AAR/アジア諸国新大陸植民の手引き / 西方浄土を目指して
世祖は南海の果てをさらに越えた西方の彼方に豊かな浄土を発見したとの報を聞き飛び上がるように喜びました。
世祖は早速人を集め西方浄土と朝鮮を結ぶ交易路を整備するように命じました。
しかし、その数年後にもたらされた新たな知らせはとても腹立たしいものでした。
なんと、南蛮の不信心者が浄土を寇掠し衆生を苦しめているというではありませんか。
かくなる上は朝鮮は浄土における不動尊たらねばならないでしょう。
世祖はありったけの国内から勇敢な戦士とありったけの武器をかき集めると浄土への船に詰め込み、必ず南蛮の徒を排除するように命じたのでした。
朝鮮では初期君主の世宗(6/5/5)とその息子の文宗(3/2/2)までが史実君主です。
当AARの朝鮮では世宗の没後に文宗が史実と異なり長生きしたのですが、その後継者はイベントに翻弄されました。
まず、長年後継者がおらず心配していたところに後継者選択イベントが発生。
探検アイデアを伸ばしたいタイミングでは微妙な後継者でしたが、
他2人は平均以下で外交が2以上がいないという惨状だったので消去法で選択。
その後に後継者交代イベントが発生したのですが、今必要な外交強者であったため即決で後継者の交代。
世子の廃嫡から即位した経緯が、甥の文宗に譲位を強要して即位した史実の世祖と似ているので、本AARでは彼を世祖(3/6/1)と呼ぼうと思います。
上の2つのイベントのいずれもキリスト教諸国では発生しないものと思いますが、
庶出の子供の相続権が否定されない(不利にはなる)非ヨーロッパ諸国の慣習がゲームに落とし込まれていて面白いところです。
なお、世祖は新大陸到達直前の1475年に即位し1528年に崩御するまで43年間にわたり朝鮮を統治し、
その溢れる外交点で探検アイデアを高速で完了させたばかりか、大量のDEVポチで朝鮮の生産収入を大幅に増加させました。
その一方、軍事1はさすがに厳しく軍事技術は常に遅れがちで、こちらは大国と戦争する気はないものの、
スペインやポルトガルから仕掛けられる可能性のある状況ということを踏まえると、始終ヒヤヒヤしっぱなしでした。
各国の植民開始の状況は以下のとおりです。
新大陸1番乗りはタッチの差でポルトガルに奪われていたようです。入植から植民地完成までの速度もさすがの一言。
スペインとイギリスの植民スピードも容赦がないですね。
ゲームの展開的には、戦場となりやすいブラジルには軍事的に弱体なポルトガルの方が来てほしかったなと。
ここからの作戦ですが、西欧各国がある意味予定通りの植民をしてきているということで、予定通りの植民を行います。
まずは足がかりとなるブラジル植民地を建国したうえで、
植民ではなく征服で高DEV地帯を掌握可能な、メキシコ、ペルー、北アメリカと、そのついでで制圧できるコロンビア・ルイジアナを最優先で抑えることします。
国 | 初入植州 | 入植時期 | 入植完了時期 |
ポルトガル | プエルト=リコ | 1477年10月 | 1481年1月 |
朝鮮 | ペルナンブーゴ | 1480年12月 | 1487年7月 |
スペイン | リオ・グランデ | 1483年9月 | 1489年12月 |
イギリス | アヴァロン | 1492年8月 | 1500年9月 |
いつも思うんですが、paradoxはなんでイギリス(と今回はいないフランス)に16世紀初頭から全力で植民させたがるんでしょうか。
イギリスとフランスには、先住民国家に向ける殺意の高さをスペインとポルトガルに向けてもらって、史実通り植民地の奪い合いをしていてほしいものですが、
AIはトルデシリャス条約を遵守するので、イギリスに聖公会が成立した後でないとほとんど植民地戦争が起きないんですよね。
逆に言えば、カトリック教国であれば、たとえ黒人国家のコンゴだろうがトルデシリャス条約が守ってくれますので、先着した植民地はひとまず安全です。
↓いいペースで新大陸に到達したのにあっさり後追いされてうんざりするの図
さて、ブラジルに最初の入植地を打ち立てたものの、困ったことに先住民の配置がよくありません。
ポティグアラは内陸、トゥピナンバは内陸であり、この他、タプイアも内陸に構えており、
現時点で征服によって得られるコア州はトゥピニキーンからの1州のみです。
植民地国家の建国に必要なコア州は5州です。入植州4州と征服州1州で植民地国家樹立を目指すパターンもありますが、
探検アイデア③と拡張アイデア①の入植者2人の段階で4州の同時植民は負担ですし、植民者を派遣していない州のコア化にはまだ10年は必要です。
朝鮮からブラジルから距離があるため、入植者を移動させるだけで1年以上必要となるのも難点です。
それであれば、今回はコア州の獲得は1州に留め、2戦目で2州奪うことで、入植州を2州に抑えるのがよさそうです。
幸い、アマゾン河口のトゥピナンバの縄張りは海に面している州が多く、2戦目であればコア化可能な州が奪えそうです。
なお、ブラジル先住民の配置に恵まれれば、入植地は1州のみで残り4州は征服して植民地国家成立なんてこともあるのですが、今回は仕方ありません。
ということで、行われた第1次征服の模様です。
先程はアマゾン河口はコア化不能とさらっと書きましたが戦争中は気がついておらず、
講和の段になって植民地距離が足りないことに気がついたというだけだったりします。
そして第2次征服の模様はこの通り。
事前の見立て通り、④州と⑤州がコア化可能なので、この2州を取ってブラジル植民地を建国しました。
なお、先住民国家の動きによっては、第2次征服でもコア州が2州獲得できない可能性があったため、
追加で⑥州に入植を行い、ポティグアラからも州を奪えるよう準備していましたが、
休戦明けまで状況は変わらなかったため、宣戦後、2州を奪えることを確認したうえで、⑥州の入植地は破棄しました。
その後、1493年8月に無事、ブラジル植民地が建国されました。(画像撮り忘れ)
建国州の内訳は下記のとおりです。
入植州4のパターンでは第2次征服前の1490年頃にブラジル植民地を建国できた可能性があると思いますが、
2-3年を稼ぐために経済力が限定的な朝鮮でそこまでする必要があるかは考えの分かれるところです。
No. | 州 | 獲得手段 | コア化年 |
1 | ペルナンブーゴ | 入植 | 1487年7月 |
2 | バイーア | 入植 | 1488年11月 |
3 | イリュウス | 第1次征服 | 1485年11月 |
4 | ポルト・セグーロ | 第2次征服 | 1492年12月 |
5 | パラー | 第2次征服 | 1493年7月 |
そして、本AARでは、ペルナンブーゴの入植完了と同時にメキシコに入植者を派遣しメキシコ征服を開始しています。
一刻も早くメキシコ植民地に手を付けたいため、ブラジルに植民者を拘束されたくない、
これが4州入植パターンを採用しなかったもう一つの理由でもあります。
【以下、編集中】