長年分裂状態が続いた神聖ローマ帝国
その諸侯の殆どをまとめあげたブランデンブルク選定侯は
新たなドイツ帝国の建国を宣言した
新たな帝国・新たな宗教・新たな軍隊
中欧の異質な帝国は常に世界の目の敵にされ
1699年のトルコの宣戦を機に
次々と周辺国の軍に国土を蹂躙されることになる
1600年代後半Omanは多くの問題を抱えていた
一つ目は他国と比べて質の弱体な陸軍である
以下の比較で明らかだ
country | morale | discipline | inf | cab | art |
Oman | 5.1 | 105 | 0 | +10 | 0 |
Ottomans | 6? | 115 | +10 | +25 | +10 |
Germany | 7? | 120 | +30 | +10 | +10 |
Moraleについては様々な要因があるため計測が不可能だが
大差を付けられているのは自明だろう
これだけ差がついたのはなぜか?
それはアイデアによるものだ
まず国がそれぞれ持っている固有NIで
Omanは陸軍面での強化要素は一つもない
本当に一つもないのだ
比べてOttomansやGermanyはこの時代の大国らしく
士気・規律ともに強化されている
Germanyに関しては歩兵の能力や陸軍伝統までもだ
次に選択アイデアだ
統治技術の進歩に並行して
選択アイデアが解放される
これも比較すると
Oman 探検・貴族・拡張・量・経済・海軍 Ottomans 外交・統治・Def・Off・量・質 Germany 諜報・Def・経済・量・質(5つしか解放していない)
他国が陸軍偏重なのと比べOmanは
質への寄与が低い貴族アイデアと量アイデアのみだ
ロシア戦では優位な状況でOman軍は壊走しかけたが
今後の仮想敵(Spain・Germany・Ottomans)はそれより強く
野戦で勝つのは不可能だと言わざるをえない
それなりにそろえられる量を活かして
野戦を避けながら何が出来るか?を考える必要があるだろう
陸軍以外にも問題がある
経済についてだ
他国より圧倒的に早く各種建造物と工場を
全土に建て終えたが
試算よりも実際の経済発展は小さかった
物価変動を誤算していたのである
Ver1.7時代の物価は算定方法にいくつもの要素が絡んだ
基礎価格*需要/供給
基礎価格は今と同じもので奢侈品は3、必需品は2で
Ver1.9以降はこれにイベント補正がそのままかかることで
実際の物価が算出される
供給は全国での生産量の総和で
穀物のように多いものもあれば
茶や銅のように少ないものもある
州の情報を見ればその州でどれだけ作られてるか判断でき
世界の生産量のうち自国でどれだけ占めてるかも
台帳を見れば判断できる……今回は台帳は見れないが
一番算出が難しいのは需要要素で
各州ごとに計算された需要の総和を全州の数で割ったものだが
それぞれの州について直接目にすることが出来ず
またその計算過程も見ることが出来ない
しかし算出された最終的な需要は見れる
州を沢山持ってると価格操作が出来るが
任意に操作するには相当な州を持つ必要がある
……今回のOttomans・Oman陣営位持っていればある程度可能だ
しかしそれでも利益を出すのは難しい
ある産品の値段を吊り上げようとすると
反射的に他の産品の値段が下がってしまう場合が多いのだ
例えば戦争をすると必需品や鉄の値段が上がるが
同時に奢侈品の値段が下がってしまう
他の産品に影響を及ぼさないように上げる方法は
交易系建造物Lv6を建てるなどあるが
全土に建てるとな経済以外に影響が出てしまい
やはり安易に物価操作は出来ない
今回物価変動について誤算していたのは供給の部分である
需要に関してはそもそも厳密な算定が不可能だが
供給についても誤算していた
供給(生産量)を伸ばす方法は生産系建造物Lv2か工場を建てるの二つある
高価な奢侈品の産出する州にこれらを建てれば儲けが出る
しかし同じ建築コストなら儲けが出る州に建てたくなるのは誰も同じで
みんなが建てると供給が激増してしまい価格が下がってしまうのだ
勿論みんなが建ててる中自分だけ建てないと
全体で占める割合が減るため利益も縮小していくのだが
最悪なケースは自分しか生産していないものを増産して
価格を下げてしまうパターンだ
今回のマルチではOmanが8割近くの香辛料の生産州を所持しており
これらにすべて建築を建てた結果価格は大暴落
