第二章

外交官が頑張ってくれていたのと、国が多少大きくなったことでハンガリーと同盟を結べるようになっていました。
そのハンガリーは1458年にはオーストリアを同君連合下位として従えておりました。

これはセルビア、オスマンを叩くチャンス。
我がアルバニアにはポーランド、リトアニア、ハンガリー、オーストリアが味方してくれる。オスマンはアナトリアの小勢力と戦争中。
これは勝ったも同然ということでセルビア、オスマンに宣戦布告します。

戦力差は2倍!(画像13)

戦力差2倍であってもこちらは寄せ集め、相手はあのオスマンとなれば
その差はひっくり返ることもあります。
特にガレー船団を持つオスマンには海上戦力で圧倒されているので
こちらは戦争疲労がガンガン溜まってしまいます。
この時オーストリアがいなかったら開戦の決心はつかなかったでしょう。

開戦後すぐにセルビアを征服し、
その後は倍の戦力差とスカンデルベクの将軍能力でオスマン軍を順番に撃破するという特筆することの戦争でした。(画像14)

途中オスマンのライバルであるマムルーク朝が金銭支援してくれるという場面も。(画像15)

1458年に開戦した戦争は1464年にバルカン半島側の都市を全て陥落させて終戦。(画像16)
こちらはアナトリア側に渡る船が無く、オスマン帝国は未だに2万5千人の戦力を抱えての、
やや消化不良気味の終戦となりました。

終戦条約は、セルビアからはボスニア領の返還と、1州譲渡、モンテネグロ独立を提示。
オスマンからは3州を譲渡させました。(画像17)


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS