&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";ライオンさん、おひさしぶりです!
&ref(): File not found: "L01.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";おぉ、おぬしはジハーンギール。さてはこれは夢か。それでもまた会えて嬉しいぞ。
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";ひ弱だったぼくたちの国は無事にルーム・セルジューク朝になることができました。
ぜんぶライオンさんのおかげです。
でも草葉の陰でみていていくつか気になったことがあるんです。
&ref(): File not found: "L01.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";うむうむ。実のところワシもだいぶ手探りだったからのう。
ワシはオスマンを導いたことがないのだが、
よく考えてみればルーム・セルジューク朝になった後はオスマンと似た国になるのだから
もっとオスマンでの初歩的なやりかたについて情報を集めておくべきだったの。
この世界の歴史はまだ継続中で17世紀に入ったばかりじゃが、ここらで一度反省会と行こうか。
先達からの助言を受けられるかもしれぬ。
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";今回ライオンさんが選んだアイディアは1)Influence、2)Administrative、3)Religiousの順でした。
そしてAdministrativeはコア化コスト削減の2段階までしか進めませんでしたが、どうしてですか?
&ref(): File not found: "L01.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";うむ、鋭いのう。実のところ2手目についてはやや失敗したと感じておる。
コア化コスト削減を急いだものの、それ以外の効果は傭兵に関するものが多い。
今回は傭兵をほとんど使っておらぬので先に進めるのを止めたのだが
考えてみれば我が国の国家アイディア3段階目はコア化コスト20%削減。Admの効果と5%しか違わぬ。
2手目に他のアイディアを取ってどんどん進めておれば、コア化コストを減らしたうえで他の効果を享受することができたはず。
例えば2手目をReligiousにしていれば、おそらくこの時期は宣教師を派遣する資金的な余裕は少なかったろうが、
聖戦を仕掛けられる時期は早まっておった。Admは3手目で良かったの。
その一方でなかなか上がらぬ国力に焦って白羊朝時代にアナトリア半島をほぼ全て征服するなど
方針がちぐはぐだったと今は反省しておる。
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";でも、なんで傭兵を使っていないんですか?
&ref(): File not found: "L01.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";プロフェッショナリズムが減るからだ。
プロフェッショナリズムについてはまだよく分かっておらんのだが、せっかく新しい要素が入ったのだからひとまず上げてみようと思っての。
なるべく顧問官を雇うようにしたのでずっと資金繰りに余裕がなかったしな。
(正直なところ歴代の君主能力は高いとはいえんかったし。。。)
ただ、プロフェッショナリズム実装後の傭兵の使い方はもう少し考えてみたい課題だのう・・・。
まもなく60%が見えてきているが、この後は会戦の規模も損害も大きくなるわけだしなぁ。。。
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";ライオンさんもまだ迷っているんですね。
そういえば、Religiousを取るときもずいぶん迷っていましたよね?
&ref(): File not found: "L01.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";うむ。実のところ他の国を導いたときはHumanistアイディアばかり使っておっての。
Religiousを取るのは今回が初めてだったのだ。
聖戦CBは便利なのだが、ルーム・セルジューク朝になれば異教寛容度がプラスに転じるうえ
イェニチェリの雇用もあるから改宗を進めるモチベーションはそれほど高くなくなってしまったの。
聖戦CBで節約した外交点の使いどころと考えて文化変更にまで踏み込んで行けば
反乱を気にする手間に見合った効果が実感できるのかのぅ・・・。
あぁ、だが文化変更するなら改宗が必要だからイェニチェリは雇えなくなるのか。むむむ・・・。
・・・まぁこのあたりは何を手間と感じるかで変わるものだし
聖戦が一番輝くのはヨーロッパに攻め込む時だからの。まだ判断するには早いな。
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";宗教といえば、あのとき賭けだと言っていたブルガリアの改宗はどうでしたか?
&ref(): File not found: "L02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";あれもなぁ。。。
この頃はまだ大量には威信を稼げなかったのと、他にも属国を複数作ったこともあって
その後50年間ずっと反抗的なままだったの。。。
ハンガリーがモスクワと組んだためにコアの回収ができなくて放置していた側面もあるのだが
結局併合開始は1560年、完了は1572年にまでずれ込んでしまった。
Burgasをブルガリアが押さえていたので首都移転Decisionを長年選べなかったのは損した気がするの。
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";さっき傭兵に関連して、ずっとお金がなかったと言っていましたが、何でですか?
&ref(): File not found: "L01.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";考えられる原因はいくつかあるの。
まず先ほども申したように、顧問を雇うことに優先的に資金を回したこと。
できるだけイベント等で縁のあった者を雇って給与は抑えたが、それでも背伸びしていた感は否めぬの。
また軍事教練をできるだけ行ったので軍隊維持費もかさんだの。
これらが支出面かの。
収入面を見ると、やはり序盤は統治点をケチって中核州化をあまり行わなかった影響はあるだろうな。
実際、コア化コスト削減を2つ揃えた後で中核州を増やしたら相当に改善したからな。
ルーム・セルジューク朝に変態した後は建築コスト減の国家アイディアも活用してかなり豊かになった。
だがそれでも物足りなさを感じてしまうのは交易でもっと稼げるはずと思えるからかのう・・・。
マムルークの力を借りて拡大してきた以上は仕方がないのだが、アレッポノードの影響力が半分にも満たぬのが痛い。
ティムールを叩いて東へ拡大しても、バスラやペルシャからの利益をアレクサンドリアに持って行かれるのはなぁ・・・。
先を見越して序盤からアレッポノードでの交易力を高めるよう意識すべきだったやも知れぬ。
今後を考えると欧州での戦にはマムルークはめったに援軍を出してくれぬし、あるいはいっそのこと…
&ref(): File not found: "S02.jpg" at page "AAR/the Sultan of Lamb/第1部・反省会";ラ、ライオンさん、目が怖いです。。。
ぼくからの質問はもうありません。これを読んでくれたみなさんのご意見もぜひ聞かせてくださいね。