AAR/日は昇り、また沈む

1

1444年の日本列島

GC開始直後の日本は応仁の乱直前の情勢からはじまる。
つまり細川氏が摂津で国政を壟断し、山陰の山名氏と私闘を繰り広げる直前ということだ。

細川氏があまりおおきくなりすぎると厄介なので、二人いる外交官のうち一人は細川氏併合(

関係改善→併合)にあてることにする。もう一人は甲斐の武田氏に派遣した。いうまでもなく

、甲斐には金山があるからだ。

2

無事、武田氏を併合

細川氏と山名氏の戦争、応仁の乱によって戦国時代がはじまった。
CB「戦国」をつかって各地の大名が私闘をはじめる。
そんななか幕府は甲斐の武田氏を併合、金山を手に入れた。
つぎの目標は斯波氏や今川氏だが、彼らは滅亡したり戦争したりして(戦争中は属国化の使者

を送れない)なかなか併合できない。、

同時並行ですすめている細川氏の併合工作も遅々としてすすまず、そればかりか細川氏は併合

を嫌って幕府に宣戦布告してくる始末。

4

応仁の乱は幕府vs.細川氏というかたちで拡大した。

細川氏の10kの軍勢が畿内になだれこんできて、将軍制の陸上戦闘ノーボーナスに比べて大名制

の士気ボーナスのせいでかなり厳しいたたかいを強いられたが、属国の援軍もあってなんとか

細川氏を畿内から撃退することに成功した。
マンパワーが尽きるなか、三度ほど細川氏を撃退したら向こうから賠償金の申し出で講和の使

者がやってきたのでこれをうけることにする。

3

外交6の名君きたこれ

将軍持仁が即位。外交6というチートパワーのため外交併合がすすむすすむ。
中部の畠山、関東管領の上杉、そして西日本を統一した管領細川氏という順番で外交併合し、

日本を統一した。この間、日本では東山文化が花咲き、首都京都では銀閣寺が建立されるなど

、将軍持仁のもとで繁栄したと言われている。

5

日本統一

つぎはミッションで朝鮮の州併合がでたためにこれを遂行することにする。

続く


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