ここからはOttomansとの同盟を活用して欧州に本格的に侵攻していきます。AE対策で朝貢国を活用します。
1594年に霧が晴れてヨーロッパの状況が判明しました。
Scotlandがかろうじて生き残っていたため、属国化してブリテン島のコア回収を目指す事にしました。
Scotlandを属国化するには距離を縮める必要があったため、属国WolgastにBergenhus州を与える形でDenmarkと講和しました。
その後、Great Britain、Scotlandと同盟。また、Hungaryが1州のみとなっていたため、こちらも同盟し属国化を目指しました。
再び朝貢国開放の敗北和平を活用します。それによってAEは気にしなくて済むため、積極的に領土を獲得していきます。
Teutonic Orderとの戦争で朝貢国Ryazan開放で47.5の威信と引き換えにAEを削減。
Teutonic Orderは属国Wolgastに併合して終戦。Ryazanは終戦後すぐに再び朝貢国にしています。
1603年にScotlandを外交属国化。Great BritainからOrkney、Sutherlandのコアを返還してもらい、ブリテン島への上陸拠点を確保。
残りのScotlandのコアは1606年に消滅してしまいました。
1606年にHungaryを外交属国化。Ottonansからコアを返してもらいます。
朝貢国として活躍してくれたKhorasanとお別れの時が来ました。包囲網参加国の釣り出し宣戦に活用。
各国の外交併合が順次完了(1592年にMewar、1602年にAfganistan、1611年にKazakh、1620年にSmolensk)し、
Wolgastが首都から地続きになったため、Wolgastの外交併合を開始しました。
この後、1622にSindhi、1633年にWolgast、の外交併合が完了しています。
1621年にCilliと同盟し、Bohemiaに宣戦。Hungaryのコアを回収していきます。
国難のSiam革命が終了。あとは1650年にSiamese Revolutionのミッションを達成し、
絶対主義値を75以上に上げてRoyal Absolutismのミッションを達成すれば、Siamに変態できます。
Bohemia戦終了。同盟したCilliにはFavorでHungaryのコアを返してもらおうと思っていましたが、
AEのために終戦後同盟破棄されてしまいました。この後Spainと同盟しています。
Poland戦で朝貢国のRyazanを開放し69.1の威信と引き換えにAEを削減。
敵方の同盟国とは首都の略奪などの条件で個別和平していき、最後にPolandと1628年に講和。