黒羊朝がムシャーシャに仕掛けました。かつては共同してティムールと戦った2国ですが、その後仲違いしたようです。
疲弊したところでこちらも仕掛けたいが、独力は無理だ。ティムールと同盟を結ぶぞ。
権勢アイディアを3段階目まで進めました。エレトナの外交併合を始めます。(1474年)
そろそろ黒羊朝に仕掛けるか。ティムールから見た外交状況はこうなっておる。
奴らは既にムシャーシャと戦争を始めておるが、領土を約すればこちらにも付き合ってくれるようだな。中核州の回復はしたかろう。
共通の戦争でティムールさんとの友好度が上昇、ミッション「信頼できる同盟国」が達成できました。
これで「従属国の獲得」の条件も満たせたので外交併合がさらにコストダウンです。
戦況は一進一退ながら、野戦では我が軍が押しております。むっ!
…この世界線のぼくが亡くなりました。1477年でした。後継のウムットさんは厳格(規律+5%)で優秀(4.4.5)な女王です。白羊朝に栄えあれ!
(ほんのりヤケ気味かの。だがこの世界のジハーンギールは「世間知らず」で「大雑把」と言われておったし、正直嬉しい…)
財政赤字ゆえ賠償金は必須として…ティムールに土地をやらんマムルークの心象が悪くなっていかんな。
豊かなタブリーズを奪うと…他に取れるのは2州くらいかの。ではきりよくタブリーズ地域全土の回収としよう。
この地域は前回1州だけ奪いステート化しておいたのじゃ。
永久請求権から一気にステートにしてしまえば、ちょっとだけコストが浮きますもんね。
ご報告いたします。1480年末、エレトナの外交併合が完了いたしました。
ところでアナトリア半島ですが、我々が黒羊朝と戦っていた間、
首都エディルネを失ったオスマンに対し、聖ヨハネ騎士団・ポーランド・セルビアが順次宣戦。
結果としてアナトリアおよびバルカンはこのようになっております。
ムスリム諸国はマムルークさんやティムールさんと、キリスト教諸国はヴェネツィアやフランスなどと同盟しています。仕掛けるタイミングが重要になりますね。
あっ、東では黒羊朝からアルメニアが独立しました。
完全併合いたしました。これにより我が国は第8位の列強となりました。
連隊にはそのまま治安維持にあたらせます。
自治度も上げておきました。昔のようないったんステート化する小技が使えなくなってしまったので、完全な自治を認めています。
それでも反乱の恐れをなくしきれません。今のぼくたちは正統性も宗教統一度もあまり高くないので…
反政府活動を放置すると20k前後の反乱軍が湧いてしまうゆえ、こまめに対処してゆくしかないの。
さて、ここからしばらくは小規模な戦争が続くゆえ少し駆け足じゃ。ジハーンギール、ハサン、報告をたのむ。
はっ。まず1482年、オスマンより再独立したもののドゥルカディルとしか同盟できていなかったカラマンに宣戦、完全併合しました。ドゥルカディルからは賠償のみで済ませております。
続く1483年はヨハネ騎士団に宣戦。スグラを奪いました。奴らはヴェネツィア・アルバニア・リトアニアと同盟しておりましたが、それぞれ別の戦争で疲弊しており見捨てられた形です。
ただ我が国は海軍力に乏しく、ロードス上陸は計画時点で断念しております。
オスマンとの停戦は1485年に明けました。好感が足りずマムルークを誘うことはできませんでしたが、もはや単独で対処可能です。
マムルークさんもほぼ同時に宣戦したから、あわてて地中海岸の占領に走ったよね。
またオスマン戦のさなかではありましたが、ティムール国内が乱れていることを察知し、同国と結んでいたラマザンとの開戦に踏み切りました。
ティムールは我が国との同盟を維持したまま不参加。敵方で参戦したゲルミャンはマムルークと同盟しておりますので、最高のタイミングだったかと。
この戦いはオスマン戦より早く決着し、ラマザン・ゲルミャン両国を完全併合いたしました。
オスマン戦は1487年に停戦。ビザンツの旧領4州を全土回収、また地中海岸2州を我が国が得ました。
これらの戦いを経まして、我が国の勢力圏はこのようになりました。反乱軍はゲルミャンの残党です。
内政のほうを報告しますね。オスマンとの戦いの後、2つ目のアイディアを採用しました。
今回は「軍質」です。ライオンさん、直前の世界線ではここで「軍量」を選びましたよね?
