フランス皇帝ボナパルテ家の紋章
フランチェスコ・スフォルツァ
ミラノ公となった15世紀の傭兵隊長(コンドッティエーレ)
彼に比肩する実力者はコルシカ出身のナブリオーネ・ブオナポルテだけである。
お、おのれぇえええ卑しい傭兵くずれがぁあああ・・・ぐほぉ!!
こんなはずではなかった。
“偏在する蜘蛛”と畏れられ、敵対者からは蛇蝎の如く忌み嫌われた自分が、まさかこんな傭兵隊長(コンドッティエーレ)ごときの手にかかるとは・・・。
コルシカ出身の傭兵隊長ナブリオーネ・ブオナポルテ。
ああ、今はナポレオン・ボナパルトとか言っていたか。
アイツは・・・親父殺しの実行犯だ。
そう、俺が命じた。
親父は俺が、ナポレオンに命じて殺させた。
イタリア仕込みの毒薬で。
毒もアイツが用意した。
ふんっ、今度は俺の番か・・・。
俺が死ねば、アイツは“王”になるだろう。
ふっ、妹のカトリーヌも変なヤツに入れ込んだもんだ。
親父も甘い。
あんな素性の知れないイタリア人にコロッと騙されるなんてな。
・・・やめよう。自分が空しくなる。
俺は彼奴を最大限利用したつもりだった。
だが、道化は俺だったみたいだ。
アイツのことだ。
欲しいものは何でも手に入れる。
どんなことをしてもだ!!
彼奴・・・は・・・な・・・にを・・・目指す・・・の・・・だ
1444年8月30日、フランス王ルイ11世崩御。
ルイ11世死す!!
王位はサリカ法に基づくなら、親王筆頭のオルレアン公シャルル。
ところが、王妹カトリーヌの夫であるナポレオン・ボナパルトも、パリ高等法院、三部会の圧倒的支持を背景に王位継承の名乗りを上げる。
彼は百年戦争を勝利に導いた救国の英雄。
結局、ナポレオンの名声に気圧されたオルレアン公シャルルは王位を辞退。
ナポレオンがフランス王ナポレオン1世として即位した。
1444年5月18日、フランス王ナポレオン1世はプロイセン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国に対抗するため“皇帝”号を称する。
フランス帝国皇帝ナポレオン1世
ボナパルト朝フランス帝国の誕生である。