1660年ダニエル・デーヴィスの破産宣言からアメリカは「失われた10年」*1に入る
彼は全ての預金貨幣を封鎖し、生産が飛躍的に向上した小麦や
毛皮などの物品を法定通貨と定め政府支出に換えた
しかしこれら代替貨幣は標準化が難しく社会の広い支持を得られず
新たに政府紙幣の発行を試みるも反対派により暗殺されてしまう
議会は経済・社会の混乱が続く中、
長期的な安定をもたらす強力な支配の必要性を認め
イギリス王室タルボット家から
ジョージ1世(4/2/5)をアメリカ皇帝に推戴した
ジョージ1世はダニエル・デーヴィスの路線を継承し
成長する産業の需要に応じた紙幣を発行、預金の封鎖を解いた
1670年には実体経済は1655年の1.6倍まで成長し、政府の信用は回復される
農業・毛皮産業の成長は著しく、15年で2倍に成長したが
一方で海運業は依然外国の手に握られていた
アメリカと欧州の間では毛皮・煙草・染料・砂糖と
鉄・ワイン・布・銅が交換されていたがこの中継貿易で
ノルウェー・スペイン・ポルトガル商人が活躍していた
自国の海運業の保護のためアメリカは1671年航海条例を発し
同盟国以外の外国船を排除する
ブラゾス川の交易から締め出されたメキシコはこれに反発
独立以来の米墨間の国境問題を刺激し国境地帯の部隊が戦闘状態となり
1671年6月12日アメリカはメキシコに宣戦布告*2する
フレデリック=オーガスタス・バッフィン将軍率いるアメリカ軍6万は
コアウィルテコを占領しカランカワ要塞を包囲するも
メキシコのマシュー・エセックス将軍*3が8万でアメリカ軍を破る
スペインはこれをみてアメリカに宣戦を布告しカナダからニューイングランドに南下する
アメリカ同盟国フランスはスペイン本国を襲い、アラゴンを占領した
フランス植民地コロンビア軍はメキシコに北上し、同ペルー軍はスペイン領チリに侵攻、戦場は南米大陸に飛び火した
ジョージ1世はメキシコを完全に屈服させるのは不可能*4と判断し、早期講和を目指し
メキシコ方面からスペイン領カナダへ軍を移動させる
要塞の無いスペイン領カナダを半年で制圧し
1675年メキシコから不割譲・スペイン領カナダの大部分の割譲で講和した
ジョージ1世は再戦に向け陸海軍の増強を指示し、
チャールズ・サンダースによる防勢的戦術の研究が行われた
1650年以降の国内経済重視の政策で太平洋への拡張政策は中止された*5が
アメリカの影響力が消えたのを機会にメキシコ・スペイン・ポルトガルが
この地域への進出を強化する
メキシコは1620年代から大友氏が治める日本に
何度か侵攻するも全て追い払われた
"
なかでも1660年の侵攻は大規模で大友氏は疲弊し
そこにスペイン・ポルトガルが侵略、日本列島は完全に征服された9
しかし元々人口の少ないポルトガルに領域支配は不可能で
反乱が起こるとたちまち統治能力を失い、満州に亡命していた皇室に奪回される
スペインも米墨戦争で本土をフランスに侵略され
海外領土に兵を割けず、オラン要塞やセイロン島、日本の支配を失った
以降東アジア諸国では鎖国体制がとられ
白人国家の手が再び及ぶのはしばらく先のことになる
セントローレンス湾を獲得したアメリカは
ニューファンドランド島のノルウェーに宗主権を認めるよう*6通告、
断られると島を封鎖しこれを強制した
1683年、米墨の休戦期間が終わるとアメリカは
カランカワ要塞を要求する最後通牒*7を発し再び両国は戦争になった
アメリカ軍はカランカワ要塞を陥落させコアウイラでメキシコ軍を破り
