第七篇 〜見出された時〜 2
第七篇 〜見出された時〜
最終戦争であるが, とりあえずバランスを拮抗させるべく,
Ming + Russia + Japan v.s. Ottoman + France + Spain
の陣営で戦うことにした.
この分け方であれば, 相互に国力は拮抗しているだけでなく地理的に集中打を浴びる国家もない.
ゲームルールを書いておこう
・1805年の1月に開戦し, 1821年にゲーム終了まで通しで戦い続ける
これ一点である. まあ, もうゲームが終わるというのに
プロビを多少やり取りしたところで, だからどうしたという話ではあるのだが.
開戦当所, Ming側は積極的に攻勢に出た.
日本兵と中華兵がインドから南ペルシャにかけての戦線を, ロシア兵と中華兵がそこから欧州までの戦場を担当したようだ.
やはり昨今のverにおけるMingは数が多い.
これでいて質的にそれほど劣っているわけでもないのが恐ろしい.
Land leader fire + 1は後半程協力になるし, 最低限の全軍の強化として規律 + 5%も有している.
これに対抗してOttoman側は,主にOttomanがインドおよびペルシャ戦線を支え, 西仏はいったん予備として止めおかれた.
開戦劈頭は, 両者ともに睨みあいに徹した.
基本的に防御する側が地形上も内線戦略上も有利であるから, この判断は妥当である.
とはいえ15年間ひたすら睨みあっているわけにもいかず, そろそろとにじり寄るようにMing側が攻勢を開始した.
この際主な攻撃地点とされたのは, 地理的にMingに最も近いPersiaであった.
だが, Persiaは硬い.
具体的には, 山岳に並ぶ要塞線がMingの侵攻の意図を阻み,
要塞に拘束されているMing軍を内線機動したOttoman軍は容易く狩りとっていった.
此処で見えている両戦線のMing軍は, ともに強行軍の前に撃滅されてしまう.
要塞の硬さと内線戦術に辟易したのか, Assaultにより無理矢理落とそうと考えたらしく,
Karakumに900kを上回る規模の戦力を集中した.
(なおKarakumが強襲された理由は, Ming側が東西に機動するため邪魔だったからと推測される.)
とはいえこのverにおける要塞はアサルトに対しても凄まじく硬く, 攻撃側はたった一度の強襲によって400k程度を失ってしまう.
Ming : たった一度の過ちであり二度と同じ間違いはしません. Ming : ぼくは ガバガバPLではありません. それだけは, はっきりと真実を伝えたかった.
まあ要するに, Persiaを経由した攻勢は, 完全に手詰まりになってしまったのだ.
これへの対策を模索しつつ, 時間だけが過ぎていく.
ここで重要なこととして, かつての同盟国の好と言う訳でもないだろうが,
Ming = Germany間の同盟および通行権は持続しており,
これは”Ming側にのみ”ドイツにおける視界とZOCに阻害されない行軍を保障した.
故に, ドイツを起点として攻勢に出る事が可能だったのである.
事実として, Persiaで戦闘が続く最中にもRus軍を中心とした部隊がFraとの国境地帯に進出し, 牽制を行っていた.
しかしPersia戦線の要塞攻略に見切りをつけたMing側は, 逆にこちらを主攻撃として戦力集中を行い始めた.
ここでの攻勢地点は, 地形的に攻撃側が最も有利となるWien近辺が主に狙われた.
また, 副次的な戦線として, FraがGerより獲得した旧Denmark領にも助攻が行われた.
Den戦線は策源地たるFraからは近いものの, Denへの援軍はドイツ方面から容易にみる事ができ,
その不利ゆえにユトランド半島は放棄されてしまう.
もはやPersiaやアフリカといったサブ的な戦線は無視され, どちらもデススタックを形成してWien近辺での殴り合いに終始した.
驚くべき事に, このWien近辺での激突は, 開戦5年目の1810から, 1820年まで只管続いてしまう.
それだけ要塞線が硬く, またどちらの陣営も要塞線に辟易していたという事でもあるのだが.
