(´・ω・`) : 世界は今こんな感じッス
ロシアを意識しだしたものの現時点で戦って勝てる相手ではない
1712年時点で我が国の技術は10/8/20なのだ、ロシアはmil24である
(´・ω・`) : つーかさー…なんで歩兵が初期ユニットのままなの?
そう、作者はやけにレベル上げてもユニットかわんねーなー程度にしか思ってなかったのだが
軍事レベル20になっても歩兵も騎兵も初期ユニットのままなのだ
ここまで敗戦しなかったのは一重に将軍の使い方を誤らなかったことと格下のみを相手にしてきたことによる
だがアユタヤ戦で同数戦ですら苦戦して流石に嫌な予感をちゃんと確認しなければいけないと実感していた
そして薄々察してた事実を知ることになる
遊牧民はどこまでレベルを上げても歩兵と騎兵は初期ユニットしか存在しないのである
引用元 : http://www.eu4wiki.com/Land_units#Nomad
(´・ω・`) : なんてこったい
(´・ω・`) : こんなんじゃロシアとの勝負になんないよ!
かくして遂に中華文明への変体を決意した、これによりユニットも中華ユニットになるのだ
そこで改めてちゃんと条件文を見るとある事実に気づいた
×正統性90以上、安定度+1、統治革新経済アイデアをコンプリート
○正統性90以上、安定度+1、統治革新経済アイデアのうち一つをコンプリート
(´・ω・`) : 読み間違えてました
現在統治アイデアを半分までもっているのでこれをコンプリートすればOKなのだ
遊牧民は正統性の維持が難しいが代が変われば回復することと定期的に20ほど正統性が上がる固有ランダムイベントらしきものがある
つまり正統性が高い時代に君主が死ななければ正統性90以上というのは割によくある事態なのだ
(´・ω・`) : わたしオイラート、今ようやく国になったの
1713年、条件が整いオイラートは部族社会から君主制になった、オイラート国ショボーン王朝誕生である
それに伴い歩兵ユニットがアジアンマスケッティアになる、ようやくスタートラインに立ったと言ってもいいだろう
ついでに一度セーブして押せるようになった西洋化ボタンを押してみることにした、最短で89年と出て何事もなくロードした
(´・ω・`) : 西洋化するころには世界終わっちゃいますわ
さようなら遊牧民グループ、使いやすくて意外と楽しかったよ
1720年ごろにアユタヤが属国化させていたシャンを併合させてフランスと同盟を組んでしまった、なぜフランス
ティムールが組んでた包囲網に加入させようと侮辱を送るも揺るがない
実際のところ戦争になったらフランスがやってくるかといえば疑問なのだが
ただでさえでかいアユタヤ解体にやる気がでないところにフランスがかかったのでしばらく領土的野心を放棄することにする
戦えば勝てることと戦うことは等値にならない
ヨーロッパでは1727年に神聖ローマ帝国が誕生、彼も東に領土的野心を持っていて当然のごとく態度はマイナス200である
だいたい主要メンバーは出そろった、ポーリトはロシアに食われたけど
東をふさげば他に伸びる、ロシアは常に絶好調だ
成立直後の神聖ローマ帝国の軍事力は本当に異常である
1730年、今まで全くの孤立外交であったオイラートの方針を転換する
未だ技術の遅れにより対ロシアでは単独では無抵抗主義が限界と思われる、こちらは軍事アイデアを一つも持っていないのだ
だが溢れる人的と必要最低限の性能をもった中華ユニットを手に入れた今、仲間がいればロシア相手でもなんとか戦えるかもしれない
ではその仲間とは?
(´・ω・`) : オッスオスマン先輩よろしくお願いします!!
