AAR/Exploration Way of Byzantium
Theodora2世(0/2/3)は、決して偉大な皇帝であるとは評価されていない。この時期に東ローマ帝国に最も必要だった行政能力に欠けていたからだ。
しかし、能力に欠けているとはいえども前帝Konstantinos11世(4/2/2)の都市計画を忠実に進めたため帝国に混乱は起こらず、むしろその33年という比較的長い統治期間により、激動の15世紀を生き抜いた帝国に安定をもたらした*1のはこの帝の功績の一つだろう。
「第4のローマ」が完成したのち、この皇帝はさらなる発展を急ぎすぎ、短期的な収入に目が眩んでしまった*2ため長期的な視野でみるとむしろ帝国全体の収入は減ってしまったのだが、その晩年は自らの治世や能力の低さを鑑み、より重臣の意見を聞くようになったという*3
彼の後を継いだのは皇帝Ioustinianos3世(0/3/2)だった。彼も前帝と同様統治能力に欠けており(一説には親の教育が悪かったとの指摘がある)、帝国はさらなる苦難を迎えたものの、滅亡することはなかった。この一因にはまだ帝国が小規模であったこと、在位期間が短かったこと、さらに後述の皇帝のカリスマ性があったと考えられている。
この皇帝は都市計画には全く関心を持たなかったが、象徴としての役割は十分に果たした。
新天地に移住してまだ時は浅く、時折住民には不安の声が上がったものの、その都度皇帝は都市に赴き、住民に姿を現し安心させた*4。
皇帝自身の軍事技術はそこまで高くなかったが、軍隊編成や訓練では才能を発揮し、規律を大いに高めたという*5。
最期は異国の地、フランス王国で迎えた。カスティリャ王国からの要請を受け先代の恩を返すために戦場に自ら軍を引き連れ向かった皇帝は、小規模ながらも規律の高さで次々とフランス領を占領し、カスティリャ王国の勝利に大きく貢献。途中フランス王は、旧イングランド大陸領に課した重税を財源とし、皇帝に賄賂を渡すことで停戦を図ったが、皇帝はこれを拒否。自国の財政が苦しいのにも関わらず金よりも名誉を重んじだ皇帝は、一躍カスティリャ王国に名声が広がり、両国の友好関係を一層深める一要因となった。
皇帝はフランス王国の降伏後、わずか数日で客死。8年という短い統治期間ではあったが、上記のエピソードから現在でも人気のある皇帝の一人に数えられている。
彼の死後は妻であるMaria(4/3/1)が8年間摂政を務め、次の皇帝の即位までの橋渡し役を担った。
彼女はポルトガル王国の出身であったが、統治能力に優れており、Ioustinianosとの結婚後はカトリックから正教に改宗していたため宮廷からも好印象で迎えられたと記録されている。
彼女の功績は大きく2つに分けられる。
一つはアフリカ大陸最南端のCapeへの植民を開始したこと。この地は後に「第4のローマ」と並ぶ大都市に発展し、帝国の重要な都市となった。
もう一つはBlasphemy Act*6を決行したこと。カトリックの偶像信仰を徹底的に冒涜し、正教を讃えるMariaの行動により正教文化は盛んとなった。
彼女に対しての評価は賛否両論である。西アフリカ諸国への正教の布教の準備を大きく進め、後の東ローマ帝国の躍進に繋がったとする意見が根強い一方、彼女の即位が様々な外交関係にひびを入れた*7のは否めない。
東ローマ帝国国内では西アフリカ諸国への布教を押す声が高まる一方、軍事的には極めて脆弱であった。布教をするのにはまずは自国がそれ相応に強くならないという焦燥感も国内にあった。
西欧諸国の宗教改革の波も波及する中、東ローマ帝国の布教への挑戦が始まる。
このあたりからようやくまともに戦争ができるようになります。
GC開始からおよそ100年後ですが、いかんせん国が弱すぎて攻めようにも攻められなかった。
このように収入は前回のSSとほとんど変わっていません*8が、これからいよいよこの数字が伸びていきます。
・・・なると思った?
