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*画像はPersia変態から約百年後の1648年。
ペルシアになる。
というのは一廉の国に成った象徴のようなものですが、しかし一般の大国の如く、両手を無造作に振り回す訳にもいきません。
ottomanも抱えている外交的難問に、我々も陥る可能性があるのです。それはペルシアの立地にあります。
西にOttoman。北にRussia。東にMing。拡張的侵略の末に辿りつく先々には、恐ろしく強力な国々が控えています。
(私のeu4においてMingは余り崩壊しないので、基本的に居残るものとして考えています)本来、土地の隔たる地域覇権国たちは同盟を組みませんが、『敵の敵は味方』という考えが彼らを結び付けてしまいます。
つまりはRival視されることが問題です。大国の輪で首を絞められるのは嫌です。
またプレイヤの性向もあり、『拡大を目的とした拡大』というロマン主義を採ることが苦手なので、殴ってから考えるメソッドは避けたい。
本プレイは『This is Persia』という主目的を持って始めました。
これは実質的に『Ottomanの打倒』とイコールです。なので中央アジアやインドへの拡張を切り捨て、RussiaやMing、更には我々のような新興勢力との摩擦を避けます。それらと戦争している間にOttomanが弱っている隙を逃したくない、或いは戦争していることでottomanに隙をみせたくないので。
特にインドは予想外な兵力に遅れをとることがあり、勝利したところで今度は残りのインド群雄に獲得した土地を狙われます。負けはしないでしょうが、消耗が予期されます。
既にOttomanとの国力において劣る以上、他所の豊かな土地は魅力ですが、そこはPersiaの土地を信じて内政によって埋めましょう。
インドやステッペのなかから台頭してきたものたちとの国境を臨界まで漸進、堅守しつつ、ひたすらOttomanとの睨み合いを続けることにします。
今は1543年。これから二百年のなかにはOttomanがよろめく瞬間もあるでしょう。そのとき我々が余所見せず確かに立ってさえいれば、それは大きな優位になります。
戦争の為の平和を過ごします。
OttomanからRival視されたので同盟相手を探しています。
これは攻撃されない為の牽制が目的でした。
あまり実動には期待していません。
さて誰がいいか。と周囲を見回すと、少しだけ珍しいことが。
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Novgorodが本気だ。
これは組むしかない。
謎の思考ですが、この時は私も本気だったのです。
(時代は少し先ですが)そんなNovgorodの戦争に、無理のない範囲で手を貸す。
相手はMuscovyとSweden――普通にやったら負けそうだなぁ。
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モスクワの戦い。勝ったけど、やはり総合的な敗北は覆りそうもない。
直接の被害はありませんが、幸先の悪いことで。
同盟相手を間違えたかな……。
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と後悔に駆られていたら、Russiaになっている。
あ。この国、叩くと何故か却って栄えるやつだ。
私の判断は正しかったのだ。
ところでAARを書くようになってから、掌がぐるぐると良く回るようになりまして。
瓶など開けるときに便利ですね。
「Safavidの治世」
Safavid。史実の王朝。
突然彼らはやって来ました。
彼女を君主にするか。顧問に雇うか。
そんな二択に迫られて、現君主の能力を一瞥したPersiaの人々は。
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ようこそSafavid。
こうしてサファヴィー朝が始まりました。なんだかなぁ。
ゲーム的には優秀だから据えたものの、これまでの王朝に比べれば愛着もありませんからね。
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彼女の改革(persia固有イベント)で収益が鰻昇り。
ようこそSafavid。
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彼女の治世においてPersiaは漸く、今は無きTimuridsの首都にして内陸交易の重要拠点Samarkandを手にしました。
これ以上、東での戦争は意味がありません。軍を西へ返します。
そして待ちます。内政をしつつ、じっと待ちます。あ、Georgiaを食べたTrebizondは食べます。
大国が強く焦がれない土地こそ我々にとってのご馳走です。
「1648~」
それから待つこと約五十年。
Ottomanに異変が生じました。
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軍量が大幅に減少。
これは欧州が十字軍状態(実際にはどこだかの土地絡み)。
オランダやスペインがオスマン領を縦横に行き来しています。
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これ以上の好機はありません。
宣戦を布告し、数十年単位で国境にへばり付いていた部隊がついにアナトリアの土を踏みました。
各地の要塞を陥落させつつ、前進。国王と国王がコンヤで会戦。勝利し、敵は退却できず同地で殲滅。
戦闘に入ってからKonyaの退路に当たる要塞を落としたから?
ともかく敵の戦力が完全に消滅しました。
敵同盟国の遊牧民国家BukharaはRussiaに戦闘を一任。
領地も満足する分だけRussiaに上げて単独和平。同盟だけ切らせる。
――しかしRussiaは元気だこと。
こうして第一次侵攻は終了。アレッポなどを取得し、エジプトとアナトリアの連絡を絶ちます。
さて。
この後、全七回に渡りOttomanとの戦いを繰り返すことになるわけですが……驚くほど見所がない。
全体としては色々ありますが、個々を一つ一つ上げて「是々」しましたという密度が不足しているわけです。
なので、オスマン侵攻を軸として要所をダイジェストで纏めます。
――アラビアにて。
Ottomanの庇護により均衡を保ってきたアラビアの国々は、第一次Ottoman戦争後、為す術も無く、Persiaに呑まれていく。
その最中、イベントにより謎の女傑「Nazo_Tokhi」が現れた。
謎で特秘である。しかも窮めて優秀。これはもうミステリアス。
しかし何より不可解なのは、将軍就任後、一戦もせず三年で他界したこと。一体なんだったのだろう。謎である。
――エジプトにて。
1683。第二次侵攻。聖地エルサレムを奪取。
続けて、カイロを中心として復活したMamlukeを制圧。
どうしたことか。クレタ島が機に乗じ、アレクサンドリアなどを奪っている。上手い。奪う。
1700。第三次侵攻。エジプト・シリアの大半を制圧。
Egypt Regionはまだ残っているが、あとは適当に取得する。
暇つぶしの植民作業がAustraliaを生む。時々、金塊が届く。嬉しい。
――アナトリア・バルカンにて。
1711。第四次侵攻
アナトリア東部を要求。
1722。第五次侵攻。
コンスタンティノープルへの道。
1730。Ottomanの弱体化はAustriaにも利していた。
少しどころかコンスタンティノープルまで流れ込んできているキリスト教国家を叩き、同地からEpirusまでを奪う。
Ottomanが余生の別荘を準備。
自分の葬式を用意するかのごとき周到さ。
1735。第六次侵攻。ギリシャ及びアナトリア西部の割譲。
この間にクレタ・キプロス・ロードスなどの島々を制圧。
1746。細かくRegion Mapを確認。
実績のためにはAlbaniaとSkopjeも必要だった。
Austriaに砲火を交えつつ直談判して、二州を確保。
1749。第七次侵攻。アナトリア南部を確保。オスマン引退。
必要な土地は手に入れた。中核化を待つ。
1751。――This is Persia!
――インドにて。
インド三国志。国境線は凹凸だが全容は綺麗。