でもこの人元ネタがクシャーナ朝らしいからインド人っぽいよね、オスマンっぽさもあるからいいけど
ヨーロッパの領土欲丸出しの蛮族どもが軒並み-200の中オスマン先輩だけはオイラートに理解を示していたのであった
時1730年、ムスリムは啓典の民ではない仏教徒と手を結ぶこととなる
しかしオイラート→オスマンの好感度がギリギリマイナスであった為軍事通行権と港湾使用許可を手に入れてなんとか規定点に到達
ところが港湾使用許可の返却を忘れて世界が終わる直前までお金をひたすら貢ぎ続けるというミスを犯した
(´・ω・`) : まぁこの時代既に歩兵扶養限界+オール3アドバイザーでも黒字の経済だったけどね
(´・ω・`) : あっ
そしてたった1年後の1631年に同盟は実行されることとなる、神聖ローマ帝国によるオスマン侵攻である
どうやら神聖ローマ帝国はあふれる軍事力を整理したらしくだいぶ減らしていたのが
やはりオスマン一国では対抗しきれないようでボロボロ前線から敗走している
オイラートはポルトガルが神聖ローマ帝国と同盟を結んでいた為インド南西部に張り付いたポルトガル領を占領をする
残念ながら終戦時の領土移動はなかった、欲は言うまい
貴重な友人を助けにいきたい気持ちはあるのだが依然オスマンとオイラートの間にはティムールとロシアが存在しており
この同盟は現時点では対ロシアでしか有効に働くことはないのだ、素晴らしいことにオスマン先輩は自力で戦線を立て直した
現在+40%のスコアとなり神聖ローマ帝国(HRE)に逆侵攻できそうな勢いである、よかったよかった
(´・ω・`) : 恥知らずのロシアのクマ共がオスマンに宣戦布告!
時1733年、オイラートオスマン連合は対HRE対露戦争に突入する
(´・ω・`) : 念願のロシア戦だぞ?泣けよ
HREとオスマン先輩は既に人的が枯れており共に100兵力程度である、オスマンからの援軍は期待できそうにない
とにかく反乱リスクは弾圧して全土の軍を集結させつつ傭兵を大量に叩く
軍事ユニットは一世代差であるがそもそもの性能差も見逃せない
1733年冬、非常に幸いなことにスコアが負けてるHREと余裕がないオスマンは停戦した
1734年夏、オイラートは前線に集結した軍を占領投入しつつ敵主力がくるのを警戒する
1735年春、ロシア軍90が占領中の皇太子軍40を強襲、川と山岳を利用して抵抗する
1735年夏、皇太子軍の戦場に急行する友軍が逐次到着を開始
1735年冬、ロシアオイラート間の初会戦が決着、大勝利に終わる
(´・ω・`) : これは大勝利ですね…間違いない
ロシアがオスマン側と兵力を二分していたことがオイラートの勝因となった
そして地形効果が重なり辛い勝利を得ることとなった、何はともあれ念願の対露初勝利である
しかし既に人的が切れているオスマン先輩とキルレートが段違いのオイラートロシアの関係により戦争全体は厳しい
数の差を利用した各個撃破でスコアを押し返すもののオスマン先輩は限界に近いらしいしこちらもどんどん人的が溶けて行く
1736年には再びオイラートが参戦した会戦が発生する
ロシア74に攻撃される友軍のところに駆けつけたオイラートは再び大勝利()を収めるのであった
(´・ω・`) : キルレート超きついんですが
勝つことが重要なのである、兵士の損耗差と勝敗は無関係である
WW2のバグラチオン作戦も朝鮮戦争の中国介入もそのようにして戦況を変えたのであった
このほか20~30程度のロシア軍を各個撃破を続けることでなんとか全体での戦力差を広げないようにする非常に厳しい戦いが続いた
開戦から5年の1738年の時点でオイラートは人的資源を320K消費していた
両軍の兵力数はオスマンオイラート連合対ロシア英国連合で33万対27万となっている
英国の兵力は12万程度で無傷なので実際のところはロシア単独でこの消耗戦を演じているのである
(´・ω・`) : 大国間の戦争で得られるものは利益ではなく面子と満足のみである
1738年の夏、この大戦争はロシアからの賠償金をもって終結した、人的残り72kまですり減る戦いとなった
人的をいかに残すかはプレイヤーの腕次第と思われる、この戦いを通して人的資源の有効利用を考えるようになった
(´・ω・`) : お疲れ様、帰っていいよ
動員解除されるオイラート軍
敗北や白紙和平など真っ平ごめん、勝って終わらなければ意味がない
彼らはそんな対露戦争を勝利に導いた功労者である、賠償金だけだろうが勝利は勝利だ
その後しばらくは平和が訪れる
オスマンによるHRE侵攻などを眺めながらオイラートは国境を整備していく
何を待っているかというと軍事レベル26である
26に達することで中華歩兵最終ユニットが使用できるようになるのである
前回の戦争では2.5倍積んで山にこもってようやくロシア軍と対等に戦えるという体たらくであったのでまずは強化しようという訳だ
領土は既に十分大きいと満足していた為特に大した拡張はしていない
なおこの時代にようやくヴィジャヤナガルと明は消滅した
そして時は1783年、オイラートは軍事レベル26に達した
防勢主義のアイデアからモラル15%+を習得、更に軍事アドバイザーで10%+を重ねていた
そしてロシアを見るとスウェーデンに侵略戦争の真っ最中であった
分かりやすく言うと軍がはるか遠くへ行ってるってことだ!