15世紀のうちは平均5.4dだったが18世紀には3.5dまで下落し
予想利益を大きく下回る結果になった
工場の建築コストを回収できてないかもしれない
更に酷いことには需要パターンが必需品↑奢侈品↓の場合
例えば戦時中は
穀物の価格が3.5d、魚が2.5d、香辛料が2.4d
と価格が逆転する事態になった
今回の失敗はともかく、最適解を見つける試行錯誤に面白い分野だが
Ver1.9で完全に廃止されてしまい残念である
経済面でのもう一つの問題は早期に建築がカンストしてしまったことだ
これ以上内政でお金を使う方法が無くなったのだ
お金だけがどんどん貯まって使い道が無くなる…という状況である
今回のマルチに参加するまでGCを完走したのは一回しか無く
その際も借金漬けで終わったので
まさかお金の使い道が無いなんて問題にあたるとは予想外だった
今まで考えて来たことは
「限られた資金の中でどのような建築をすればいいか」
だったが実際に必要なのは
「将来に無限の資金を持っているのを想定してどのような建築をすればいいか」
という思考だったのだ!
資金が無限にあるという前提ならば
収入が増加する/支出が減るという効果を生む建築物は意味が無い
ではその要素を排して各種建築物(Lv5&6)を比較してみる
政府 反乱率-2 防諜+25 改宗度+3 陸軍 人的資源+100 +50% 徴兵期間-25% 海軍 修理+50% 造船期間-20% 生産 インフレ-10% 要塞 要塞レベル+4 補給限界+80% 消耗+3 改宗度+0.2
こう見るともっとも強烈なのは要塞だろう
とくに消耗+3は他の要素、例えば冬やDefアイデアと組み合わせれば
本当の意味で待ってるだけで敵が消えてしまう
しかし問題なのは要塞は陸軍レベルが29にならないと解放されない
それまでに建築するのを考えると
陸軍系建築が最も良いと思われる
Omanは海軍建築に力を入れて来たが正直良い選択ではなかった
確かに造船期間-20%は必要だがそれは造船地帯だけで十分だ
海軍は金さえ払えば維持できて、
マンパワーが必要な陸軍よりも建築物の必要がない
今後は国境地帯の海軍基地を解体し要塞の建てるのがいいだろう
高い授業料を払うことになってしまった
ショッキングなロシア戦の後しばしの平和が訪れた
国境線を画定した各国は内政の充実に努めており
外交的には融和の機運が流れていた
そんな中、Great Britainの「まだ一回も戦争をしていない」発言を受け
戦争目的無しの模擬戦争を行うことになった
模擬戦争は国力限界まで戦争するのではなく
40k程の軍団を相互にぶつけ互いの軍質を確かめ
国家間の交流を図るものになった
参加国はGermany・Great Britain・Spain・Ottomansで行われた
Omanは戦闘の舞台になるフランスまで軍を送るのが面倒
と断ったが本当は質の低さを数値で知られたくなかったからである
戦争の結果、質の順位が
Germany>Ottomans>Spain>Great Britain
ということが判明した
OttomansがSpainに勝っているのは有益な情報である
Great Britain「うちの軍弱すぎww」 Oman・Scandinavia「いえいえこちらこそ」
Germanyは質の強さに勝ち誇っていたが
折り悪く3速のマルチでGermanyが優勝したのも重なって
対Germany脅威視が再び強まることになる…
今まで欧州外交には「お呼びじゃないよ」状態だったOmanに
Germanyからの外交文書が突如とんでくる
Germany「三国同盟との戦争にGermany側で参戦して欲しい」
意外な相手からの要請に困惑するが
よく聞いてみると英独同盟として三国同盟に戦争する場合に
Great Britainが同盟の履行を渋りOmanも巻き込むよう要求したのを受けての要請だった
Great Britainは欧州で最も内政が進んでおり
陸軍に関しては量でSpain+Tuscany以上の出力が予想され
なぜOmanが呼ばれるのかと思ったら
海軍面でScandinavia+SpainにGreat Britainは劣勢で
戦争が起きた際本国と大陸の連携を断たれるのを嫌って
Oman海軍を味方につけたかったようだ
Germany「Spainとの係争地帯も講和で引き渡させます」
確かにOmanは以前にSpainとコンゴの領有で揉めていた
Spainのコンゴ先占を認めはしたが
戦争による奪取を計画を練っていた時期もあった