地中海の島国と化していたVeniceの息の根を止めてやった。
後で見返してみたらMilanに大陸領を奪われていた模様。普段はAustriaが奪っているイメージだったが今回は神聖ローマ皇帝様*9は元気がなかった。
奪った領土はAthenに与えてコア化*10させました。
事前に同盟を結んでいたSonghai*11に呼ばれる形でMaliに宣戦布告。
Maliの軍量に一時は圧倒されますが・・・
首都を占領しMaliの西アフリカの海岸4州を奪って単独講和。
この結構領土が広がった感がなんとも言えません。
後から感じたのですが、このプレイ(というよりこの地域でプレイする場合全般)では、いかにMaliを早く倒すかが後半の苦楽に直結すると思います。理由はMaliは金山を複数保有しこれを奪えば大幅に収入が上がるから。やっぱりどのバージョンでも金山は偉大でした。
更に、マダガスカル島のAntemoroに宣戦布告。
SS右側の島に入植すればそこからClaimがつけられます。
しかし、
あっ
ちょっ
これは
はい。
島内で地形を測りかねた挙句戦闘で負け、Moralが尽きて敗走する軍隊をさんざんお手玉されて全滅させられました。
このミスをやらかしたとき本気でリスタートしようか迷いましたが結局借金して軍を再編成しもう一度侵攻することに。
このプレイで1、2番を争うやらかし具合でした*12。
その後はしょせん東アフリカとか舐めないで着実に部隊を動かし、
戦勝点100まで到達。普通は99まで行ったら講和してしまうのだが・・・*13
講和では上記4プロビンスを奪い、そこからコアを持っているBetsimisarakaを属国として復活。この国はそれなりの範囲にコアを持っているので後でReconquest要員として使えます。
この属国はMerinaとVatomandryの2プロビンス国家として復活するので、ビザンツの手元には残りの2プロビンスが残ります。
普通であればこの2プロビンスも属国に割譲し、コア化を委任することでAdm点を節約するのですが、後で自分の動画を見返したら自力でコア化してた。何やってんだほんと
あとはこの属国関連で失敗したことが一つあって、それは改宗を強制したこと。
属国が同宗教であれば後に併合するときに補正がついて併合が早くなるので太らせる場合はできればやっておきたいのですが、そこまで属国の規模を大きくすることがない時にはLDの都合から改宗させない方がよいことが多いです。
LDが高止まりし、この処理にかなり手間取りました。
3つ目のアイデアにはQuantityを選択。最初2つと最後*14が極めて強力で、小国ならばぜひとも取っておきたいアイデアの一つですね。
ここまでのアイデア取得は事前の計画通りでした。
この間、新InstitutionのPrinting Industryが発生。新教ではないビザンツはDevポチで自力受容するしかないのがつらいところ。
この時期にいよいよ国力増強が本格化します。自国がだんだんと強くなっているのを見るのはやっぱり楽しいですね。
西アフリカ・東アフリカを全征服しアラビア半島からオスマンに接するのが計画でしたが、このころから明らかに間に合わないと気付き始めています。
軍事技術こそはいよいよ西欧諸国に追い付いてきたものの、Adm点とDip点が足らず、その他の技術は置いてかれています。このあたりは筆者の君主点の使い方が荒いのが原因かもしれませんね・・・
ちなみに君主はMaria(4/3/1)の摂政期間が終了後、1525年からIoaness10世(3/1/3)が即位しました。まあ君主点合計7もあるしAdmが0でない分マシなほうでしょうか。
ここで筆者はとんでもないミスに気付く。首都Cape Verdeがイベントによりプロテスタント化していたのだが、これを改宗しなければDevポチ無しでPrinting Industryが受容できていた。何やってんですかほんと・・・
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