今回は殖民や小競り合いに終始していますので、簡潔にまとめていきたいと思います。無理でした
アイヌを外交併合した辺りで朝貢国の存在を思い出し(千葉氏の件でやる必要の無いものと思い、忘れてました)、
これらを朝貢国に引き入れました。
以後ちょくちょく従属国情報のウィンドウを見ては自由欲求度の低い国から小遣いや威信を巻き上げています。
またアラスカを独立させて、再併合に向けて領有権の捏造を開始しました。
この他、いつのまにか勝手に独立していたTidoreとTernateを再度武力属国化しています。
これらを行った後はしばらくやる事を見つけられなかったので様子を見ながら時間を流しているだけとなります。
この間に少し面白かった事があったのでご紹介。
1518年に管理技術が10になったので第3のアイデアに経済アイデアを取得しました。
商業共和国のために交易アイデアも取らなくてはなりませんが、
経済アイデアを優先して取得したのはコンプリートボーナスの開発コスト-20%が目的です。
やる事もなく周辺国を眺めていると朝鮮が明への朝貢を止めていました。
日本と同じくNIPPONノードを拠点とする国家で、
Trade of centerも保有している朝鮮は交易の観点から見ても非常に厄介な国です。
通常ならば明の朝貢国になっているので侵攻はもっと国力をつけなければいけないのですが、
満州をほぼ手中に収めた事で明への朝貢を良しとしなくなったのでしょう。
1vs1ならば日本のNIの強さも相まって負ける相手ではありませんので、
これはチャンスと見て朝鮮に対して領有権を主張、1524年に戦端を開きました。
琉球は即座に占領できましたが、
朝鮮上陸後は輸送船不足や運用下手もあって戦闘では苦戦を強いられました。
それでも占領自体は上手く行き順調に戦争スコアを積み重ねる事に成功、
1527年には琉球の併合と朝鮮のプロヴィンス5つの割譲を持って講和となりました。
ここで日本列島完全統一もできてますが、スクショ取り忘れています・・・
1529年に石見銀山イベントが発生。石見の特産物がGoldになりました。
本来ならば非常に嬉しいイベントですが、
State化できない点と、Goldが産出されているプロヴィンスには工場が建てられない点で、
本プレイでもありがたい事はありがたいのですが恩恵は比較的薄いです。
1531年に神道の3つ目のイベント、キリスト教伝来が発生しました。
この頃から実績「Sakoku row」の取得を念頭に置き始めたので、常に鎖国に向かう選択肢を選んでいます。
このイベント完了後、狙い通り鎖国レベルが1つ上がり
最終段階である鎖国(Closed Doors)になりました。(効果は月々の厭戦感情-0.03、安定度上昇コスト-15%)
後はこれを維持していれば実績が取得できるはずです。
その後しばらく全くやる事が無くなったので
適当にプロヴィンス開発と殖民に専念しました。
1532年、アラスカの再併合とコア化が完了して「New Japan」が誕生。
1539年、「California」が誕生。
1540年、「Japanese Mexico」が誕生。
この3つの殖民国家と後にオーストラリアに立てた殖民国家を含めた4つの殖民国家を建てた辺りで、
殖民国家の自由欲求度が危険域に到達しそうだったので北米への殖民は後回しにして、
東南アジアや南アフリカへの殖民を優先しました。
・・・東南アジア国家に入植を手伝わせる話はどうなったのかと思われる方も居られるでしょう。
実はこの殖民をしている辺りで、
「1プロビ国家なら一度併合した後に文化を日本のものに転向させて再独立させれば、
勝手に日本文化を広げてくれるのでは!?」と思い立ち、
実際にSulu,Tidore,Ternateを併合して各プロヴィンスを文化転向してみたのです。
全部の文化転向が済んだところでさあ独立させようと思ったら、
なんと独立が不可能な状態になっていました。
それもそのはず、
文化転向によって主要文化(Primary Culture)のあるプロヴィンスが消失したので
独立条件を満たせなくなったからです。
再独立を果たせなくなり当初の戦略が崩壊したところで、
あれこれ考えるのが面倒になり情勢変化に伴い自分で東南アジアを埋め始める事になった訳です。
時は前後しますが1537年に佐渡金山が発見されて越後の特産物がGoldになりました。
これもState外ですので、本プレイでは恩恵を完全には受けられません。
1544年、細川頼春が67歳で死亡し細川高国が即位しました。
同時に後継の細川義勝(Yoshikatsu Hosokawa)も登場しましたが、能力が2/3/0と惨憺たる有様。
細川高国は既に50歳と高齢でしたが、
この能力値の義勝を当主に迎えるよりは断絶のほうがマシと考えて、
この直後に義勝は廃嫡しています。
この後1550年に細川義信?(Yoshinobu Hosokawa)が誕生しましたが、
これは更にひどい能力値(1/0/2)だったのでこれも即座に廃嫡しました。
これまたしばらくやる事も無いので周辺を眺めていると、
オスマンが東南アジアに入植を開始していました。
どうやらシナイ半島周辺を得た事で殖民距離が届くようになったようです。
鬱陶しいといえばそうなのですが、大した影響がある訳でもないし、
最近はよく見かける光景でもあるので諦め半分で放置していました。
が問題はもっと他のところにありました。
この時期になっても南北アメリカ大陸に西欧諸国がほとんど入植していないのです。
カリブ海の島々ですらBritantyがようやく入植し始めたというぐらいで
ほぼ放置されっぱなしとひどいものです。
アメリカ大陸がこの状況では折角の交易競争も全く張り合いの無いものになってしまいますので、なんとか頑張って欲しい所です。
1550年、今回は一切の遅れなく活版印刷(Printing press)が発生。
活版印刷は日本(というかアジア)まで伝わる要因がありませんので、京都に君主点を投入して無理矢理伝播させて受容しました。
2度の廃嫡により、いよいよ細川氏断絶かと思われていましたが
義信廃嫡から1年も経たない間に細川長仁?(Nagahito Hosokawa)が誕生。
6/5/5とほぼ完璧な能力値を持った長仁の誕生で細川氏の天下は今しばらく続く事になります。
1554年、休戦期間が切れたのでまだ独立を保っていた朝鮮に再度攻め込みました。
今回は橋頭堡を確保できていたので、特に苦戦する事もなく終始優勢のまま首都の攻略に成功。
しかし、攻めるのが面倒だったのとAEの関係で明に包囲網を作られたくなかったので、
朝鮮南部あたりのみの割譲で講和しています。
この後、明が朝鮮を武力で朝貢国としたので
しばらくのあいだ東アジアの情勢はこのまま停滞する事になりました。
1557年、高齢での即位だった細川高国が即位13年で死亡。
まだ6歳の細川長仁は即位できないので、
高国の妻?の伏見沖子(Okiko Fushimi)が長仁の後見人となりました。
DLCの影響だったと思いますが、
現Verでは後見人がいる場合は戦争不可能期間が発生しなくなったので
中米諸国の併合に注力しています。
1563年に管理技術が14に到達したので第4のアイデアが取得できるようになりました。
以前から言っている通り、交易アイデアを取得して共和制移行に備えます。
1566年、成人した細川長仁が即位しました。
同年に後継の細川美仁?(Mihito Hosokawa)も誕生しましたが、能力は3/0/1と無能の一言。
いつもならば即廃嫡となる能力値ですが、
既に商業共和制への移行が秒読み段階に入っているので今回はそのままにしました。
細川長仁が可愛い馬鹿息子を自身の時の廃嫡騒動と同じ目に合わせたくなくて政治体制を変更したみたいな妄想もできそうです
1572年に交易アイデアをコンプリートしました。
これにより商業共和制に移行するための条件を全て達成、後はディシジョンを選択するのみとなります。
しかしこの時「政治体制に移行したら長仁も当主の座を降ろされるのでは?」と考え、
この名君を捨てるのはもったいないと思って3ヶ月ほど先延ばしにしてしまいました。
結局のところ、「交易収入が全体の収入の4割以上」という条件を
この先も維持できるかどうか見通しが付かなかったので移行を決意し・・・
1573年3月7日、
日本は君主制を廃止して共和制となる事を宣言し日本共和国が成立する事になりました。
不安視していた細川長仁の強制引退も無く、直後の選挙で無事当選して最初の統領(Consul)に任命されました。
ようやく本AARの第1目標が達成されたところで今回は終了となります。
次回は状況のおさらいと希望目標達成のための準備を進めていきます。
※周辺状況と入植状況はスクショの取り忘れにより割愛させていただきます。申し訳ありません。
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