探検旅行

スンニ・イスマイルの治世(1494-1498(Age54-58), 3/0/1)

大国との同盟(1494)

 スンニ・イスマイルは若い頃から将軍となり、ベニン王国とオヨ王国の攻略戦を指揮した。そのため、国民からの人気は父王よりも高かった。但し、両国は弱小国のため容易に攻略できたのであり、実際にはイスマイルの軍事能力が低いことを最高指導者たるシャイフ・アルイスラームはよく知っていた。そのため、イスマイルにはカリフの称号を得ることができず、「スルタン」の称号を名乗ることとなった。
 
 しかし、そのような国内事情は外国の者にはよく分からないことであった。マムルーク朝のスルタンは「オヨ攻略の英雄ならば」と姫君を嫁がせ、ソンガイ帝国と軍事同盟を締結した。

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この時期同盟を結ぶのは難しいんです

ボルグ入植(1497-1509)

 ソンガイ帝国は内陸部と沿岸部に分かれる。行き来はニジェール川を通じて行われていたが、途中蛮族が支配する地域があり通行は危険を伴った。1497年、スンニ・イスマイルは国内交通の安全を図るため、ボルグに交通の拠点を作るよう入植を命じた。

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黄色い部分がボルグ

 しかし、塩を運べば富が手に入る地域のことである。暑く危険な地域を開拓して一旗揚げようなどと考える者は誰もいなかった。ボルグには最初の10人が入植したきり誰もこなかった。スンニ・イスマイルは責任感からか、この地域の警備を自ら買って出たという。生活環境の悪化が祟ったせいだろうか、スンニ・イスマイルは1年後に原因不明の下痢に悩まされそのまま亡くなった。その後、ボルグの中継地は1509年に帝国を揺るがす大事件が起こるまで維持された。

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入植者誰もこず

「航海と旅について」(1497-1500)

 陸の入植は進まなかったが、海の方は遠方に関心のある者が出てきた。1497年、ベニンの商人であったハルン・ケイタは、ギニア湾を西に向かう旅に出た。ここでは、彼の日誌の一部を紹介しよう。

「1484年1月9日、マリ王国カイヨールの北方には、ポルトガル人という白い肌をした人種が住み始めているらしい。彼らの持ってくる布は、寒いガオの夜を暖かく過ごすのに最適だとか。そして我々の生活に欠かせない塩を大量に取り扱っているらしい。ああ、彼らと直接商売をしてみたいものだ。」

「1497年6月1日、スルタン・スンニ・イスマイルが我らの探検旅行のために、船を一隻貸してくださることになった。これで西に向かうことができる!」

「1947年6月20日、いよいよ西に向けて出港の日。昨晩は友人たちと語り明かしたせいで寝不足である。友人たちも眠そうな目をしながらみな見送りにきてくれた。みんな、珍しい産物を楽しみにまっていてくれ。」

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出航

「1497年8月19日、ついにポルトガル領トラルザに到達。なんと彼らはキリスト教国であった。異教の港には入りたくないと船員たちが抗議するので、さらに北方にあるモロッコというムスリム国家まで行くことになる。残念。」

「1497年10月18日、モロッコ領サフィに到達。港に降りると、なんとガオでよく見かける商人のハッサンに出会う。家に寄っていけというのでハッサン宅におじゃまする。アル・ハッサン・イブン・ムハンマド・アル・ワッザン・アル・ファーシーという小さな男の子がいたので、ガオやベニンの賑わいについて話をしたら、興味深々で聞いてくれた。」

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モロッコ到着

「1497年11月18日、ハッサンの取り計らいでモロッコから入港許可証をもらう。海岸沿いに東に向かえば他にもムスリムの住む国があるというので、モロッコを拠点にして各国を巡ることにする。」

「1498年4月25日、チュニジア領チュニス到着。ここでもガオによくくる隊商を見かけた。我が国から輸出した金を何に使うのかと思っていたら、貨幣としてさらに輸出しているらしい。リベリア、ジェノバ、ラグーザと取引相手も様々なところからくる。ここは世界の一大交易拠点だ。」

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チュニス到着

「1498年8月18日、マムルーク領アレクサンドリア到着。我らが偉大なスルタン、スンニ・イスマイルの訃報を聞く。皆でガオの方向に黙とうをささげる。」

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スルタン崩御

「1498年9月27日、オスマン帝国領イスタンブール到着。荘厳なモスクが並ぶ大変きれいな国だ。ベリーダンスが有名だというので水煙草屋に見物しにいく。」

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イスタンブール到着

「1499年1月31日、クリミア到着。イスラムの教えがこんな遠方まで伝わっているのに驚く。」

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クリミア到着

 ハルン・ケイタは、その後も地中海沿岸地域を航海し1500年4月にベニンに戻った。彼の見聞録「航海と旅について」は、今までよく知られていなかった地中海地域の情報を伝えるものとして、宮廷や商人たちの間で好評を博したという。

AAR/遥かなる黄金郷


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