前回ブルゴーニュ併合にあたってずいぶん人的資源を損耗したことを反省し、一度落ち着くことにしました。
1696年、ガスコーニュの併合が完了。
空いた外交枠の使いみちを探していると、エノーはDipRepさえ回復すれば外交属国化できそうです。
しめしめと同盟を申し込み、政略結婚もしたのですが。。。
AEが高くて友好度を190まで上げられないうえ、
なぜか再度外交要素をチェックすると属国化を受け容れてくれる要素が見えない罠が。。。
そもそも相手はHRE構成国。何を見間違えたのかなぁ。。。
まだまだ落ち着ききれていないようです。
1698年、政治体制を絶対君主制に変更します。
Discipline+5%。Autonomyの減少速度も専制君主比で4倍です。もっと前に採用してしかるべきでした。
また堅くなってきた要塞への対策として連隊における砲兵の比率を上げます。
複数国との間で停戦が明けたら対抗同盟を組まれるのではないかとビクビクしていましたが、
人的資源の回復を待っていても対抗同盟結成の報告は届きません。
もう十分に強くなったという事でしょうか?
18世紀に突入した1701年、フランスに宣戦。英・墺が同行してくれます。
エノーはいっそこのタイミングで参戦要求→拒絶で同盟を切ろうと思ったんですが、
バージョンアップでその方法は不可能になったんですね。
エノーはどうでも軍事力の差は圧倒的。
1703年、3州をイタリアへ、パリを含む2州を属国オルレアンへ。
オルレアンはこれ以上拡大せず、タイミングを見て外交併合します。
同年、軍をイベリアへ転じてLeonを叩きます。停戦の明けていないカタロニアがついてくるのはむしろごっつぁん。
OverExtensionとの兼ね合いで全土は奪えませんが、のこりは次回のお楽しみ。
(下の画像はもう少し後のイベリアの図。領土だけご参照ください。)
戦中の1704年、皇帝Francesco2世崩御。新帝はAlbdrto2世(2.6.2)。先代より優秀です。
彼がまず手を付けたのは、手軽にできるアフリカ北岸の制圧でした。
1706年2月、チュニスに宣戦。同年12月には地中海岸全域を奪って停戦します。
1707年、気になる情報が舞い込みます。
ポーランドがリトアニアから黒海沿岸の領土を奪い、勢力を南東に広げたというのです。
以前も書きましたが、ポーランドはオーストリア・イギリス・そしてブランデンブルグと同盟を結んでいます。
イタリアも進出を後回しにしている結果、西からの圧迫を受けないポーランドはカルパチア山脈以北にのびのびと勢力を拡大。
軍事力も世界3位を誇っていました。
(図は少々さかのぼって1698年。ロシアはどこ??)
同盟のせいでこちらからはちょっかいをかけづらいのですが、
目標であるMare Nostrum達成のためには、これ以上勢力を黒海沿岸に伸ばされるのも困りもの。
そこで先にこちらの勢力圏を確立しておくことにしました。
1708年、ImperialismCBでシルヴァンに宣戦。ペルシャおよびその属国Georgiaがついてきます。
実績解除に必要な領土を得るには最適な組み合わせ。
1710年、黒海沿岸およびMashriqリージョンを全部奪って停戦。これでもうアジアには用がありません。
このあと、1717年にはリトアニアが黒海沿岸に最後まで残していた1州を脅し取りました。
1711年、スペインとの間に何度目かわからない戦端を開きます。
敵には今度もポルトガルが同行。
スペイン・ポルトガルは史実通りの植民地大国。
特にポルトガルはイタリアから直接圧迫されていないためか、今ではスペインをも上回る兵力を持っています。
ですが質量ともに上回っているのはこちら側です。
相変わらずポルトガルの要塞は堅牢ですが、これは前回経験済み。
砲兵の比率も上げたもはもちろんですが、予め覚悟できていたのが大きかったと思います。
じっくり占領地を拡大し、1716年、ローマ帝国に必要なFezを含むポルトガル領アフリカを中心に10州を奪いました。
この後、力を落としたスペイン・ポルトガルからは続々と植民地が独立を果たしてゆきます。
さて、スペイン戦の最中の1714年、オルレアンの外交併合が完了しました。
スペイン戦後の1716年、西ヨーロッパはこんな状況↓
1821年まで1世紀以上を残してフランス・イベリア地方の大勢は決したと言っていいんじゃないだろうか、
そう認識したとき、ようやく深々と呼吸ができた気がします。
そろそろ次のステップ、イギリス・オーストリアとの戦争に向けて心の準備を始める時が来たのかもしれません。
とはいいつつ、まだまだ同盟国は使い倒します。
1718年、オーストリアを伴ってフランスに宣戦。
エノーとの同盟はここで破棄されました。
実に意味がなかった。気の迷いとしか言いようがありません(苦笑
翌年、計5州を奪って停戦。エノーからもフランスリージョンの1州を奪いました。
さらに1720年、ふたたびオーストリアを呼んでプロヴァンスに宣戦。
相手にはオランダと、それからエノーがついてきます。
プロヴァンスからはかの国がフランスリージョンに残していた最後の3州、
そしてオランダからはローマ再興に必要なZeelandを奪いました。
君主点が足りなくて、先のフランス戦で奪った州のコア化がまだ完了していなかったため、
OverExtensionは96.6%に。
そろそろOverExtensionにも気を配らなければならない時代になってきました。