しかしコンゴにおいて土地支配と引き換えに
交易会社を作らないことでこの問題は一応解決済みだった
さらに重要なのは三国同盟とGermanyの戦争に
この問題をリンクさせる必要が無かった
海軍力で圧倒しているOmanは
Spain本国をぐるりと戦艦で封鎖することで
アフリカの奪取自体は容易なのだ
海外領土の割譲は僅かな戦勝点で済むため
Trade Conflict CBで延々と封鎖し続けるか
Conquest CBで普通に占領を維持し続けるだけで
十分な戦勝点が貯まり、単独で戦争に勝つことは可能である
むしろ欧州戦線で負けられたものなら足を引っ張られることになり
戦争参加条件としてのこの地域の獲得はあまり魅力的でなかった
しかし利害対立の無いGermanyとの協力、
長年の仮想敵であったSpainの弱体化は
Omanとして参加条件は十分である
Germany「Germany・Great Britain・Omanで同盟を組めないでしょうか?」 Oman「OttomansがGermany側で参戦するなら同盟を組んでもいいです」
ここでOmanが要求したのは「Ottomansの引き込み」である
仮に2つの三国同盟(Scandinavia・Spain・Tuscany)と(Germany・Great Britain・Oman)ができて
交戦状態になった時に最も得をするのは誰か?
それは陣営に参加していないOttomansである
戦争が起きてから好きな方で介入すればいいのである
そうなると戦争当事国は戦争に勝つこと自体で
目的を達成できるかが不確かになってしまう
日清戦争でのロシアを思い浮かべると理解が捗るだろう
Oman・Ottomans関係はパワーバランスの変化で微妙な空気になっていて
OttomansがSpainと組んでOmanを潰しにくるのも想像できなくはなかった
こうなるとOmanとしての参加条件は「Ottomansが確実に味方につくこと」である
しかし困ったのはGermanyだろう
Great BritainにはOmanの参戦を、OmanにはOttomansの参戦を条件にされたのだから……
日を跨いでOttomansと今回の問題について話したが
どうやらOttomansは個人的にこの2勢力の均衡振りに興味津々で
どちらが勝つか、不介入で観客として楽しみたいということだった
一応Ottomansの参戦を要求したOmanとしては
Germanyが三国同盟との戦争で不利気味なこと、
蚕食されているGermany地域ぐらいは回復させるべきだ等伝えたが
反応は鈍くOmanとしても今回の参戦は見送る決断した
Ottomans「10年程度したらGermanyに宣戦します」 Oman「!!!」
観客として楽しむんじゃなかったのか!と驚いたが後で話を聞いたら
この急変には納得した
どうやらOttomansだけではなくScandinaviaも攻め入るようだ
ケバブ条約については攻守同盟だと解釈しているので
Omanも急遽派兵準備に取りかかった
Omanは約2/3の兵を欧州に派兵することにした
緻密な作戦を考える暇がなかったのでとりあえず
Ottomans軍がハンガリーから、Oman軍がウクライナを突破して
ベルリンまで一気に攻めることに
適当にウクライナに侵入するように陸軍に指示し
Great BritainがGermany側で参戦することを考えてGreat Britainを海軍で見張っていると
Oman軍の進軍が早すぎてGermany軍に捕まってしまった
同数の戦いだからマニュアルで撤退すればいいと思っていたが
今回の戦争相手…Germanyの質は常軌を完全に逸しており
士気5vs8、規律105vs125ととてもじゃないが1週間も耐えきれず
マニュアルで撤退が出来るようになる前に殲滅されてしまう
Ottomansも1.5倍の数で殴り掛かった所返り討ちにあってしまい
当初想定した進軍は到底不可能だと分からされたのだった
派兵した軍隊を一ヶ月で半分溶かした人の顔
開始して半年で戦線が膠着してしまった
恐れていたGreat Britainの参戦は未だ見られない
既に戦闘による戦勝点は-40点に振り切っており
事態の打開の必要があった
戦線の中でポーランド側のSandomierzだと平野扱いで戦えることを発見し
ここを突破しポーランド・リトアニアを占領して戦勝点を+に戻すことで
合意しOttomans・Oman総力をこの地に突入させた!
