その瞬間であった。イデの発動が起こったのは...。 OttomanとMamluksの対面こそ、イデが与えた最後のチャンスだったのだ。 それを人々は、お互いに拒否した。 そのためにイデは無限力を解放した。 欧州やアジア、まだ知らぬ大地の人々も、次なる世界へ四散したのかもしれないのだ。 -Fin- |
ゲーム開始時間になり、続々とプレイヤーがロビーに集まる中「クライアントが立ち上がらない」「すぐ落ちる」等
1.8ver以降の負荷を原因とする症状が続出した。
筆者も、起動直後にフリーズする現象に見舞われていたので、他人ごとではなかった。
不安が漂う中、いざゲームを開始してみると、そんな不安は吹き飛ぶかの様に進行して行った...が
Ottomanがアナトリア諸候国を征服している最中にブルースクリーンが発生してしまった。
回線落ちならともかく、クラ落ちの類なのでゲームはストップしているだろうと思いつつも
急いでVCに戻ってみるとあり得ない言葉が飛び交っていた。
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クラ落ち後もゲームが進みに進んでいたようで、その間にしばき倒されていたようなのだ。
仕切り直しは悪いと「そのまま続けましょう」と続行を申し出るも
"それ"が見えているプレイヤーからは「死んでる」と静止された。
他にも「Hungary同君化出来なかったからやり直したい」や「特定の顧問が出なかったので方針変換が辛い」など
積極的な意見が見受けられた為、仕切り直し方向に切り替わる事となった。
後日、当時のOttomansがどんな惨状に見舞われていたのか
セーブデータを持っているプレイヤーに分けて貰い、確認する事にした。
という訳で、良い子の皆は非常時の連絡手段を確保しておこう。
さもないと筆者の様になる...かもしれない。
余談だが、マルチに参加する予定のある人は
マルチプレイの手引きのコメント欄を緊急連絡先として利用するように!
今回のOttomansは東西北にプレイヤーを抱え、南には欧州海洋国家が是非とも押さえたいであろう
Zanzibarノードが鎮座している。
何処へ足を延ばしても、衝突不可避なこの状態では、
領土を延ばせば、他方に控える国家と連携をされる可能性があるのでなかなか難しい。
舵取りを間違えれば、「とるこきょうわこく」と表札を改めなければならない程に国土が縮みかねない。
筆者が考えた戦略は以下の通りだ。
1.仮想敵国に極力成らない為、必要最低限な領土以外はすべて諦める。 2.重要地点((富のコントロールを程ほどに出来る地点))は如何なる外交的犠牲を払ってでも取得。 3.一通り利権を固め終えた後は、他国とそう変わらないスピードで拡張する((目立たない為))。 4.貿易は捨てて海洋国家との敵対を極力抑える。
簡単に書き出すとこんな感じだ。
周辺国のアグレッシブさによってだいぶ違ってくるので
しばらくの間は事の趨勢は見守る事になるであろう。
まずは、Muscovyから外交の持掛けられた。
以前のマルチでは真逆の立場でプレイしていたプレイヤー同士である。
Crimeaトレードノードの帰属をどうするか、大戦争に発展しかねないこの素材を前にしても
筆者は、Muscovyがこの段階で大きく押せる立場ではない*1と分かっていたし
Muscovyもまた、Ottomanがバルカン半島までの安全な陸路たらしめる重要地点だと理解しているはずだ。
交渉が膠着しはじめた頃、Lithuaniaを巡って若干揉めているようなことを小耳にはさんだので
「これは...。」と思い、交渉に役立てる事にした。
具体的には、Lithuaniaの取得を指示・助勢を提案する物で
先にも触れた通り、何をするにも警戒されがちのMuscovyにとって後ろ盾になるというモノだ。
Muscovyはこの提案を承諾し、無事Crimea地域はOttomansの利権となった。
続いて、AustriaとTimuridsからも交渉が飛んで来くる。
AustriaからはRagusaトレードノードを境にAustria=Ottomansの国境を定めようと提案を貰ったが
思わぬ大幅譲歩に驚きを隠せなかった。
Ottomansとしては、断る理由も見つからないので、二つ返事で提案を呑むことにした。
