方の一部を発見した。
あの、これ私こき使われてるだけですよね?何で「エンリケの反逆」って言われてるんですか?「シャーヤ伯の反逆」と呼んだ方がふさわしいかと・・・
朕の名前を反逆者として取り上げるとか不敬罪だよー。それにポルトガル本国ではエンリケが首謀者でシャーヤ伯の存在は明るみになってないという脳内保管がされているから問題ないよー。
バミューダ諸島への入植を完了したシャーヤ伯は続いてルイジアナ地方の入植への足掛けとしてサンブラス岬への入植を開始した。この入植によりシャーヤ伯一行はクリーク族などのアメリカ先住民族の集落を発見したとされている。
シャーヤ伯はルイジアナ地方へのいち早い入植を目論み先住民族の同盟関係を巧みに利用し1464年クリーク族に宣戦を布告することでミシシッピ川南部に位置するチカソー族をこの戦争に巻き込んだ。シャーヤ伯はこの戦争でチカソー族が有していた土地を完全に併合し、クリーク族からは多額の賠償金を獲得した。さらにルイジアナ地方開拓の足掛けを手に入れたシャーヤ伯は1468年にチョクトー族の集落に侵攻を開始。翌1469年にはこれを完全併合した。これらの戦域は主にミシシッピ川周辺に及んだため、この一連の戦闘を差してミシシッピ戦争と呼ぶことが一般的である。シャーヤ伯はこの戦争で得た賠償金を活かし本格的なルイジアナ地方への入植を開始した。
ミシシッピ戦争の成功を収めたシャーヤ伯はルイジアナ地方の本格的な入植を開始し、1471年にはカンザスを発見するまでに至っていた。ルイジアナ南部での勢力圏を確固たるものとしたシャーヤ伯は1475年にシャヤカ皇帝を名乗りシャヤカ帝国の樹立を宣言。ここに北アメリカ初となるヨーロッパ人による国家が誕生した。
シャーヤ伯がシャヤカ帝国の建国を宣言し北アメリカでの開拓を続ける一方、新大陸の情報を聞きつけたポルトガル王国本国も大西洋探索を始めることとなった。1478年ポルトガル王国は現在のブラジルに到達し南アメリカ大陸を発見しここに入植を開始した。しかしシャヤカ帝国とカスティーリャ王国による外交的圧力によりポルトガル王国はこの植民地を放棄するに至った。これは南アメリカにおけるカスティーリャ王国の優位を確立するものとなった。
シャヤカ帝国が自立してしばらくするまでは拡張で増えた要素に楽しむのに必死になっててスクショが少ないよー。いつもなら撮ってるようなところも取り忘れたりしてます。ごめんなさい。
Mapもなしですか?随分とずさんなAARになりそうですね・・・
しばらくはこんな感じですが懲りずに見てくれるとうれしいです・・・