1500年。
オーストリア、ボヘミアに対し同君連合化を請求し宣戦。
同盟国ハンガリー及び我がテオドロ(強調)の大なる支援も受けてこれに勝利。
ハプスブルク家はボヘミアを同君下位に置くことに成功した。
さすがにワロタ。
短期的には良いが長期的にはたいへんこまるんですがこれは・・・
一方そのころオスマン帝国は大変に伸び悩んでいた。
1517年現在の東方情勢がこちら。
オスマンと同盟した白羊さんがたいへんうまく立ち回ったようで、
黒羊をほぼ丸のみにしオスマンの東方への道を遮断。
エジプト・シリアにおいてはマムルークが、チュニス・モロッコと堅固な同盟関係を築いており
オスマンのみならずカスティーリャ・ポルトガルのマグリブへの進出をも見事に阻んでいる。
クリミア方面ではフランスと結んだジェノヴァがこれまたオスマンに立ちふさがり、
ポーランド=リトアニアもまたジェノヴァの食べ残したクリミアの残りを制圧している。
西には超大国化したオーストリアとの同盟の元に(同君落ち・帝国入りはしていない独立状態)
ワラキアを丸のみにしたハンガリーが鉄壁の守りをなしている。
というかこの時点でエピルス専制公国がなぜか生き残っている(フランスとの同盟が成立している)位
オスマンの伸びが極めて悪い世界となっている。
そして我がテオドロ。
ハンガリーがド安定なのを見てこれと同盟。
オーストリア=テオドロ=ハンガリーの三国同盟を成立させ安全保障を万全なものとし。
元同盟国マントヴァや、財政破綻で弱体化したミラノを切り捨てて締め上げつつ、
フィレンツェなど周辺の諸侯もAEの散り具合に注意しながらじわじわ併呑。
1525年にはガレーの群れを増産、一度皇帝にぶん殴られてグロッキーのヴェネチアを攻囲するなど
順調に勢力拡大を続けている。
北ドイツ側でも1領1領じわじわ食い取っているのだが
何しろ入り組みまくった同盟関係、皇帝に守られた諸自由都市
自国が正教であるが故の微妙な同盟の組みにくさなどなど、
いきおい、拡大はイタリア側中心の方が目立つ形になっている。
アイデアは外交→人文と取得。
アイデア補正に政策にニコラオスの聖像常時配置と諸々載せて
関係改善は150%近い数字を維持。年5点のペースでAEが消えていく状態となっている。
これに商人による関係改善補正や顧問の補正などうまく流れればAE年マイナス6まで見える。
正直、外交+人文のシナジー無しでHRE小国プレイとかやる気しませんよ。
また、領土拡大戦争の巻き添えを食わしたドイツの小領邦には、
和平時に片っ端から正教への強制改宗パンチをお見舞い。
1540年に正教の守護者補正Tier4を確保するに至っている。
おいしい*1
テオドロがせっせとHRE内に正教を広めている中
東方では化け物君主の元にポーランド=リトアニアが統合され、コモンウェルスが成立。
これに対しオーストリアが、同君ボヘミアとハンガリーらを連れておもむろに宣戦を布告。
東欧一帯を巻き込んだ大戦争に発展した挙句、
すったもんだの末、コモンウェルス側に立って参戦したローマ教皇領の総本山ローマが
皇帝側に立って参戦した我がテオドロに割譲されるという思わず頭を抱える展開も発生した。*2
また、イベリアン・ウェディングにて成立したスペインに、
フランスがおもむろに殴り掛かり、バスク一帯を切り取るという椿事も発生。
以降フランス=スペイン関係は最悪の状態となってにらみ合いが続くこととな・・・
なんでやねん(憤怒)
1556年
テオドロ公の代替わりに伴い、ブラウンシュヴァイク公領の継承が発生。
北ドイツの全域が直轄領化した。
別に慌ててなかったのでもう100年くらいそのままでよかったんだけどね。
そして同年、
ハプスブルク家でも代替わりがあり、それに伴いボヘミアが継承併合された。
皇帝の動かせる兵力がかなり減ったのでこれはありがたし。
強くなられすぎると後が困るからの。
そうした変動もありつつ、1561年にはヴェネチアをイタリアからたたき出すことに成功。
ヴェネチア政府はクレタ島に残存はするものの、ほぼ放置してよい勢力となり下がった。
またこれらの国力の増大を受け、かねてより狙っていた
なぜかギリシャにて生き残り続けていたエピルス専制公国の外交属国化に成功。
フランスの同盟が延々継続して誰も手が出せなかったのを引きはがすことができた。
続いて1562年
ク
ー
マ
ン
デ
独立運動を見事抑えこみ切ったデンマークがスウェーデンを外交併合。
この世界印象深い同君&継承が多発しておる。
ところでいまだにアイルランドすら制圧できないイングランドは何やってんだろう??
などと思っていたら
1563年、オーストリア、ついにテオドロにブチ切れるの巻。
ゆるして(卒倒)
トリエント公会議(だよね?)イベントの結果による異端評価マイナス80に加え
コンスタンツへの領土欲マイナス99が重なった結果であった。
たまらん。でもコンスタンツは離さん。
幸い、同じカトリックでも領土で競合しないハンガリーとは同盟が継続でき、
安全保障面で支障はないのが救いである。
それに考えてみれば、ここで皇帝と縁が切れたのはかえって良かったかもしれない。
なにせ
1567年に始まったこの全欧を巻き込む大宗教戦争に
局外中立我関せずを貫くことができたのだから。
こんなの好きこのんでかかわりにいくもんじゃないわ。
第3話 作成中