Timuridsからも国境線の策定を求められるが
Persiaトレードノードで貿易をコレクトしたいようで、重要地点のShirvanと接続プロビが欲しいと言われた。
Persiaトレードノードでコレクトするという事は、Aleppoトレードノードへ富が大量流出してしまう。
それでは、Timuridsの貿易政策的にあまりよろしくないので
既に得ていたSamarkandトレードノードをすべて領有するという情報を元に
「同地でコレクトした方が漏れ出す心配も無い」「だから、Shirvanと接続プロビはあきらめて欲しい」と、ご納得頂く事にした。
仮想敵国のOttomanに吹っかけられたと考えたのか、長めのシンキングタイムの後に提案の承諾を得た。
続いて西のMoroccoなのだが、一言目から目標が"海賊王"である事を打ち明け
協調をしていきたいと持ちかけられた。
それに伴い、Tunisトレードノード以西の領有権を放棄するとも言い、友好ムードをアピールするが
一体どうやってそんな海軍を調達するのだろう。
外交は一通り終わり、プレイへ望む体制が出来た。
しばらくは、その辺に転がっている既得権益を回収して回る事にしよう。
初期ミッションである『City of the World's Desire』を選択し、開幕でByzantineに殴り掛かる。
余った戦力をアナトリアに注ぎ込み、どれから潰すか吟味していると
Dulkadir/Ranazabだけ何処とも同盟を組んで貰えない、便所飯っぷりを露呈していた。
再度確認した後に両国へ宣戦し、手近に居た8kを向かわせ占領に取り掛かった。
開始から3年経過した辺りで、既存の戦争は終了した。
戦後は、属国に収めたByzantineに、旧Athens領を売却し
今回の戦略にはさほど必要としないDip Pointで、貴重なAdm Pointの代替わりをさせる準備を整える。
残りのアナトリア諸候国もCandar+Karaman/Aq Qoyunlu+Karamanの順で宣戦して、これを制圧。
次は、いよいよMumluks戦である。
西のCastileがAragonと戦争に突入したようなのだが
ダイス運が悪いのか将軍の差なのか、Aragon軍を前に劣勢に立たされているようだ。
他プレイヤーも思い当たる「将軍」「地形」「厭戦」等、原因となりうるものを次々挙げるが
原因の所在は"ソレら"ではないらしい。
不思議に思ったEnglandが船を飛ばして見に行った所
平地判定の地点で恒星を仕掛けたCastile軍が、15kの手勢で5kのAragon軍に後れを取り
只管ダイスで振りまけ敗退している場面を目にし絶句していた。
戦争にこそ勝ったものの、あまりの貧運にCastileは酷く落ち込んでいるように見えた。
開始から10年過ぎた辺りで、Austriaプレイヤーがある異変に気付いた。
Austriaが開幕Polandを戦争に連れまわしていた影響で
同君連合化イベントを実行できない期間が生じてしまい、その間にLithuaniaに国王が生まれてしまったようなのだ。
PolandとLithuaniaが一体化しない事で分割する時には楽になったが
Muscovyプレイヤーは、隣接していつ襲い来るか分からないLithuaniaの影におびえる日々が続きそうだ。
アナトリア半島を掃除し終え、次はMamluksを片づける時が来た。
Mamluksは、1.8verからプロビ増加のあおりを受け大幅に国力を伸ばし
タイミングによっては、Ottomans以上の連帯数*2を叩き出す大国へとのし上がった。
プレイヤーの手に掛かればそう苦労もせず勝てるが、問題はそのプロビの特性であり
多くが砂漠地形で消耗が1%付く、序盤は非常に面倒な土地である。
序盤拡張を急ぐOttomansにとって、Manpowerの温存は必須である為
潤沢な資金を武器に傭兵を投入する事にした。
保護化されているCyprusへ宣戦を行い、国境から離れた地域に主力を配置した所で
Mamluksのデススタックが国境内へ侵攻してくるのを待った。
Mamluks軍がOttomans領の奥地へ進もうとした瞬間に
移動先プロビへ移動指示を出す→Mamluks軍止まる→こちらも止める→Mamluks軍また動く→こちらもまた動く...という
