Open China系列イベント第五弾、「Christianity, a faith for Emperor?」…ついに基督教中華帝国誕生というわけだね。(1560年7月31日)
どうした爺さん、何にそれほど驚いている?今までこれを目標に据えてきたんじゃないのか?
う、うむ・・・このイベントは明の国内で
正統帝によると、前回プレイ時の経験があるにもかかわらず、「dominant」を「最大シェア」ではなく「過半数」という意味に勘違いしていたそうじゃ。*1それであまりにも早いポップに拍子抜けしたと。
正統帝の英語スキルが心配・・・ラテン語とか言ってる場合じゃない。
でも反乱要求受諾→Horror!を回避したといっても、逆に言えばまだ宗教反乱軍は残ってるんだよね?
そうじゃ。ありがたい反乱軍とはお別れして、反乱鎮圧フェイズに入ろうかの。そしてどさくさ紛れに、もう一つ排除したいものもある。
次なる目標「国家変態」に向けて、細かいことは後述しますが、まず最大の障害となるのがStateの張替えを妨げるEstatesの存在です。
忠誠が40を下回った不忠なEstateからプロビを取りあげると、大体8kから28kくらいの反乱軍がそのプロビに発生する。朝貢国達が宗教反乱鎮圧に集まっている今、まとめて始末してしまおう。
ここ数十年ろくに戦わなかったおかげで、資金5000ダカット人的資源244k*2が溜まってる。損害を気にせず、宗教も旧勢力もまとめて押し流しちゃおう!
さて、
前提 | |
Prussiaが現存しない | 〇 |
× | |
騎士団政体でない | 〇 |
〇 |
条件 | |
統治レベル10以上 | 〇 |
従属国家でない*3 | 〇 |
戦争中でない | 〇 |
遊牧民でない | 〇 |
プロテスタントか改革派 | × |
〇 |
全State内に占める割合が過半数になった文化は主要文化とすることができます。中国本土のEstatesを処理してStateをすべて外し、旧
わざわざ周辺を文化転向するのも面倒だから、軽く
同日、
あれ?
そんなはずはない!何か見落としとるんじゃろう、もっとよくWikiを読み込・・・
・・・分かった。分かっちまった。俺たちに鷹の旗を掲げる資格は無いんだ。
どういうことですか!ん、これはDecisionフォルダのPrussianNation.txt?
なんてこった、明の固有政体は他政体への意向が不可能、つまり明から
ぐ・・・ぐぐ・・・もう終わりじゃあ・・・前回プレイのように
ここまでご愛読ありがとうございました。正統帝の次回作にご期待ください!
このAARの世界線は、1566年2月14日をもって2本に分岐する。
そのうち最初に正統帝が選択した「Prussiaルート」は、本来ならばおまけ欄で軽く終わらせるべきなのかもしれない。
しかし、このルートで用いた手段はあまりにも用途が狭く、おそらく今後誰かがわざわざAARでまとめてくださることは無いだろう。
よって、誠に勝手ながら、本章これ以降で一旦メインルートから外れることをお許しいただきたい。
第二の選択「Commonwealthルート」はこちら
→NEXT
いやいや、ここまで来て放り出すわけにゃいかんだろ。何か抜け道は無いのか。
そういや以前1.22パッチの小ネタチート集話題になっていましたね。もしかしたらヒントがあるかも。
[EU4] 10 Exploits in Patch 1.22
https://www.youtube.com/watch?v=k0lXZw9miqw
おお、“Exploit 9 Drop Celestial Empire government”・・・!
・・・それで、
それが素晴らしいことに、抜け道をつかう前提条件を、我々は知らないうちにほとんどクリアしていたんです。
動画を作った先生には頭が下がる。よくもまあこれだけのネタをまとめてアップしてくださったものだと。
タスクキル*4を使って、先ほどの戦争を1年ほど引き伸ばし、無理やり
いや、文化転向だけでいい。ここで
なんじゃ、Magnate Rebel*7に反乱タイプが変わったのう。
Autonomyを下げて反乱カウントダウンをスタートさせ、要求をのめば一瞬で!
