あとは塗り絵、植民、改宗の仕上げです。
作業的なフェイズなので駆け足で走り抜けます。
啓蒙主義の発祥はマダガスカル(!)でした。
大学は各地に建ててあり、受容は1714年となっています。
そして最後の時代でもある革命の時代に入ります(1710年2月~)。
ボーナスは Improved Forced March → Napoleonic Warfare → その他といった感じで征服スピードを上げるものから取得していきました。
巨大な植民国家宗主国として残っているフランス・英国を攻め落とし、フランスは1711年、英国は1725年に併合となりました。
フランス併合時に過剰拡大が100%を超えてしまいましたが、超えた分は直後に衛星国を設立することで逃しました。
なお、本プレイではこの時以外は過剰拡大が100%を超えないようにプレイしていました。
英国併合後の新大陸の様子は以下のとおりです。
中央・南アフリカは自力植民を要することなく埋まってくれています。
新大陸の宗教マップは以下のとおり。
征服したばかりの英国・フランス系の植民国家はまだまだですが、先に征服しているポルトガル・スペイン系の植民国家は充分に改宗が進んでおり、充分に改宗を担っていてくれることが分かります。
……ところで、この画像に潜む酷いミスに気づいた方はいらっしゃいますでしょうか。
1734年、改修されていないプロヴィンスがポツンとあるのに気づきました。
このプロヴィンス、植民国家自身がコア化できない飛び地です。
改宗はコア化できているプロヴィンスでないと行ってくれないため改宗されようがなく、このままでは One Faith 条件を達成できません。
現地国家征服の際、プロヴィンスはすべてオスマン割譲で和平した後、システムの自動配分で植民国家に渡していたのですが、その際にコア化できない箇所が配分されてしまったいたのがこの原因です。まさかコア化できない自動配分が起こるなんて……。
仕方ないのでリリースして征服する手続きを踏むことにしました。
調べてみると、上記画像の他にも同じ現象が起きているプロヴィンスがあり、コロンビアとルイジアナの2国をリリースすることになりました。
これはかなり悔しかったです。
開発日記を見る限り新バージョンでは従属国のプロヴィンスを改宗ができる(?)ような感じなのでこの悲劇はもう起こらないものとなるかもしれません。
1750年時点での旧大陸は以下のとおり。
同宗教であるエチオピアを攻め始めるタイミングを見誤り、かなり大きな規模で残してしまっています。
総開発度はちょうど20000を超えたくらい。
西欧国家征服プレイでは日本はいつも最後の方まで残っていますね。
君主は今まで何とかなってきましたが、1757年、なんとオスマン朝が途切れました。
ゲーム的には同時に立ってくれた超名君のおかげで何ともありませんが、これには何と言っていいか……。
仕上げですが、本プレイにおいて最後のネックとなったのは……
征服に関しては、1769年にエチオピアを征服して完了。
入植に関しては、1772年に完了。
(詰めの未入植地確認は、画像のように Possible Colonies 台帳が便利です。)
というわけで、最終のネックは改宗でした。
最後の改宗箇所となったのはインドネシアのブル島です。
これは、インドネシアの国家を複数残しておいてしまっていたことによりその国家間の征服→改宗で Religious Zeal が発生し、改宗を行えていなかったものです。
この改宗を1775年に終えたことで、One Faith の条件を満たしました。
目標達成です!