端から見れば、「一体、こいつ何やってるの...?」と思われかねない動きを続ける。*3
大量の連帯を一箇所に集めたMamluksは、マンパワーを枯渇させる*4事態へと繋がり
一度会戦に勝利さえすれば
只管追い駆けっこを続ける回数を大幅に減らす事が出来る。
術中にはまったMamluksは、2度の会戦を経た後に全滅。
Manpowerの枯渇から、傭兵と思しき2~3連帯のPOPを確認するも
小規模な抵抗に終始し、無事講和にこぎ付けた。
この際、Moroccoの拡張手助けとしてFezzanを併合・売却をしておいた。
北のBurgundyでは、継承戦争を狙ってAustriaが全土占領に従事していた。
Burgundy分割イベントのトリガーを満たした状態で、発生を待ちわびているようだ。
しかし、幾ら待てども分割イベントが発生しない。
その他雑多なイベントすら発生しないこの状況に
マルチ特有のリホストをしないと、イベントPOPが出ないバグの可能性が指摘され
リホストを行うことが決定された。
リホスト後、無事イベントPOPは表示されたようで
BurgundyはFrance/Austriaによってきれいに分割された。
注:ここから自動撮影ソフトの誤作動によりSSが少なめです。
Mamluks戦が終わり、引き上げを行っていたところ
他のプレイヤーが、Cremeaの惨状をしてきした。
Cremeaは、開幕にGolden Hordeから攻められ
2プロビ国家にまで落ちぶれてしまっていた。
そして、残す2プロビにTheodoroが攻め込み、遂に地上から消滅してしまったのだ。
Historical Friendの復興を目指し、アナトリア半島で暇してた鎮座していたOttomansは立ち上る時が来た。
Theodoroとは海を挟んで反対側に位置する為、直接CB捏造は出来ないが
アナトリア東端に位置する、Trevizondと同盟を結んでいる事を確認し
Trevizondを経由しての宣戦・講和を行う事とした。
小国2ヵ国だけでは手持ち無沙汰だったので
Georgia/Circassiaらにも宣戦し、この時期に北部の平定を目指すことにした。
Cremea方面の戦争が終結し、該当地域一帯をByzantineに売却し始めた頃
Timuridsが救援を要請してきた。
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同盟を組んでどんな調子か見てみた所
軍量で負けているばかりか、主だった会戦で敗北した結果
Timuridsのマンパワーは枯渇気味であった。
Byzantineへの旧Crimea領売却と
Circassia併合後に、属国化を済ませておいたGeorgiaへプロビの売却を急いだ。
粗方売りつくしたところでTimuridsに『Call to Arms』を送って貰い
全軍を持って救出に向かった。
主戦場のTimurids領西部は、山岳地形が多くにらみ合いが続いていたようだ。
Qara Qoyunlu主力が3つの軍団に分裂しているのを確認し
Timurids/Ottomansは各個撃破を図ることにした。
2ヵ国で掛かれば一たまりも無く、Timuridsの言い値で講和を行った。
Timuridsから礼を受け、これで気分良くMamluksが殴れr...と思いきや、先の影響により
Wallachia/Qara Qoyunlu/Mamluks/Lithuaniaが対Ottomans包囲網を組んでしまい
プレイ終了までただボーっと眺めている時間だけが過ぎて行った。
Timuridsの方はというと、西の憂いが払しょくされたのを受けて
インド方向へ拡張を急いでいるようだ。
なんだか、貧乏くじ引かされた気がする。
5年程が経過した頃、ようやくQara Qoyunluが包囲網から抜けてくれた。
その間何をしていたかというと、体調が優れずベッドで横になっていた...!
早速、Wallachiaに殴り掛かり包囲網の消滅を計ろうとした時
プレイ終了願いが提出され、本日のプレイはここまでとなった。
対Ottomans包囲網切り崩しは、次のプレイ日までお預けである。
他のプレイヤーはと比べて、序盤拡張が早いはずのOttomansが
出だしからずっこけているような気がするが大丈夫だろうか...。
見 て い る(1482年-1507年へ続く...。