このあたりから大きな戦力差のある戦いが多くなるため、重要な戦争以外の記載は簡単だったり省いたりという感じになります。
1481年までにトレビゾンド、ティムール朝、ハアサなど矢継ぎ早に侵攻を重ねていたところ、エジプト征服ミッションが手に入ったためマムルーク朝に第三次侵攻を行いました。
戦勝点の許す限りプロヴィンスを割譲させて和平し(1486年)、1488年には割譲させたコプト聖地であるアレクサンドリアの改宗を終了して最後のコプト補正(Manpower Recovery Speed +10%)を得ることができました。
その後も諜報網構築で請求権をつくりながら、テオドロ・ジョージア(1488年)、2方面戦争を抱えていたポーランド・リトアニア(1493年)、アラビア半島の各首長国やヴェネツィアから独立し孤立していたギリシャ文化の諸島などに対し外征を行っていきました。
このあたりは、ミッションに従った相手だったり、明らかに弱かったり、戦争で隙を見せている国家を殴ったりと自然な拡張を行っている感じです。
以下の版図は、切りの良い1500年1月時点のものです。
(丁度良い時点のスクリーンショットを取り逃しても安心のタイムライン機能、AAR的に最高にありがたいですね。)
この後、1501年にマムルーク朝への第四次侵攻を行っています。
エジプト征服ミッションは通常、条件となっている全てのプロヴィンスを2回の戦争で奪えないため、この征服が終わった時点で新たなミッションを得るためにキャンセルしています(2回めの停戦期間中にミッション選択で得た請求権が消失してしまう)。
素晴らしい後継者を引きました(1494年)。
あまりにも素晴らしいので成人し次第、現君主に退位 (Abdicate) して頂き国を治めてもらいました(1509年)。
正統性-20と威信-50のコストは軽くはないですが、能力に優れない君主に退いてもらったり、変なタイミングで君主や後継者に不幸があって計画が崩れたりするのを防ぐなど、タイミングを選べば非常に有用なアクションだと思います。
なお今回は、後継者自身の能力は申し分なかったもののクレームが弱かったため、譲位後の正統性が10 (!) となり高い不穏度に相当期間苦しむことになりました。
なお、すぐに現れた後継者は3/4/3であったため、他の国であれば悪くない君主であると思いますが残念ながら引き直しです。さようなら。
ポルトガルが60歳超で後継者無しという状況に陥っていたため、関係改善・同盟等を駆使して婚姻を結びました(1503年)。
こうした状況で婚姻を結ぶことで家系乗っ取りや継承などのチャンスが生まれるため、婚姻はキリスト教系国家の強力な外交ツールです。
……ですが、本プレイではこのポルトガルとの婚姻をはじめ、実は一度も婚姻戦略が上手くいくことはありませんでした。
コプト化の魅力のひとつなのに具体的な成功例を紹介できないのは残念です。
威信に関して、基本的に次々と戦争をしているため多く獲得できますが、上限を超えてしまう分はもちろん獲得できません。
有効活用のため、適宜威信の消費を行っていきます。
君主・後継者に関する退位・廃嫡や、後述する属国の Placated ruler が主な使途ですが、他には威信15を消費した地図交換があります。
地図交換を受けてくれる国家は、外交マクロ画面で簡単に探せます。
ただし、交換しようとする地図範囲の隣の範囲に自国ユニットがいないと交換できません。
自国が戦争中でも行えるため、戦争で踏み込んだタイミングでその先の範囲の地図を交換していくとスムーズです。
既知でない領域を含む相手と戦うのは危険で時間もかかるため、適宜地図交換を行っていくと拡大速度に水を差しません。
本プレイでは、自力で既知にしたのはシベリアの奥地と新大陸の若干部分くらいで、他はすべて交換で済ませています。
1506年に宗教アイディアをコンプし、隣接する異宗教への永続CBを得ました。
宗教CBは、隣接する異宗教国家であれば問答無用で宣戦でき、DIPのペナルティ無く全てのプロヴィンスを割譲させることができます。
コプト国家はエチオピア地域以外に存在しないため、そこを除けば、コプトマンはあらゆる隣接国家に常に宣戦可能でDIPペナルティを考えず好きにプロヴィンスを割譲させられると言えます。
通常のオスマンであれば、スンニ国家(特に豊かなスンニ国家)の征服はCBや Piety の点でやや不自由しますが、コプトマンであれば何も気にせず轢くことができます。
ここまで自由なCBは通常、基準年1700年のDIP技術23で解禁される Imperialism CB まで待たなければいけません(こちらは隣接しなくとも宣戦できますが)。
また、宗教CBはAEが75%(→包囲網がやや組まれにくい)、威信が200%(→多くの威信が手に入る=威信消費アクションを多くできる)といった点も優れています。
今後はこのCBを利用し、次々と戦いを重ねていきます。
なお、アイディア選択については、前後も絡んでくるので選択理由についてはまとめて後述します(画像のとおり、現在までは Influence → Religious)。
前後しますが、1493年にペルシャの外交併合を開始していました。
外交併合は、対象国の自由欲求を50%未満に保たなければ進行しません。
ペルシャは高い開発度によりどうしても高くなってしまうのですが、Interactions の Placated ruler で押さえ込みます。
(※反乱によるティムールからのプロヴィンス離反が若干起こったため、Province Defections ペナルティが少しだけ乗っています)
Placated ruler は威信20を消費して自由欲求を-10%するもので、重複します。
先述のとおり度重なる戦争で威信が多く手に入るオスマンでは、威信コストは無理せず用意できます。
ペルシャについては様々な戦略が考えられますが、早期に併合する大きな利点の一つは交易にあると思います。
交易は、上流交易ノードの富を下流交易ノードに引っ張ってきて回収することで収益化されます。
しかし、コアを全て抑えたペルシャはコンスタンティノープルノードより上流の交易ノードを支配してしまいます。すると、この先豊かなインドなどを支配してその富を引っ張ってくる際、ペルシャに大きな中抜きを食らうことになります。
併合してしまえばそれを防ぐだけでなく、ペルシャ自体も豊かな地域であるためその富も余すことなくコンスタンティノープルへ流すことができます。
自由欲求を管理できる前提では非常に強力な属国として機能してくれますが、プレイヤーが操作するオスマン自身の財政を強くし、軍量を確保できるようにして拡大を容易にするという観点で、本プレイでは早期併合を選択しています。
そんなこんなで、1522年に併合を完了しました。
また、以下はペルシャを併合して2ヶ月後の経済です。
かなり収入が強くなってきました。
ペルシャノードからアレッポノードに富が全て流れ込んでいるのは、ペルシャ直轄の気持ちよさですね。