首都メキシコシティへ向けて南下した
アメリカ側にフランス・イギリス、
メキシコ側にスペイン・ホランド・サヴォイ・エノーがつき
戦場は欧州に波及した
フランス大陸軍はアラゴン・アルトワ・エノーで次々と敵軍を破ったが
新大陸のフランス植民地軍はメキシコ軍相手にベラグアス・ホンジュラスで全滅する
国土が寸断されたスペイン領カナダは組織的な抵抗を行えず
ノルウェーの海上からの攻撃も受け全土をアメリカに併合された*8
南方ではメキシコ軍が優位だったが北方ではアメリカ海軍に
タンピコ・ベラクルスを封鎖され、首都メキシコシティは降伏した
さらに南方でもイギリス軍が上陸しベラグアス要塞が陥落すると
首都メキシコシティを含む東北部の広大な領土の割譲で講和した
同じ言語を話し嘗ては同じ植民地同士だったメキシコとの戦争は
アメリカ社会ではプロテスタントとカトリックの戦いと捉えられ
国内でのプロテスタントへの自発的な改宗が進み
アメリカから宗教的多様性は1680年代には姿を隠した
1686年の講和で獲得された領土のうち海岸部の
統治はスムーズに移行したが人口の多い内陸部の抵抗が激しく*9手を焼いた*10
1698年南米のポルトガル領ブラジルでアントニオ・デ・ソウト総督による宗主国への反乱が起こる
ポルトガル王ホセ1世は鎮圧に出向くも戦死し、ポルトガル本国に衝撃が走った
アメリカ社会は新大陸植民地の独立運動を歓迎したが
同盟国フランスは植民地コロンビアのそばに起きた反乱を警戒した
アメリカ政府は有事のブラジルへの介入に備えて軍を東海岸に集結させたため
メキシコ内陸部のアメリカ支配は中米連邦(USCA)による間接統治に妥協された*11
アメリカ政府はブラジルの支援要請を断り静観していたが
メキシコは仏領コロンビアを挟むこの植民地を積極的に支援する
しかし1700年にはフランスの圧力を受け支援を撤回した
アメリカ社会はフランスの横暴を批判、メキシコとの連帯が叫ばれた
老齢のジョージ1世は現状維持を望んだが
アメリカ議会はメキシコとの合邦を提案、
これがメキシコに拒否されると併合を要求して1701年に宣戦布告する*12
20万の常備軍を有するアメリカに対し8万のメキシコは圧倒的不利であり
国境のコアウイラでメキシコ軍は壊滅しアメリカ軍は南下を進めた
メキシコに入港したホランド海軍とアメリカ海軍が戦闘状態になると
ホランド・ブランデンブルク・ハンザ同盟がアメリカ・フランスに宣戦し
ブランデンブルク・ホランド軍とフランス軍が
リエージュで衝突、フランスが勝利する
アメリカはホランド領カリブを封鎖・占領し
ヘルゴラントバイト海戦ではハンザ海軍を破った
メキシコ政府はアメリカ軍と戦闘しつつ南へ逃れ続けたが
1706年メキシコ国王アドルファスが捕えられ、戦争は終結した
アメリカはユカタン半島と英領コスタリカと
仏植民地との緩衝地域を除いたメキシコ領土を獲得し
ホランド領カリブを併合した
割譲されたメキシコ領土のうちメキシコ湾沿岸はアメリカに併合され
その他は中米連邦に組み込まれた*13
1690年から本格化したグレートプレーンズの開拓によって国土はさらに拡大する
アメリカは北米大陸で圧倒的な国家に成長し、1710年その経済規模は1670年の2倍に達していた
1660年の混乱したアメリカに降臨したジョージ1世は
その52年の長い統治の間、経済の安定化に始まり
対外戦争の勝利と愛国心の発揚、帝国の拡大と国内経済の発展で
アメリカ社会を「好感情」で満たしたのだった
彼の死によってアメリカは一つの時代を終える