AAR/ブランデンブルグ=プロイセンで普通にEarly Reich
あらすじ: 前回で序盤戦が終了して神聖ローマ帝国内の弱小から第三勢力に拡大したブランデンブルグ 神聖ローマ皇帝お気に入りの立場を利用し、神聖ローマ帝国内部、獅子臣従の虫として拡大を続けていく……。
1503年、マクデブルグが寂しそうにしていたのでConquestCBで宣戦します。
マクデブルグ同盟国のザクセンも釣れました、こっちはポーランド様ボヘミア様が付いています。
少し前にトリーア司教泊と同盟しています、理由は後述します。
無論語るまでもないワンサイドゲームです、目標はマクデブルグ属国化なので。
1508年終戦、マクデブルグ属国化に成功しました。
神聖ローマ皇帝プレイなら選帝侯は生かしておくべきでしょうが、ドイツプレイなので容赦なく喰います。
そろそろAEがきついのと、ザクセンは一発属国化できなかったので後にお預けしました。
ついでにColonialismのInstitutionsが出ましたが、発祥地がコーンウォールのせいで伝搬がクッソ遅れてペナルティがきつかったです。
途中HRE皇帝が行けそうになったので、選帝侯に外交を飛ばしてたら神聖ローマ皇帝になりました。
この後ご機嫌取りしたトリーアからのHRE防衛戦で消耗するので、ドイツプレイなら神聖ローマ皇帝はなるもんじゃないです。
後で確認したら、オーストリア様はハプスブルク家が途絶えたのかカスティーリャとの同君連合になっていました。
この時の縁か、カスティーリャとも同盟が組めてラッキーでした。
この後の裏切りを考えると後のズッ友候補と同名を組めるのはありがたいことなのです。
1515年、Influenceアイディアコンプ、Unjustify Demandの-50%ボーナスを受けます。
どちらかと言えばNIのMoralボーナスや属国からの陸軍扶養限界+100%の方が嬉しいです。
2番目のアイディアは1章で言っていたとおりにDefensiveにしました。
そういう訳で和平期間の切れたザクセンに属国のConquestで宣戦、どうも今度は属国化できそうなので宣戦することにしました。
同盟はヴュルツブルク、フランクフルト、バーデンですが、ポーランド様ボヘミア様が付いてくれれば楽勝です。
1518年ザクセン属国化に成功、最悪ブラウンシュヴァイク剥ぎ取って終わらせようとしてただけにラッキー。
1518年、3つめのIdea解放、迷いましたがReligiousにしました。
まだカトリックですが、ザクセン外交併合後に大活躍してくれることでしょう。
ザクセンは激おこなので関係がきついですが、放っておけばAnnex VassalとAEのマイナスは消えるのでいいでしょう。
どちらかと言えば扶養限界や同盟ファンネルの方が今はありがたいですしね。
見えない所で1520年マクデブルグを外交併合しています。
1526年に君主が死んで神聖ローマ皇帝から滑り落ちます。
今度はこっちが迫真の女帝ラッシュ、君主はまあ633で優秀だからいいけど、232の娘は駄目だこれ!
女帝が許されるのは334の平均値以上であり、こんな娘はポイして厳選することに今決めました。
この後は655とかの名君良君のオンパレードであり、今世は前世と違い終始君主に恵まれたプレイになりました。
1528年にデンマークを食って大きくなったリューベックにConquestCBで宣戦布告
例によってご主人様のボヘミアポーランドが付き添いをしてくれるので楽勝です。
1531年に終戦、リューベック、シュレスヴィヒ割譲
ホルシュタイン、サックス=ラウエンブルグ解放で終戦しました。
この世界ではシュレスヴィヒ問題は起こらないことは確定しました。
AEが危ないときはなるべく国家解放からの外交官飛ばして属国化コンボを活用していくのがお薦めです。
1532年、トリーアの宣戦依頼を受けてマインツと戦争開始。
やる気が無いので適当に瞬殺します、もう神聖ローマ領邦など雑魚扱い出来る程度には強くなりました。
1534年、なんだかよく分からないアンスバッハ戦
南ドイツに絡む理由は無いので多分トリーアにまた付き合わされたんだと思います。
この後トリーアとの同盟は切りました。
1538年、ミッションで得たCBでリューベックに宣戦、小国に転落したデンマークからFunenを巻き上げます。
1539年、いつの間にか併合されてたホルシュタインを併合したバーデンからホルシュタインを巻き上げます。
1541年、ザクセン併合開始、併合完了したのは1545年で以下になります。
どうにか東ドイツと同程度の領域を確保し、神聖ローマ帝国の中でも有力候補になりました。
ザクセンの持ってたプロテスタントのCenter of Reformationのせいで宗教戦争が勃発しますが気にしない。
Disaster発動のReligious unityが75%以下になってもすぐに発動するわけじゃないし、
適当に改宗してカトリックのReligious unity75%を確保しています。
1547年、ケルン属国化のチャンスが来たので宣戦、そのまま属国化しました。
1549年に属国化完了、ラインラント確保の目処が立って1815年プロイセン並の領土はほぼ確定しました。
この辺りからはもうご主人様に怯える弱小国の立場からは完全に脱して、立派な独立国と言えるでしょう。
そして組まれる対ブランデンブルグ包囲網は見なかったことにして休憩します。