皇太子朱瞻埏(4, 4, 4)が廃されて得体の知れぬ貴族朱允熞(3, 3, 4)*8が立つ犠牲は払ったがのう。
早とちりして宗教を
国は明→
見事じゃ!これで
うむ・・・確かに進行具合は至って好調じゃ。
じゃがのう、プロイセン君主制が意外と役に立たないこと、そして中華帝国政体喪失で失ったものの大きさが段々と染みてきたわい。たとえばこのMilitarizationシステム。
軍事点50消費して10%ずつ上昇し、100%になれば規律+10%などの恐ろしい効果が得られるってやつだな。試しに一回・・・って、増減が毎月-3.2!?(
1プロビごとに-0.015の補正が付くんですよ。並大抵の
あとプロイセン君主制の特徴と言えば、君主の軍事レベル3以上が保証されること・・・しかし朝貢国から威信をもぎ取って君主ガチャができる俺達には恩恵が薄いかも。
実はその「朝貢国」が、中華帝国を失ったことの最大の問題にもなっとる。直ちにすべての朝貢関係が消えるわけではないが、新たに朝貢国を作ることが代行的・軍事的共に不可能になってしもうた。
東方宗教国なら軍事朝貢国化のみ可能ですが、もう我々は基督教国ですからね。
今まであまり触れませんでしたが、従属国家である朝貢国をつくる最大のメリットは「AEを無視して拡張できるようになる」こと。隣の大国が完全併合されようともAEが10を超えることは皆無であり、潜在的な包囲網の脅威を大幅に削減できたのです。
ここからHREやを崩していくには、朝貢国を増やして楔を打っておいた方がずっと楽ってことか。
このままでも頑張れば羅馬帝国再興もいけるかもしれん。じゃが、より単純で将来性のあるルートを正統帝が掘り出してきたらしい。未練はあるが、このルートはここで中断としよう。
聖母子像が掲げられた紫禁城で、時の中華皇帝・正徳帝と大反乱指導者・洪秀金が対面した。賊は高らかに「弘治帝の子、今上帝の弟・朱常洛」と名乗り、皇帝はにこやかに「労」をねぎらい、改めて朱
各地であらゆる立場の者が反乱を起こした。皇帝に裏切られた儒者と民衆。どさくさまぎれに独立を狙う在地豪族。勅令に足元をすくわれてなお、ヤケクソで蜂起に踏み切った基督教徒・・・
しかしこの時に向けて準備してきた新生禁軍の前に、烏合の衆はその体を保ち得なかった。指導者を失った泰平楽土本軍3万1千は
全国の各宗派の寺院は皆基督教会に改装され、これを拠点とした皇帝権力の再浸透が進められた。欧州で千年以上前に構築され、消滅していた「教会網による大帝国支配」と、精神的な儒教的権威を保つ中華皇帝のシステムは驚くべき親和性を見せ、大明帝国は内乱を経たばかりとは思えないほどの安定を手に入れた。宗教の壁が取り払われた東西の交流が活発化し、遥か西方の
公式見解から距離を置く後世の歴史家たちは一様に、正徳帝を暴君として扱っている。彼の治にいて乱を求める性格、常軌を逸した「新しい物好き」と行動力は明らかに皇帝に不必要な資質であったが、それらを中華皇帝の権威を保ちつつ貫徹する能力を与えられてしまっていたことが、数千万の民にとっての悲劇であった。
ある日突然奥西戎の襞襟を着けて現れた57歳の正徳帝の姿に、新参の臣は困惑し、古参の臣は恐懼した。次なる大変革の前触れかと息をのむ群臣の予想を超えて、正徳帝はその場で第二雄英勅令を発布。宮廷内での第一公用語を波蘭語とし、10年のうちに中華における漢語を禁ずるというものである。さらに習俗も奥西戎風のものを強要し、民草にも奨励した。北魏の孝文帝の事績になぞらえ後に波化政策とよばれることになる勅令群は、それ自体が正徳帝の口から波蘭語で発され
さらに翌年、正徳帝は
最初で最後の皇帝選挙は、試験を兼ねて勅令発布から時を置かずに実施された。その結果、正徳帝の従弟で従来の皇太子であった朱瞻埏が敗北し、洪秀金改め朱常洛改め朱允熞が次期皇帝に選出された。15歳差の弟の勝利は正徳帝にとって不本意だったが、自ら定めた法を変えようとはせず結果を受け入れた。
なぜ朱允熞が勝ったのか。なぜ正徳帝がここでつまずいたのか。
もちろん、中国基督教化の立役者として多くの基督教徒に支持されたこともある。しかし彼は泰平楽土を裏切ったも同然であり、一部からは憎まれてさえもいた。
先述のとおり、その泰平楽土の乱において旧階級・組織は一掃された。その一方でただ一つ生き残り、むしろ拡大を続けた実力組織がある。禁軍である。
長年の拡張政策と泰平楽土鎮圧の際の招集により明の総兵力は10万を突破し、その上25万人を招集できるほどの巨大組織と化していた禁軍は、欧州侵攻の経験や技術革新の必要性から、早くより西洋、特に
正徳帝は、禁軍が自らの意に沿わないことを予想していなかった。軍が変わらず己に示してくる忠誠が薄っぺらいものになり、裏では朱允熞への移行が進んでいたことに気づけなかったのだ。
皇太子の座についてから1年もたたぬうちに、朱允熞は軍の支持を背景にクーデターを起こした。普魯士地域から受容した
正徳三十六年十二月十三日。
その日、蒙古帝国に次いで世界史上二番目の広さを誇った大帝国・大明が消滅した。
そして同じ年同じ月同じ日に、正徳帝朱雄英は新王朝の成立を宣言した。
大普魯士朝。この超大国のもとで、全世界は暗黒の時代へと突き進んでいくのである・・・
※軍事上の数字はゲーム内の値に拠っています。中国史の雰囲気を楽しみたい方は、それぞれ10倍くらいして考えてください。
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