(´・ω・`) : 君それさっき恥知らずとか言わなかったっけ?
ここまで完璧な信頼関係を構築していたオスマン先輩は二つ返事で乗ってきた
さて宣戦布告しようと思ったところオスマン先輩は直前の戦争でアルジェリアから飛び地で領土を奪っており
そこに主力がとりのこされていた、何してんすか先輩
船で回収されるのを待つ
待っていたら軍隊に臆病者イベントやら軍隊の質が統一されてないやらで
マンパワーが減ったりモラルが下がるバッドイベントが起きそれが解決するのを待つハメにもなった
1786年冬、オイラート・オスマン連合がロシア・イギリス・スペイン連合に宣戦布告!
戦争理由は気分的な問題で聖戦とする
ここに仏教、イスラームによる正教、プロテスタント、カトリックへの宗教戦争が始まった
ユーラシアの半分を統べるオイラート帝国が遂にその力を自ら西へ向けた瞬間であった
オイラート戦線側の主要な戦闘について述べる
1787年夏、79対36で勝利
1787年秋、40対72で完全敗北、自軍消滅
1787年冬、190対50で完全勝利、敵軍消滅
1788年春、200対52で完全勝利、敵軍消滅
1788年夏、173対94で勝利
1789年春、97対54で勝利
基本的にはやはりオイラートとオスマン対ロシアの陸戦となった
AIロシアはほぼすべての国境に敵を抱えそれらに同じ様に対応を試みるという致命的なミスを犯した
戦争は短く激烈ではあるが一方的なものとなった
ロシアは軍を全国境線に分割し続けた為オイラートの軍でも包囲戦と各個撃破を仕掛け続けることができたのだ
各個撃破で兵力を大きく失ったロシア軍は徴兵が間に合わず前線を支えることができなくなった
大量の人的を背景に戦う陸軍国家同士がぶつかったとき、その結果は性能差ではなく補充速度の差で決定された
一国ではどうあがいても補充が間に合わないのである
開戦から3年、1789年の冬には46%の戦争スコアとなっていた
(´・ω・`) : 勝っているのに戦争意欲が失せているとか
1789年の元日、両陣営は休戦条約に調印した
まだロシアがやる気であるのにスコア状態から比して不利な条件で和平する気になったのはいくつかの理由がある
一つは人的が88kまで消耗されたこと、もう一つはロシア軍が後方に下がって再軍備を行うようになったことである
いい感じに戦争が回っている今こそ早期講和を行い次の戦争に備えようという考えなのである
かくして3年と3か月に渡る宗教戦争はロシアからの領土割譲で和平が成立した
(´・ω・`) : 勝った
割譲させたのは丸で囲まれた五州、なぜこのような配置にしたのか?
まずオスマンとオイラートの直接の連絡線を確保したかった為である
そしてオイラートが取得した三州については南方部にロシア軍がいたからである
これにより次の戦争により最初に各個撃破を行えることと最小限の兵数で占領作業も並行で行えることが期待できる
だがそれどころではない恩恵が次の戦争のときに明らかになる、それについてはその時に語る
(´・ω・`) : 次の戦争に備えよう
人的の回復と停戦が切れるのを待って第三次戦争を始めようと思う
第二次戦争ではオイラートとロシアの戦闘では大体2倍いれば同条件で対等というレベルであった、明らかに戦力差は縮まってきている
世界は変わった、もはやオイラートはオイラート先輩と呼んでもいいぐらいの大国であろう
1794年、オイラート先輩の図
ついにオイラートは1444年以来怯えつづけてきたロシアとの関係が今や逆転していることを確信するに至る
1797年、スペインはロシアとの同盟を破棄した
(´・ω・`) : 沈みかけた船には同船しないってか、ドライだな
18世紀が終わろうとしている
この時代になってオイラートはついに外側だけではなくその中身も大国となった
(´・ω・`) : でもまだ海の向こうにでっかい島があるという程度の世界知識しかない
次号、でっかいオイラート先輩になりたいAAR完結編
世界は自由主義と工業化の時代へ向かい歩み続ける、オイラートに時代は微笑むのだろうか