イギリス軍を撤兵させブリテン島の支配を固めた*1アメリカは
ロンドンを拠点として、イギリス海峡に交易の中心を移した
そこではホランド・エノーの交易船が活躍しており
バルト海からの輸送は彼らに牛耳られていた
議会は欧州領土にも新たに航海条例を発し
彼らの締め出しを図った
報復にアメリカ船を拿捕した事を発端に
1796年アメリカはホランドに侵攻しこれを併合した
アメリカ・プロイセンの間では修好通商条約が結ばれ
バルト海におけるアメリカの交易は活発化した
ハンザ都市に対しては彼らの交易の半分を
アメリカ商人に充てる条約*2を結ばせ、
北西ヨーロッパにおける海上帝国を成立*3させた
一方本土では綿繰り機が発明され*4
木綿プランテーションが息を吹き返した
1800年にスペインと南アフリカ植民地で軍隊が衝突し
アメリカとスペイン・オーストリア・ポルトガルは戦争状態になった*5
イベリア半島を制圧したアメリカはゴア・象牙海岸の拠点と
南アフリカ、スペイン領太平洋*6とアンダルシア地方を獲得した
1802年フランスで北フランスの奪回へ向けて
三部会が開かれた
同時期にアメリカでも連合会議が開かれ*7
革命後の半独立状態の諸邦の統一した運営が模索された
会議ではアメリカ全体で関税の引き上げが決められた*8
また、北西ヨーロッパの領土は中央政府の管理下におかれること、その地域での奴隷制度の禁止が定められた*9
1803年ウイスキー税反乱が起きたが連合会議はこの鎮圧にあたった
1804年1月には憲法制定会議が始まった*10
会議では大統領マクシミリアン・ウォリックを皇帝とした立憲君主制が採用された*11
議論の焦点であった奴隷制については奴隷貿易の禁止で妥協された*12
刑罰については禁固刑と罰金を主要とした中程度の法が支持された*13
こうして1807年合衆国憲法は発行した
国外では北部フランスにおける反乱を支援していたエノーを征服した*14
これによって同地を狙っていたプロイセンとの同盟が解消された
また1805年ソンガイ・ティンブクトゥに宣戦し*15象牙海岸地域を割譲させた
1807年には開港を求めて呉に宣戦し*16、東アジアにおける拠点を獲得した*17
海洋への進出によって水難事故が多発しマサチューセッツでは
人道協会が設立され救援活動を行った*18
フィラデルフィアでは統一消防隊が組織され、150フィートの消火ホースが政府から支援された*19
消滅しかかっていた原住民について同化政策が提案されたが
原住民の文化を尊重し、彼らの社会を隔離した
1810年クレモナのイタリアへの併合を掲げてヴェニスに宣戦し*20
アメリカはヴェニスとその同盟国プロイセンと戦争に入った
世界最高の質を誇るプロイセン軍に対抗するため
アメリカは新たに軍拡政策を取った*21
一方で戦争を何度も起こすマクシミリアン皇帝への反乱が起こり
議会は皇帝を廃位、新たにローレンス・ウォリック(2/5/4)が臨時大統領に就任した*22
ローレンスは人的資源の不足を補うために反乱軍を欧州戦争への正規軍に合流させた*23
1811年9月リンブルクで23万のアメリカ軍と18万のプロイセン軍が衝突した
当初は優勢に進めるも8万の増援が敵右翼に現れ敗北する
低地地帯で戦闘が起こる一方、アルプス方面では米伊軍は占領を進めた
1812年初の大統領選挙が行われジェームズ・マディソンが選出された*24
ジェームズ・マディソンは公約に対英戦争を掲げており、1812年イギリスに宣戦布告した*25
補充を済ませたアメリカ軍は再びリンブルクのプロイセン軍を襲いこれを破った
低地地帯の攻略を諦めたプロイセンはイタリアに全軍を転進させ
5万のイタリア軍を殲滅する
クレモナに進軍するプロイセン軍を低地地帯から大移動したアメリカ軍が捕え
20万対15万の戦闘の末アメリカ軍が勝利した
これを見てヴェニスは降伏し、プロイセン領低地地帯とクレモナを割譲した
一方対英戦は続いており、英普同盟を根拠に講和の即日プロイセンはアメリカに宣戦布告した*26
アイルランドに移動していたイギリス首都を落とすもイギリス政府は
フランスに亡命し抵抗を続けた
マディソンは1815年フランスに宣戦布告し*27
1817年に全土を制圧、イギリス亡命政府首脳を捕えた
1817年イギリスの併合、ノルウェー、フランスの植民地の殆ど*28の割譲で講和した
旧イギリス政府はスマトラ島に逃れたが、フランスから獲得した
オーストラリアの反乱に手を焼きアメリカはこれを深追いしなかった
イギリスの併合は元植民地アメリカの各地で歓迎され
ニューヨーク市民は永遠の自由を謳歌した*29
7つの海を制したアメリカは軍事から交易に再び焦点を戻した*30
杭州・マラッカ・ベンガル・セイロン・アデン湾・ザンジバル
象牙海岸・カリブ・チェサピーク湾・セントローレンス湾
カリフォルニア・北海・リューベック・シャンパーニュ
イギリス海峡の15カ所に商館がおかれた
新たに発明された蒸気船の商船がマラッカ・ベンガル
セイロン・ザンジバル・象牙海岸・カリブ・北海
リューベックを中心に活躍した*31
特にマラッカにはオクタヴィウス・バイロン率いる400隻の商船が活動していた*32
アメリカ船団によって世界中の富はロンドンの商館に集められた*33
1820年のアメリカの経済規模は新大陸を統一した直後の4倍まで膨れ上がる*34
これは他の国家を圧倒しており、アメリカは「世界の全ての中心」となった *35
多くのヨーロッパ人が成功を夢見てアメリカに移住した
しかし1820年の大統領選挙で
奴隷制の拡大の反対を訴えるジョン・クィンシー・アダムズが当選し
1821年1月大統領就任と同時に奴隷州が合衆国を離脱する
この先アメリカの行方はどうなるのだろうか*36