463k対205kの圧倒的数の差でGermany軍を敗走させることに成功する
これを見て既に参戦を約束していたScandinavia・Spainが参戦し
がら空きのGermanyに一気に攻め込んだ
Sandomierzで破ったGermany軍の追撃はOttomansに任せ
さらに戦闘した際に敗走するであろうベルリンかリューベックを
Spain軍と共同で抑え、ピンポンのように敗走させ続けるのを狙った
ここで挽回不可能と悟ったのかGermany側から停戦提案が出される
自分が始めた戦争でもないし終わらせられないので聞き流していると
「軍を殲滅できたら、全土占領できたらそれで満足か?」
と聞き捨てならない発言をされた
特に領土要求の無いOmanとしては全土占領して陸軍伝統を稼ぐのが
実際の目的だったが、舌禍を招かぬよう沈黙を守った
しかしこの発言がこらえたのかOttomans軍は即時停戦を受ける
Germany-Ottomans戦争講和条約 Germanyはウクライナ地域を放棄
戦線から僅か1年で戦争は終了しGermanyは手痛い領土損失をするも
軍が壊滅し反乱で国がバラバラになるのは避けられた……ように思えた
Ottomans・Omanが撤退を始めたが
逆にScandinaviaは増援を送っていた
Germany-Ottomans間で和平がなったということは
当然Scandinavia・SpainもGermanyと和平するものだと思っていた
言われてみれば確かにGermany-Ottomans間での和平ではScandinavia・Spainの取り分は無い
白紙和平しないのか聞いた所、双方から回答が得られなかった
Oman「え?マジでこのまま戦争続けるの?」 Scandinavia「……」 Germany「……」 Spain「……」 Ottomans「頑張るなぁ…」
最早Ottomans主導の戦争は
Germany-Scandinavia間のバルト海沿岸の争奪戦に変わったのだった
リガでのOttomans軍の追撃を回避したGermany軍は一度奥地に撤退させ
十分に補充が終わるのを待っていた
これにきづいたSpain軍はGermany軍の捜索にかかる
予想通りハンガリー・ポーランドで補充中のGermany軍に出会い
攻撃を仕掛けるがSzabolcsでは撤退を余儀なくされた
この時、Ottomansとの連携が前提の早期Germany軍殲滅は最早無理で
不利な長期戦が避けられないのをSpainは理解した
Spain軍は追撃は不可能と一旦戦線をベルリンの付近まで戻す
事態が悪化したのを気付かないScandinavia軍は
増援を送りバルト海・ポーランドを包囲にかかるが
間もなく補充の済んだGermany軍に殲滅されてしまった
Spain軍は決死の覚悟でポーランドに救援軍を送り
Germany軍を引きつけ生き残りのScandinavia軍は辛うじて脱出に成功する
一方ベルリンの包囲は維持不可能と判断し
Spain軍は本国に近い所まで前線を下げ増援との合流を図る
Wurzburgで一度捕まるがこれはマニュアルで撤退させたようだ
北方の軍団は国境地帯にまで押し戻され
南方の軍団は増援と合流しライン川地帯に戦線を置いた
Germany軍は渡河作戦を敢行するが突破不可能と判断し
ここより前線を圧すのを断念
Spain軍も突出した部分から撤退し
ライン川の両岸で睨み合いを続けた
戦線が膠着しているうちに戦勝点が50点を越えそうになっているのに気づく