OttomanはPersia戦線から戦力を引き抜き, また仏西もアルプスや北ドイツを中心とした地域に展開を終えた.
Persia大返し(徒歩)
要塞線の攻略が全く進まない中, 時間とデススタック動詞の戦闘だけがだらだらと続き, いつしか時は1820年も半ばをまわっていた.
Ming側は最後の勝負とて, WienからPestにかけての平原に全ての戦力を投入し, これにOttomanが受けて立ったことで最後の会戦が始まった.
最終攻勢である.
Ming : これ1821年までに絶対決着つかんやつやろwww Ottoman : うーんこのアホのような戦力 Ming : この時代に100万どうしの会戦とかやばすぎる Japan : 100万対100万とかWW1かよ
案の定決着はつかず, 1821年を迎えてしまう.
あ ん の じ ょ う
Ming側は攻勢に出る事が多く, 故にゲーム上の戦勝点的には大負けしていた.
だが占領した土地という観点からはMing側が圧倒的に推しており,
(というかOtt側が攻勢に出ることはほとんど(全く?)なかった)
一概にどちらの勝利とはいえない, 微妙な結末となってしまった.
先述した様に, 恐ろしく硬い要塞線故に戦線は膠着し, ZOCの無いドイツ近辺でひたすら殴り合う結果に終わった.
常にデススタック戦法が猛威を振るていたのは, それ以外にやる事がなかったから, とも言い換えられるであろう.
また, Ming側は常に戦略的な攻勢に出ており, これに比してOtt側は極めて防御的であった.
戦勝点的にはMing側がかなり負けているが, 俯瞰視点から見た実際の戦術面ではトントンであった.
なんにせよ, Ott側が一度としてPersiaから東に攻勢をかけなかったのは, 消極的に過ぎるとの印象が強い.
面白い戦争と言う観点からは, 何度かは逆撃に出てしかるべきだったであろう.
とはいえ, これはPLの問題ではなく, 鬼のように硬い要塞線というバランスブレイカーに起因するものであるから, 単純にPLを責める事は出来ないだろう.
要するに, 終盤の戦闘に関するパラドのバランス調整が悪いのである.
AARの終わりにあたって, マルチ全体の総括を述べておこう.
本マルチに限らず, しばしば都合が悪くなると無言で脱落したり, さっさと早投げするPLは良く見受けられた.
これが誰の影響なのかは知らないが, 何にせよまだまだ戦える状況なのに早投げするPLは非常に多い.
リアルで忙しかったり, あるいはゲーム的に詰んでいるならやむを得ないし, そのような場合は無駄に引き止めたりしない.
だが, 過去のマルチで何度かあったように,
自分の思い通りにいかなかったからと言って癇癪をおこし, 外交的努力もせず投げることは推奨されないだろう.
その点某マルチコミュ内のアイドルや, 本ゲーム内におけるMing PLは, そう簡単に早投げせず, 非常に協力的である.
こういったプレイヤーが増えることは, おそらく「面白いゲームを作る」ために必要であるだろう.
最後に, 何度も書いたように, 高レベル要塞は異常なまでに守りが硬い.
これはゲーム末期の戦闘を詰まらなくする一因であるので, できれば何とかして欲しい.
かつての強行軍ピンポン*1が
まかり通っていたバランスよりはまだ改善されているのだが, とはいえそれは現状に問題がないと言う事を意味しない.
なんにせよ面白いマルチを望む観点からは, 1.19の後半程詰まらなくなる戦闘バランスが改良される事を望むや切である.
1.20パッチからは, 革命の時代に入ればsiege abilityが増えるし, それにMilを50払うものの城壁を破壊できるようになり,
かつてのマルチで常套戦術であったassault祭りに近いことができるようになった.
これによって, 若干後半の戦闘バランスも改善された.
かなり大きい差であるため, どこまで効くかは今後のマルチを通じて検証したい.
To be Continued……?
=> AAR/第二十回マルチ