うむ、前回は人的資源や維持費低減に魅力を感じて「軍量」を選んだ。
15~16世紀はそれで助かったのだが、世界征服が視野に入ってくる頃にはさすがに過剰になったゆえ変えることにした。
君主点の余裕を考えると選択肢はやはり軍事系。
「攻勢」は「人文」とあわせた政策が便利だったのだが、今回は「宗教」で行こうと思うゆえ「軍質」にしてみた。
早期に取ることで陸軍伝統を高く維持できると期待しておる。
人的資源はプロフェッショナリズムを削って回復させるぞ。
1488年、レベル3の政府改革で宗教社会(安定度コスト-10%と宗教統一度+15%)を選択しました。これで国内が少し落ち着くといいんですが…。
あっ、ちなみにレベル2では軍事的社会(人的資源+20%)を選んでいます。
それから2つ目の時代能力で「戦争の正当化」、また「権勢」アイディアの「国家プロパガンダ」を採用。侵略的拡大の影響をあわせて30%減らしています。
1491年、分離独立主義者の活動が実を結びブルガリアがオスマンから独立を果たしました。
我が国はビザンツが持っていた請求権を元に即時宣戦布告。国教を接していませんので属国としました。
飛び地ばかりゆえさらに土地は減るじゃろうな。ルーム建国は時間の問題。
ビザンツ旧領の一部はまだヴェネツィアが領有しておるが、フランスと同盟しておるゆえいつ仕掛け時が来るか読めんの。
こちらの外交併合もそろそろ開始するか。
わかりました。ティムールの戦争に同盟国として形式参戦してますので、それが終わり次第手続きを始めますね。
さて、西方に目途が立ったところで次なる焦点はミッションを活かした東方への拡大じゃ!
といってもまず叩くのは黒羊朝なのでこれまでとあまり変わらぬがな。
マムルーク・ティムールともに好感は足りておるが…ティムールで十分じゃな。
2年の戦いを経て戦勝点74%。下記のように7州を奪いました。
これによりミッション「黒羊朝の打倒」を達成、8地域への永久請求権を獲得しました。
よし、南コーカサスへ進出じゃ。ジョージアはモスクワと組んでおるゆえ、こちらはマムルークを呼び出すぞ。
モスクワ領は遠いので、ジョージア領を大半占領した時点で停戦を模索します。戦勝点42%ですが城塞3か所を奪ったうえでモスクワとの同盟を破棄させました。1499年です。
終戦後、「権勢」アイディア5段階目を獲得しました。これで国家アイディアの3番目が解放されたので、コア化コストを20%減らすことができます。
よしよし。さて、オスマンとの停戦が明けるのは何年だったかの?
1501年になります。この時点で奴らが保つ領土は4州。うち3州に請求権を捏造済みです。
1503年3月17日、ついに城下の盟が結ばれました。オスマンはこの世界から姿を消しました。
時代は16世紀に入ったの。植民地主義も1501年に生まれておる。ここらで一度あたりを見てみるか。
北ではキプチャクさんが頑張っています。今はリトアニアと戦争中ですが、大半を占領していますね。
ポーランドとリトアニアは別々の道を歩いているようです。
クリミアは早い時期にヴェネツィアに叩かれてかなり厳しそう。
モスクワはまだ大半が霧の中でよくわかりません。
西を見ますと、スペインとアラゴンは同君連合を組んでいますが、ナポリは反乱軍が旧王家を追放して独立国家となっています。
フランスは神聖ローマ帝国内の争いに巻き込まれてオーストリアと戦っています。
南はマムルークさんが安定。さらに南へと勢力をじわじわ伸ばしています。
東のティムールさんは勢力を維持してぼくたちを助けてくれていますが、さらに東の方では勝ったり負けたり一進一退のようです。
フランスが参戦しない時期を見計らってヴェネツィアに仕掛けるぞ。
はっ、1504年にその時が来ました。ビザンツ領の再征服を名目として開戦いたします。
ライオンさん、1506年にビザンツの外交併合が完了しました。これでいつでもルームになれますが…
まぁよい、フランスとの同盟を切れたことの方が重要じゃ。請求権を主張済みだったクレタを奪って停戦しよう。
次は黒羊朝じゃ。ルームを建国すれば分離主義者がおとなしくなるゆえ、今回はできるだけ領土を奪うぞ。
停戦の明けた1509年、即座に宣戦いたしました。こちらは単独ですが問題ありません。
3年で戦勝点は97%。8州を奪って停戦いたします。
気分の問題じゃが、コア化が済んだところでルームを建国するかの。
国家アイディアはもちろん変更。首都もコンスタンティノープルへ遷すぞ。
1513年の建国は第1部より30年早いですね。でもまだまだ世界は広いからまったく油断はできませんでした。