AAR/オラニエの交易自習室
前回:第四話 インド洋貿易の支配者

第五話 東インド会社の拡大 (1650-1700)

もくじ

東南アジア勢力圏の拡大

マラッカ侵攻(1654)

 シャヤカ=ハーンは東南アジアの貿易会社の拡大を図りマレー半島からスマトラ等にかけて誕生した新規国家マラッカ王国に対して侵攻を開始した。オランダ軍は瞬く間にマラッカ全土を制圧し、同年これを完全併合した。しかしこのシャヤカ=ハーンの積極的な東南アジア進出は同じく東南アジア貿易の富を狙うフランス・スペインとの関係を悪化させ、この戦争の後フランスはオランダとの同盟の破棄を宣言した。

第二次アユタヤ侵攻(1655-1660)

 フランスとの同盟破棄を宣言されたシャヤカ=ハーンであったが、東南アジアでの勢力圏拡大の政策を中止することはなかった。かの生き物はここでこのような迷言を残している。

&ref(y.jpg)「国家の安定よりも実績の解除の方が大事。」

 この意味不明な明言をもとに1655年オランダ軍はアユタヤ朝が支配するマレー半島に侵出し5年をかけてその全土を占領した。この戦争によりオランダはマレー半島一帯を勢力下に収めるが、同時にこのことはスペインの警戒を呼び、スペインとの外交関係をさらに危ういものとした。

オランダの低迷期

オランダ=オーストリア戦争(1660)

 オーストリアはこのオランダ同盟の安定性の欠如を見抜き1660年オランダに対してネーデルラント一帯を再び神聖ローマ帝国に編入すべく宣戦布告した。オーストリアの目論み通りスペインはオランダとの同盟を破棄し、オランダは一国のみで帝国軍を相手取ることとなったが、この時オランダ常備軍は全てインド洋各地に展開していた。この状況を見てシャヤカ=ハーンはオーストリアに対して全面降伏し、ホラント地方が再び独立することとなった。

ホラント侵攻(1665-1666)

 オーストリアへの全面降伏に対して、オランダ国民の中には理解のある者もいたが、大半のものは帝国軍へ下ったシャヤカ=ハーンに対して不満募らせていた。1665年、ユトレヒト市民を中心とする強硬派がホラントへ侵攻を開始した。ホラントを保護すべくブランデンブルク、続いてロシア帝国がオランダに対して宣戦を布告した。オランダ軍は圧倒的な兵力差の前に敗れ、オーストリアから割譲させた南部3州を再びオーストリアに返還することとなった。シャヤカ=ハーンはこの失態をオラニエ家に反対する貴族によるものとしこの貴族たちの政界からの追放を行った。これによりオランダ議会でのオラニエ家の発言力が強まるに至った。

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東南アジア政策の完遂

ブルネイ侵攻(1666)

 大部分の貴族を犠牲にすることで権力を維持し続けたシャヤカ=ハーンはポルトガルの保護国であるブルネイへの侵攻を開始した。オランダ海軍は既にイギリス海軍を凌ぐほどの艦隊数を保有しており、制海権を確かなものとしたオランダは直ちにボルネオ島全土を占領。ボルネオ島西海岸一帯を割譲させ、東南アジアにおけるポルトガル勢力の排除を強制して和平した。

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明侵攻(1676-1678)

 東南アジア貿易の安定を見計らったシャヤカ=ハーンは早くから耳にしていた黄金の国ジパングの征服に本格的に乗り出し始めた。日本征服の拠点として明の有する海南島に目を付けたシャヤカ=ハーンは1676年明に対して宣戦を布告した。これに対して明・日本・斯波氏が連合して迎撃した。しかしオランダの圧倒的な軍事技術の前に連敗を重ね、ついに1678年海南島をオランダに割譲することで和平した。

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第三次アユタヤ侵攻(1680-1682)

 1680年オランダ軍は再びアユタヤ朝に侵攻し、その全土を占領。ついにこれを完全併合した。

アチェー侵攻(1682-1685)

 オランダは未だに東南アジアの貿易でもっとも高いシェアを占めているアチェー王国に侵攻を開始した。当時アチェー王国はポルトガルが保護国として勢力圏を宣言していたが、ポルトガル海軍はオランダ海軍にインド洋海戦にてことごとく撃沈させられた。1685年オランダ軍はスマトラ島全域を占領し、この地の勢力圏化を宣言した。

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オランダ同盟の再成立

スペイン、フランスとの再同盟(1692,1694)

 オランダが東南アジアでの勢力圏を急速に拡大していた一方、欧州ではハプスブルク帝国、ロシア帝国がさらに力を増していた。これらに対抗すべく帝国外の西ヨーロッパ諸国は対ハプスブルク、対ロシア帝国を掲げ結束を見せるようになる。これに基づきスペイン、フランスは東南アジアでのオランダの優先権を認め1692年にはスペインと、1694年にはフランスとの同盟再締結にまで至った。

日本への強襲上陸(1696-1698)

 斯波氏と室町幕府との天下分け目の大合戦に乗じ、シャヤカ=ハーンは遂に日本への本土上陸作戦を打ち立てた。1696年、海南島から出航した重量船ふくむ200の艦隊が西日本一帯の港を封鎖。1698年までには幕府の直轄領の全てを占領し、九州・四国・西中国地方を割譲させた。

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おわりに

しゃやか=はーんの休日

y.jpg はーい。これで国制がオランダ共和政でかつ中国のプロビンスをかくとくしたよー。あとは共和政伝統を100にするだけね。

w.jpg おバカな陛下はオラニエ家与党の勢力を100にするのが条件だと思いこみずっとオラニエ家与党を選択していて共和政伝統が0に張り付いていた状態だったので100に戻すまで100年近くかかりましたね。とんだおバカさんです。

y.jpg みんなもこの実績狙うときは気を付けてねー。オラニエ家与党だと共和政伝統が毎年ガンガン減っていくから、中国の領土を手に入れるまでは貴族与党で共和政を100付近に維持。中華プロビを手に入れてから次の選挙でオラニエ家与党を選択すればこの実績は何ら苦ではないよー。

w.jpg ちゃんとWikiにも「共和政伝統100」って書いてあるんですからそんなおバカな勘違いをするのは陛下だけでしょうから安心してください。次回は4つの貿易会社の本格的拡大に乗り出したいと思います。交易関係の建物建てたりしてね。

y.jpg それじゃあ次回までゆっくりしていってね☆

1700年の世界地図

MAP1700.png

MAPを見直してから思い出しましたが途中でオスマンに宣戦されてホルムズをペルシアに奪われてます。東南アジアの2つと西アフリカの一つの貿易会社で既にボーナスを達成しているのであと一つです!ポルトガル領北海道。

第六話 


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