AAR/とある世界の千年帝国

第1章 百年戦争の勝者

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フランス皇帝ボナパルテ家の紋章

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『皇帝ナポレオン1世と皇后カトリーヌの戴冠式』 1805年 - 1807年
19世紀の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品で、ノートルダム大聖堂での戴冠式の様子が描かれている。
皇后となるカトリーヌにナポレオンが自ら冠を授けている。
また、この作品には描かれていないが、ナポレオンは教皇エウゲニウス4世の手を借りず自ら戴冠したという。
当時、教皇領はイタリア王国に併合され、教皇はアヴィニョンに亡命中であった。

フランス帝国前史

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『コンドッティエーレ』 1472年頃
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品で、傭兵隊長時代のナポレオン(当時はナブリオーネ・ブオナポルテと呼ばれていた)が描かれている。

コルシカのコンドッティエーレ

お、おのれぇえええ卑しい傭兵あがりめがぁあああ!!
・・・ぐほぉ!!

こんなはずではなかった。
“偏在する蜘蛛”と畏れられ、敵対者からは蛇蝎の如く忌み嫌われた自分が、まさかあんな傭兵隊長(コンドッティエーレ)の手にかかるとは・・・。

コルシカ島出身の傭兵隊長ナブリオーネ・ブオナポルテ。
ああ、今はナポレオン・ボナパルトだったな。
アイツは・・・親父殺しの実行犯だ。

そう、俺が命じた。
親父は・・・フランス王シャルルは、俺がナポレオンに命じて殺させた。
イタリア仕込みの毒薬で。
毒もアイツが用意した。

俺が死ねば、アイツは“王”になるだろう。
妹のカトリーヌも嫌なヤツに惚れたもんだ。
親父も甘い。
あんな素性の知れないイタリア人にコロッと騙されるなんてな。

コルス(Corse)公爵にして、フランス王の婿。
ふんっ、たいそうな御身分じゃないか?

俺はアイツを最大限利用したつもりだった。
だが、道化は俺の方だった!!

アイツのことだ。
欲しいものは何でも手に入れる。
・・・どんなことをしてもだ!!

ナポレオンっ!!
貴様は・・・な・・・にを・・・手に・・・の・・・だ。

1444年8月30日、フランス王太子ルイ薨去。
フランス王シャルル7世崩御の翌日のことであった。

ビバ!ランペルール!

フランス王太子ルイ死す!!
それはヴァロワ王家嫡流の断絶を意味していた。

王位はサリカ法に基づくなら、親王家筆頭のオルレアン公シャルル・ド・ヴァロワ。
しかし、フランス王シャルル7世の次女カトリーヌの夫であるナポレオン・ボナパルトも、パリ高等法院、三部会の圧倒的支持を背景に王位継承に名乗りを上げる。

彼は一介の傭兵隊長からフランス大元帥まで上り詰めた一世の風雲児。
そして百年戦争を勝利に導いた救国の英雄。

結局、ナポレオンの名声と実力に気圧され、オルレアン公シャルルは王位継承権を放棄。
ナポレオンがフランス王ナポレオン1世として即位した。

そして1444年5月18日、フランス王ナポレオン1世はプロイセン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国に対抗し“皇帝”を称する。

フランス帝国皇帝ナポレオン1世。
ボナパルト朝フランス帝国の誕生である。

帝国の現状と今後の展望

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フランス帝国とその周辺国
赤い矢印は「ライバル」関係を表している。
1444年の欧州情勢は複雑怪奇である。

212830868_org.v1413705049.png北海帝国
イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねたクヌート大王の北海帝国は、史実と異なり大王死後も分裂する事なく存続していた。
11世紀の中頃、アングロサクソン王朝の復辟(ふくへき)によりイングランド王位を失うも、新たにスウェーデン王を兼ねるようになり、スカンジナビアの三王国は長らく物的同君連合下にあった。
のちに王位はクヌート大王を輩出したスキョル(Skjold)家の手から離れるも、1444年のクリストファ1世の即位により、約300年ぶりに同家の手に帰すこととなった。

212830838_org.v1413705049.png大英帝国(イギリス)
イングランド王国がその前身で、14世紀中頃までにスコットランド、アイルランドを征服しグレートブリテン島全域を掌握した。
百年戦争の敗北により、ノルマンディー、アキテーヌ地方を喪失している。

212830810_org.v1413705049.pngオーストリア=ハンガリー帝国
オーストリア大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国がその前身で、両国は14世紀以降、ハプスブルク家による同君連合下にあった。
神聖ローマ帝国崩壊後はその正統な後継者として“帝国”を称している。
婚姻政策によって勢力を拡大しネーデルラント地方を影響下に置く。

212830891_org.v1413705049.pngプロイセン帝国
ブランデンブルク辺境伯領がその前身で、プロイセン地方を獲得しドイツ騎士団を傘下に収め、勢力を拡大した。
後に王号を称え、プロイセン王国となる。
神聖ローマ帝国崩壊後は、北部ドイツの諸侯を糾合し、自らが盟主となる「北ドイツ連邦」を結成。
オーストリア、ボヘミア、ネーデルラント地方を除く旧帝国領域を手中に収めた。
また、オーストリア=ハンガリー帝国に対抗して“帝国”を称している。

212830916_org.v1413705049.pngスペイン王国
アル・アンダルスのムスリム勢力に対抗するため、カスティーリャ、アラゴン、ナヴァラの三王国が統合され、スペイン王国が成立。
南アメリカ大陸に多くの副王領を有している。

