仏国統一。
それは武力の下に、信念の下に、古びた秩序を滅ぼし人類とその未来を完全に掌握すること。
・・・ではない。
過去の為政者たちが思い描いた仏国統一はただの妄想に過ぎなかった。
仏国統一とは未だかつて誰も成し遂げたことのない栄光。
ひとりの ょぅι゛ょ ジャンヌ・ダルクに成されるまでは、それがどれだけ恐ろしく、輝かしい行いなのかを知る者は存在しなかった。
だがもはやこの地上でそれを知らぬ者はいない。
仏国は統一された。
我らがフランスの威光を、あまねく世界に!!
左がヴァニラ状態のフランス国内、右が本MODのフランス国内。
しょっぱなから国内が統一されています。
財政はいたって健全そのもの。
北米のケベック、ルイジアナ、テンプル騎士団、カリブ海のハイチ、シチリアのナポリ、レヴァントのエルサレムを保護国(Protectorate)としています。
後顧の憂いなし!!
本MOD開始時のフランス周辺の情勢です。
フランスに匹敵する地域大国がひしめきあっています。
少しでも隙を見せればよってたかってフルボッコにされそう。
外交関係には細心の注意を。
ということで、ミッション達成を狙ってサルディーニャ=ピエモンテと同盟を結びます。
外交官を送り出してからディシジョンでサルディーニャ=ピエモンテと同盟を結べたことに気づきました。
外交官のムダ遣い。
外交は初手が肝心で、最初の布石がものを言うというのに。
ところでこのディシジョン、19世紀のイタリア統一戦争の際にフランスとサルディーニャ=ピエモンテとの間に結ばれた“プロンビエールの密約”をオマージュしてたりします。
ちなみにサルディーニャ=ピエモンテでプレイした場合、さらに動的なディシジョンが発動しイタリア統一運動(リソルジメント)を再現することができます。
残る外交官をプロイセンに送り、婚姻(当初、友好がマイナスで同盟不可のため)を結びます。
のちにプロイセンから同盟締結の打診がありました。
ライバルをオーストリア、グレートブリテン、スペインに指定。
当初の仮想敵はオーストリア。
プロイセン、サルディーニャ=ピエモンテでオーストリアを包囲します。
神聖ローマ帝国の領域。
オーストリア領ハンガリーが領域に編入(厳密にはオーストリアに付随)されていますが、アルザスロレーヌ地方、低地地方、ヘルヴェティア(スイス)地方、ロンバルディア地方は除かれています。
本MOD開始時の選帝侯の皆様方。
聖界諸侯は一人もおらず世俗諸侯のみで構成されているのがヴァニラとの大きな違い。
インド洋に浮かぶ二つの島、ブルボン島とモーリシャス島。
インド、アジアにもっとも近い海外植民地です。
両島を統治するフランスとネーデルラントがアジア争奪戦のツートップ!!
ネーデルラントを出し抜くのも目標のひとつ!!
アジア利権は我らのものぉ~!!
とりあえず、ブルボン島をトレードカンパニーに編入します。
いつの間にか、サヴォワとニースが自領に。
サルディーニャ=ピエモンテが密約のディシジョンを実行したようです。
こちらがディシジョンを実行した場合、DIPが200も必要になるので、DIPの節約もできて一石二鳥、助かりました。
但し、他国のディシジョンも自国に関係する場合、ポップアップで知らせる必要性を感じました。
まだまだ改良の余地あるディシジョンです。
せっかく獲得したサヴォワでしたが、コア化にはADMが大量に必要です。
ADMも節約したいので、サヴォワを属国として独立させることにしました。
サヴォワ家の一族が公爵として統治するフランス傘下のサヴォワ。
10年後に併合する予定です。
“National Focus"はver1.7の新仕様。
ADM、DIP、MILのうち、二つの君主ポイントを-1することにより、一つの君主ポイントに+2の補正をかけることができます。
最初のアイディアを外交(DIP)系の「探検(Exploration)」にしたので、遅れが出るであろうDIPに補正をかけることにしました。
この補正効果はケースバイケースで、アイディアの早期解放を狙ってのADMブーストもありかもしれません。
予算がふんだんにあるのと、しばらく戦争を行わないつもりなので陸軍、海軍の維持費を最低ラインまで落とし、浮いたお金で質の良いアドバイザーを雇用しました。
しばらく様子見です。
スベインとグレートブリテンがカリブ海の覇権をかけ、戦争を始めた以外は欧州はいたって平穏です。
マターリしていたら、突然の参戦要請。
同盟国のプロイセンがパラティンのプファルツを狙って戦争を仕掛けたようです。
オーストリアが敵の盟主となりました。
戦争の準備が全くできていませんでしたが、ここで宿敵たるオーストリアを叩いておくのも手なので参戦します。
とはいえ、陸軍維持費を最低にしていたため動員に時間がかかります。
ぐずぐずしていると敵さんは戦力を集中させてきます。
それに、戮力協心するはずのプロイセン軍が、糾合した敵軍に覆滅させられる恐れもあります。
ですので士気が低いまま進軍することとしました。
戦地は遥か彼方のオーストリア領ハンガリー。
そこに辿り着く頃には我が軍も精強になっているでしょう。
我々の戦争指導国(War Leader)はプロイセンで、目的はプファルツの獲得です。
目的が達成されたら、早々に講和するかもしれません。
我々フランスの戦争目的は、宿敵オーストリアの弱体化です。
できるだけ戦争を長びかせ、オーストリアの国力を削ぎたいところです。
そこで盟友のプロイセンには悪いのですが、プファルツは我々がいただくことにしました。
こうすればプロイセンの戦勝点がたまりにくくなり、戦いが長引くようになるからです。
ある程度の規模の軍勢をプファルツ包囲に割きました。
幸いプロイセンは、オーストリアの地で野戦を繰り広げています。
プファルツ攻囲軍の司令官は攻城戦に長けたジャン・ビューローです。
我が軍の主力はFire、Shockが最高クラスのジャンヌ・ダルク率いる前衛軍と、シャルルVII世率いる本軍です。
この二軍は、連携がとれる距離を保ち並進します。
これは消耗を避けるため、また敵を挟撃するためのものです。
野戦でオーストリア軍を撃破し続けていたら、戦勝点が溜まったのか早々に講和されてしまいました。
アフリカで、レヴァントで異教徒と対峙する金羊毛騎士団(The Golden Fleece)と聖ヨハネ騎士団(Knights Hospitaller)の保護を切るなんてオーストリアも酷いことをするものです。
この講和の後、間を置かず金羊毛騎士団がコンゴの攻撃を受けて滅亡してしまいました。
我がフランスも盟友プロイセンもArmy traditionの微増くらいしか得るものがなかった虚しい戦いでした。
しばらくはマンパワーの回復に専念します。
1455年2月23日、ょぅι゛ょ昇天す。
一時代を築いた英雄たちの退場。
ジャン・ビューロー、ボトン ザントライユたちも相次いで鬼籍に。
A suivre. ⇒