今回のルールでは戦争は10年が最大で10年続いた場合
戦勝点が50点未満なら白紙和平・それ以上ならその点数通りに強制講和
ということになっていた
GermanyがScandinaviaからハンブルクを獲得して終わるのかな〜
などと観戦勢は談笑していると
CBの対象になっているKolnが全く放置されているのに気づく
Ottomans「戦闘で-40点振り切ってるだろうしKoln攻めなきゃその内戦勝点50越えるよ?」 Spain「え……Koln?てっきりリューベックかそこらかと……」
Spain軍は北方の軍団をKolnに移すがScandinavia軍が遅れて
Germany軍に捕まってしまう
Spain「だからあれ程重ねて移動して下さいって言ったじゃないですか!」 Ottomans「大変な戦争を始めてしまった…」
行動可能なScandinavia軍が消えたショックでSpainは相当荒ぶっていた
これを見かねて中立を守っていたTuscanyがGermanyに宣戦し、戦争は新たな節目を迎える
Tuscanyは模擬戦争には参加しなかったがGermanyに次ぐ軍質を予測されていた
TuscanyはGermanyとの係争地の包囲をしつつ主力を北へ向かわせるが
間もなくGermany軍に捕まってしまう
Tuscanyの参戦を持ってまたしても戦線は膠着し8度目の春を迎えた
遂にScandinaviaが軍の再編成を済ませGermanyへの進軍を開始した
ライン方面の軍を引き抜きGermanyはこれの再撃破を狙うが
そうはさせじとSpainがNassauへ集中攻撃を仕掛け突破を図った
97kのGermany軍に174kで襲いかかるもSpain軍は突破に失敗
StadeのScandinavia軍もしぶとく抵抗するが敗走してしまう
Germany軍は敗走するSpain軍を追撃し
Spain最後のGermany国内の拠点Lothiringenまで追いつめる
190kのGermany軍と457kのSpain・Tuscany連合軍が激突
Germany軍の士気は高かったが、新たに徴兵したTuscany軍の援軍や
数に勝るSpain側のローテーション戦術を前にして遂に敗北する
敗走するGermany軍は戦線をヴェーザー川に沿って再構築するが
三国同盟軍は間を空けず追撃、再編成したScandinavia軍を交えて
Brunswickで最後の決戦が行われた
Germany軍226kに対して三国同盟は659kで攻撃し戦線は崩壊した
首都を目前にした所で戦争開始から10年経ち、強制的に停戦が成立した
Germany-三国同盟間講和条約 白紙和平
Germanyが10年間戦勝点で勝ち越し続けたことを皆で賞賛した
袋叩きにあったGermany本人としては複雑な気持ちだろうが
体裁を保てたことにはほっとしているに違いない
今回の戦争で最も良かったのはOttomansと早期停戦に持ち込んだことだ
壊滅寸前の軍を立て直す時間稼ぎができ、それによって三国同盟と一国で張り合えた
Great Britainが介入しなかったのがGermanyにとって不幸なことだった
Great Britainが介入していたら逆にSpain・Scandinaviaに攻めこめていたはずだ
戦争中にGreat BritainはScandinaviaに宣戦することも考えてたようだが
実現していたら違う未来になっていたかもしれない
最も不幸なことは戦争に決着がつかなかったことだろう
この戦争で終わりではないと誰もが感じていた……