212830853_org.v1413705049.pngイタリア王国
サヴォイア公国(サルデーニャ=ピエモンテ王国)がその前身で、フランス王国、プロイセン帝国の軍事支援の下、オーストリア=ハンガリー帝国の影響下にあった北東イタリアのロンバルド=ヴェネト王国を併合し成立。
後に、ローマ教皇領、ナポリ王国を征服しイタリア半島全域を掌握する。

212830880_org.v1413705049.pngポーランド=リトアニア共和国
ブランデンブルク辺境伯領の急速な勃興に危機感を強めたポーランド・リトアニア両国が統合し成立。
選挙王制を採る共和政の国家である。

212830906_org.v1413705049.pngロシア帝国
モンゴルの侵攻を撃退した英雄アレクサンドル・ネフスキーとその末裔である歴代モスクワ大公によりルーシ諸公国が統合され、ロシア帝国が成立。
バルト海、シベリア地方に勢力を伸張させている。

212830928_org.v1413705049.pngオスマン帝国
アナトリアの小君侯国から勃興し、ビザンツ帝国、第二次ブルガリア帝国、セルビア侯国を征服。
14世紀末にはバルカン半島をほぼ手中に収めた。
また、史実と異なり西進するティムールを撃退しアナトリア半島の君侯国も平定している。

内政

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フランス王、王太子の相次ぐ死とフランス帝国の誕生。
めまぐるしい変化にフランス国内は物情騒然となり始めていた。
人心の動揺を抑えるため、まずは内政の充実に努めることとし、下記の優秀な閣僚を起用した。

大蔵大臣(Treasurer)
ルイ=ニコラ・ド・コーマルティン(Lous Nicolas de Caumartin)

外務大臣(Diplomat)
ジュール・ドルネー(Jules d'Aulnay)

陸軍大臣(Commandant)
ユーグ・ド・ファイイ(Hughes de Failly)

また、フランス帝国はプロイセン帝国とスペイン王国という東西の大国に挟まれており、国防強化は喫緊の課題である。
そこで陸軍大臣ファイイ卿を首相に任命(兼任)し、軍備増強(Military Power への National Focus set)と国防政策(Defensive アイディアの取得)を推し進めた。

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プロイセン帝国陸軍は質量ともに欧州最強である。
当面はプロイセン帝国に対抗できる戦力を保持することを目標とした。

外交

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あなたたちがその言葉に従い、すべて私の言うとおりにするならば、
私はあなたたちの敵の敵となり、あなたたちと争う者と争うだろう。

                    『旧約聖書』「出エジプト記」より

フランス帝国は現在、プロイセン帝国、スペイン王国、大英帝国(イギリス)、北海帝国の四国と緊張状態(Rivalry)にある。

そこで“敵の敵(Enemy of Enemy)”であるオーストリア=ハンガリー帝国、ポーランド=リトアニア共和国の二国と相互防衛の同盟を結ぶこととした。
我が帝国を加えた三国でプロイセン帝国を包囲する。

また、ポルトガル王国との同盟は、優秀な海軍を有するスペイン王国、大英帝国、北海帝国への牽制である。

宗教

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ローマ教皇領は“イタリア統一運動(Risorgimento)”の過程でイタリア王国に併合されてしまった。
現在、ローマ教皇はアヴィニョンに亡命中であり、教皇庁は我が帝国の影響下(Papal Controller)に置かれている。

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皇帝ナポレオンはフランス帝国の威信(Prestige)を高めるため、信仰の擁護者(Defender of the Faith)となった。

東アフリカ貿易会社

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インド洋に浮かぶブルボン(Bourbon)島は欧州と東洋を結ぶ主要航路の補給基地であり、香辛料貿易の拠点として新たに設立された“東アフリカ貿易会社(East African Charter)”の管轄下に置くこととした。

海外自治領 - de le Outremer -

13世紀末に大航海時代が始まると、フランス王国も新大陸へ進出し各地に植民地を建設した。
15世紀に入ると、植民地統治も円熟の域に達し、より高度な海外自治領(Outremer)となった。
フランス帝国を継承したフランス帝国も引き続き保護国(Protectrate)としている。
但し、フロリダのテンプル騎士団(Knigts Templer)、レヴァントのエルサレム王国は、ナポレオンのフランス皇帝即位に際し、各国への承認を取り付ける代償として保護国の権利を放棄した。

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212893497_org.v1413761539.pngフランス領ハイチ
旧ブルターニュ公国の移民が設立した。
現総督はブルターニュ公爵(Duc de Bretagne)にしてリッシュモン伯爵(Comté de Richemont)のアルテュール・ド・ドルー(Arthur de Dreux)である。
彼はフランス王国の元帥(Connétable de France)であったが、フランス王シャルル7世の寵臣で筆頭侍従のラ・トレムイユ卿と対立しハイチに左遷された。

212893507_org.v1413761539.pngフランス領ルイジアナ
聖王ルイ(Saint-Louis)に捧げる土地として“ルイジアナ(La Louisiane)”と名づけられた。
現総督はオルレアン公シャルル(Charles de Valois , Duc d'Orléans)である。
彼はヴァロワ王家に連なる親王家の筆頭で、次期フランス王の最有力候補であった。

212893515_org.v1413761539.pngフランス領ケベック
フランス国王から所領を与えられたアルマニャック派の貴族が設立した。
現総督はアルマニャック伯ジャン(Jean d'Armagnac , Comté d'Armagnac)である。

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